スイス浪漫-2

◆インターラーケン~ユングフラウヨッホ/

スイスアルプスのハイライトは、
ユングフラウ・ヨッホ。
スイスアルプスの名峰をのぞむ登山鉄道で、
インターラーケン発アイガー。
赤い登山鉄道に乗って、
途中駅のクライネ・シャイデックで降りると
目の前には、
スイスアルプスの絶景が広がっていた
緑のじゅうたんを敷き詰め、
なだらかにうねる山の上には
草を食む牛の群れがいて、
男の人が長さ3mほどの、
大きな大きなアルプスホルンを吹いている。
そののどかな音色は、
スイスのヨーデル音楽そのもの。
彼らはスイス特有のチロルハットをかぶり、
スイスの民族衣装をまとい、
いかにもスイスらしいいでたちで、
ホルンを吹いていました。
その腹の底から響きわたる、
ぼぉーっ、という音色は、
その後しばし脳裏をよぎりました。

最初のスイス紀行で泊まったホテル(インターラーケン)

さらに登山電車を乗り換え、
アイガーへ向かう。
アイガーはアイガー北壁で有名な絶壁の山で、
死の壁とも呼ばれ、
登攀に失敗して70人以上の人が命を落としている。
トンネル内のアイガー駅を降りると
岸壁を繰り抜いた窓から
アイガー北壁を真下に見下ろし
目を移すとアルプスの山々が聳えている。
さらにエレベーターであがれば展望台があり、
氷河を見下ろす谷の上に出る。
標高は富士山よりも高く、
眩しすぎるほどの陽の光が
純白の氷河に反射して、
乱反射した光の波がぎらぎらと照り返す。
再び登山電車で山の反対側へ下る。
終着駅はグリンデルワルド。
日本人憧れの山岳都市で、
市街地を離れ高原に向かえば
急な勾配の屋根の山小屋が並び、
それぞれの窓は花々で縁取られています。

途中駅/クライネ・シャイデック↑↓

グリンデルワルド

◆インターラーケン/

裾野を辿りながらインターラーケンに戻る。
この街は美しい。
スイスアルプスの拠点・インターラーケンは、
以前はひっそりとした印象でしたが、
今は観光化されて賑やかになりました。
街の中央には広々とした芝生の広場があり、
ちょうどその日は
空からパラグライダーが舞い降りていました。

◆氷河特急/

翌日、インターラーケン発の電車に乗り、
途中駅から「氷河特急」に乗り込む。
この列車は特急と呼ばれているが、
とてつもなく遅く
世界でいちばん遅い特急とも言われ、
主たる目的は観光用。
真っ赤な列車の1等車に
天井を大きく開いた窓があり、
走りながらアルプスの牧歌的な風景を
愉しむことができます。

◆ツェルマット/

そしてツェルマットへ。
ツェルマットはマッターホルン登山の拠点。
珈琲のネスカフェはスイスに本社があり、
イメージ写真にこのマッターホルンが使われ、
その名峰の山麓にこの町があります。
ガソリン車乗り入れ禁止の環境に優しい町。
電気自動車と馬車が走るだけの、
のどかで小さな町です。
高原のこの町は軒を連ねるホテルや店、
そして家々の窓辺には、
それはそれは見事な花が飾られ、
スイスを彩る美しい風景が広がっています。
スイスは観光立国。
精密機械工業の先進国でもあり、
世界トップクラスの高収入を誇る国でもある。
国民生活は豊かで
その一方で観光資産を大切にし、
それを守るための細かな規定があります。
例えば窓辺を飾る花や、
洗濯物を干す場所など、
そんなところにも気配りして、
街や村を美しく着飾る。
静かで小さな山あいの町には、
そんな風景がよく似合いますが、
到着したその日は、
夏の軽井沢を思わせる

大勢の人が押し寄せていました。
それでも此処は、
ヨーロッパの避暑地との印象もある。

日本人観光客はちらほらで、
アジア人の観光客も少ない。
のんびりして心安らぐ風景があり
もういちど訪れたい
高原の美しい町です。

2018.5.23

スイス浪漫-1

2007年の夏、
家族でスイスへ――。
しかし学生だった長男は、
部活を休むことができずに
旅行に行くのを断念しました。
最初のスイスは30年以上も前。
あのときの感動は忘れがたく、
もう一度スイスへ!との想いがありました。
当時は海外旅行も今ほど一般的ではなく、
スイスは遥か彼方の憧れの地。
そしてその日、
成田発JAL便でスイスへ take off。
それが最初の海外で、
最初のフライトでした。

 ◆ルツェルン/
スイス紀行の起点はルツェルン。
町の中央に古い木造のカペル橋がある。
町の代名詞でもあるこの橋は、
実は20年ほど前に焼失しましたが、
ほどなくして再建され、
町のシンボルとして復興を遂げました。
橋に飾られた花は可憐で美しく、
以前は見られなかった光景でした。
それを見ていると、
ヨーロッパはどこに行っても
古い街の景観を大切にしている、
と実感します。
ポーランドのワルシャワは、
第二次大戦で壊滅的な打撃を受けましたが、
壁の割れ目に至るまで再現し、
今では世界遺産に登録されているし、
以前訪れたオーストリアのウィーンも、
戦災で多くの歴史的建造物を失いましたが、
それもまた再建されました。
西欧の人たちの歴史的文化財を大切にする心。
日本人には信じがたいほどの
歴史的なものへの畏敬の念と愛着を感じるし、
それがヨーロッパの歴史を刻み、
弛みない時の流れを
今に伝えていると感じます。
それがまた、
ヨーロッパと日本の文化の違いでしょう。
都市の文化――。
それはITなどに代表される
先進技術によるものではなく、
ときを刻み、
人間が築き上げてきた、
有形・無形の貴重な文化遺産です。

ライオン記念碑
カペル橋↑↓

◆ベルン/
それに続く首都・ベルン。
旧市街は重厚感のある城郭都市で、
世界遺産でもあり、
旧市街の中心に
この町のシンボルである時計台があり、
石畳の風景が印象的でした。

ベルン市街を見下ろす

◆スイスアルプス/
スイスの魅力はなんと言っても、
アルプスの雄大な景色、
そしてアルプスの裾野に広がる
牧歌的な美しい風景でしょう。
二度の旅行でとりわけ印象的だったのは、
シャレーと呼ばれる
スイス特有の山小屋風の家の、

軒先に飾られた美しい花でした。
それらはゼラニウムの花々で、
可憐で、気高く、
高原に彩を添える
美しい風景になっていました。
その魅力に取り付かれて、
最初の訪問では日本に帰国してからも、
我が家にゼラニウムを!
スイスの風を!と、
ゼラニウムの鉢をせっせと買い集めて
育ててました。

スイスはそうした期待に違わず、
このときの旅行でも、
私たちを快く迎え入れて、
行く先々の天気は最高。
空を見上げればアルプスの山々が聳え、
最高のロケーションを描いていました。

2018.5.21

遥かなる中央ヨーロッパ-2

中欧の旅は愉しい旅でした。
旅先で知り合ったおばさんたちは、
ときおり仲間で海外へ行くといい、
そこに別の仲間も加わって、
旅の後半はワイワイ賑やかに過ごしました。

ザルツブルクやプラハは、
7月の平均最高気温は20℃と
日本に比べれば涼しくて湿度も低い。
かくして軽井沢に行くような
避暑地巡りのノリで出発しましたが、
とんでもなかった!!
猛暑の夏に襲われて、
ハルシュタットの風雅な風景も
目の先に汗が滲んで見えないほどでした。

かくも愉しい旅が終れば、
尽きることのない旅の計画が始まります。
それは1年、2年のインターバルではなく、
長期的にしてささやかな夢の旅。
我が家では「ニンジンをぶら下げたロバ」の話をします。
鼻先に「旅」というニンジンを
ぶら下げていかなければ生きてはいけない。
次なる旅はポーランドか、
ニュージーランドか、
カナダの東海岸か、それともスイスか。
それがどこであれ、
世界は夢路の涯ての見果てぬ夢の国。
夢を追って、
夢追い人のデイドリームが始まります。

世の中は狭いと言いますが、
旅先でこんなことがありました。
プラハのホテルのロビーでのこと。
とある人と、
――どこから来たんですか、
と言う話になって、
――**からです、
と話す隣に二人連れの親娘がいた。
それを聞いて隣の人が身を乗り出す。
――エッ、私もですよ。
聞くとすぐ隣町に住んで同じ学区。
そのお嬢さんも娘と同じ年頃で、
――失礼ですけどおいくつですか、
と話すと同じ歳。
小学校も同じで同じ学年。
さらに娘の名前を伝えると、
――それは覚えていない、
と話していましたが。
彼女は小学校4年生のとき、
親の仕事で転勤し同じクラスではない。
その夜、娘からホテルに電話が来たので、
そのことを話すと、
――知ってるよ、背の高い人だよね、
と話していました。
平原綾香に似た人で
後日、彼女と友達のことに話がおよぶと
馴染みのある名前がどんどん飛び出して、
随分前で忘れてしまったんですけど、
と話しながらも懐かしそうでした。
彼女の家は我が家から2kmほどの高台にあった。
世間は本当に狭いと感じました。

ヨーロッパを旅すると
歴史の重みを感じます。
どれほど戦争で疲弊し、
どれほど生活に不便を感じても
歴史遺産をとても大切にする。
ウィーンの街を案内したのはオーストリア人。
訥々と語る日本語に味があり、
人を笑わせるのがうまかった。
そのガイドさんがウィーンの街を案内した。
――ヨーロッパ人は
歴史遺産をとても大切にします。
見てください、
綺麗な街並みですね。
ウィーンの誇りです。
右を見てください。
あれは**ホテルです。
最近建ちました。
近代的ですね、高いですね。
でもみんな反対しました。
ウィーンの街に似合いません。
建築法違反です。
見ないで下さい、
目を伏せてください、
ウィーンの恥です――。
ウィーンのシューンベルン宮殿や
色々な史跡を案内してくれたが、
オーストリアは第二次大戦勃発当初、
微妙な立場にあった。
殆ど恫喝という圧力で
ナチスドイツに組み込まれながら、
国内は分裂状態だった。
街並みの多くは戦災に焼けて、
史跡も大きな打撃を受けた。
それでも元の姿を取り戻そうと
国をあげての復旧工事が行われている。
それはウィーンに限らず、
プラハやブタペストも同じ。
旧東欧諸国は、
社会主義時代の暗い影が付きまとうが、
行ってみるとそんな印象も影が薄い。
プラハ市内にはカフェが所狭しと並び、
街並みは活気にあふれ、
旧く荒んだ壁は綺麗に塗り替えられている。
しかしそれだけではなく、
プラハの街そのものが住む人の誇りであり、
生きる支えになっていると感じる。

ふるさとという言葉がある。
田畑や山が広がる田園風景を想像しますが、
ヨーロッパ人には、
そこが街であろうと都市であろうと、
ふるさとは人が住む所にある。
歴史の重みは人の心のプライドだけでなく、
人の心に安らぎを与える懐かしい風景なのでしょう。
2018.5.9












遥かなる中央ヨーロッパ-1

中央ヨーロッパの旅。
成田空港で出発を待つ間の
ふわふわした高揚感と、
新しい世界を覗き見る期待感。
そんなものが入り混じって
旅立ちの日を迎えました。
当時は思うように休暇をとることができず、
5年刻みの長期休暇や
盆休みなどの長期休暇を利用した旅でした。
だから当然のこと旅行の頻度は少ない。
行きたくても、行きたいときに
ツアー料金は大幅にUPし、
我が家の財政事情が苦しい。
そんなわけでこのときは
長期休暇を利用して、
中央ヨーロッパへと旅立ちました。

成田発午前の便。
夜も暗いうちに成田までの高速バスに乗り、
のろのろと一般道を走る!
今回の行き先はチェコ、ハンガリー、
オーストリアの中央ヨーロッパ。
そして最初の経由地はプラハ。
プラハはヨーロッパ随一の
古い歴史を持つ都市で、
かつてヨーロッパを席巻した
西ローマ帝国の拠点だった。
そして文豪・カフカが生まれた都市でもある。
彼は高校時代に愛読した作家の一人で、
実存主義文学の草分けともいわれ、
そうした文豪の生まれたところがどんな所か、
それにも興味があった。
2006年7月――。
この年、ザルツブルクとウィーンでは、
モーツァルト生誕200年を祝って祝賀ムード。
このときは某旅行会社の
10日間のツアーを利用した。
旅行中にモーツァルト音楽の夕べがあり、
音楽を聴きながら食事もする。
盆休み少し前のオフ。
お陰で優雅な旅ができました。
初日はパリ経由プラハで、
7月11日20時着。
サマータームのヨーロッパは9時でも明るい。
ホテルにも恵まれた。
1-2日目はインターコンチネンタルで、
5つ星のホテル。
市街地まで歩いて行くことができ、
朝な夕なにライトアップを愉しみ、
ドナウ河畔を散歩して愉しみました。

中央ヨーロッパの旅は12年前。
しかし、訪問先は連日連夜の猛暑で、
最高気温も37℃ほど。
歩くほど汗びっしょりになり、
歩くのも苦痛になるほどで、
真夏の絶頂期でした。
とは言っても旅行前は、
プラハやザルツブルクは最高気温も20℃位で
ーー朝夕は冷えますので、
羽織るものを用意して下さい、
との添乗員さんの丁重な電話。
長袖も用意して
日本よりも涼しいだろうと思っていたら、
とんでもなかった!
中央ヨーロッパは例年にない猛暑で
天気が良いのも良し悪し、
毎日、真っ青な空が広がって、
半ば恨めしげに空を見上げていました。

ともあれ中央ヨーロッパは
歴史遺産の宝庫で見所満載でした。
どちらかと言えばヨーロッパの中でも
チェコやハンガリーは印象が薄い。
それとは対称的にオーストリアは音楽の都。
ヨハン・シュトラウスのワルツが奏でる
華やかな舞踏会の印象が重なる。
それは旧社会主義国と資本主義国の違いもあるでしょう。
けれど行って見て驚く。
どこへ行っても旅行客があふれ、
壁を塗り替え、建物を再建して、
遺跡をどんどん修復している。
プラハやブタペストは、
年毎に旅行客が増えているという。
そんな風にして遺跡は蘇り、
西欧文化も雪崩れ込んで、
東欧と西欧の差は確実に狭まっていました。
旧東欧諸国もEUに加盟し、
経済圏の一体化が進んでいる。
ヨーロッパに行くたびに思うことは、
国としての尊厳と誇り。
歴史遺産を守ることに
国の威信を賭けているように見える。
とりわけ西欧諸国に広がる
ハプスブルク家の歴史遺産は、
見事というか、凄いの一言でした。
ウィーン然り、そしてプラハもまた、
400年にわたる栄華の名残が
今に伝えられています。
オーストリアは歴史遺産の宝庫であると同時に
美しい風景がある。
とりわけザルツカンマーグートは、
ヨーロッパを代表する美しい自然の景観。
急な斜面を真っ赤なケーブルカーで
標高差1,200mをあえぐように登ると
登山鉄道の頂上駅に到着する。
そこには湖やアルプスを一望する
360度の大パノラマが広がっています。
湖が山肌を滑り降りて遥か下に従え、
見上げれば万年雪と
氷河を抱いた美しい山並みが広がっている。
これはシャーフベルク鉄道と呼ばれ、
ザルツブルクの郊外にあって、
あの映画「サウンド・オブ・ミュージック」の世界が重なります。
この映画の冒頭のシーンでは、
空からオーストリアの美しい山並みが映し出され、
ズームアップするとヒロインが登場して
サウンド・オブ・ミュージックの美しい歌声がひびく。
今もなおザルツブルクの美しい風景は、
この映画とオーバーラップしています。
その山裾にザルツカンマーグートという
湖水地方があります。
湖とチロルの山並みをのぞむ美しい景勝地で、
夏になると大勢の避暑客で賑わいます。
この地方を訪れたのは、
そうしたバカンスの真っ最中。
湖に点在する駐車場にも、
キャンピングカーが所狭しと並んでいました。

その後、世界遺産の街・ハルシュタットへ。
オーストリアの代表的な景観地。
湖に浮かぶ景色がとても美しい街。
しかしこの日は特別暑かった。
旅行を通じてずっと暑かったけれども、
この日は確か38度もあって、
歩くだけで疲れてしまいました。
2018.5.7





プラハ
チェスキークルムロフ





ハルシュタット~ザルツブルク

カナダへの手紙

カナディアンロッキーでは、
HPから深田さんの案内するツアーを探し、
10人ほど乗れるバンで
ロッキー山脈の北から南へと辿る。
スイスとは違った雄大な自然を背に
カナダの醍醐味を堪能することができました。

そして日本に帰着後、
お世話になった、
ガイドの深田さんにお礼のメールを。
そして数日後、

――私のHPにご利用者の声として載せてよいでしょうか、
との問合せ。
このメールはその後、
深田さんのツアーを紹介するHPに3年ほど
掲載されていました。

To.深田さんへ

旅は実際にその地に訪れてこそ
醍醐味があるものです。
どれほどその場所が素晴らしく、
綺麗にパンフレットを着飾ったとしても、
百聞は一見に如かず。
人の声、空気、川のせせらぎ、
さまざまな人の色や自然を体験してこそ、
感動を生の声として実感することができます。
カナダもまた然り!
月9日の夜、成田を出発して機上の人に。 
そして旅の始まりが、
あのカナディアンロッキーの旅でした。
そして貴殿のツアーを選んだ
正直な理由は「安い」から。
この飛び切りのハイシーズンに
家族で旅行に行くのは、
実際、本当に大変なことです。
しかし今にして思えばこれは正解でした。
貴殿のツアーに案内され、
予想以上、期待以上の体験をさせて頂きました。
本当にありがとうございます。

深田さんのガイドは、
語り口がソフトで説明が明瞭――。
細かな心配りもある。
しかし、単にガイドの巧さだけでなく、
カナディアンロッキーに住み、
カナディアンロッキーを愛する人間の
心意気を感じました。
さらに言えば、
カナディアンロッキーに住む人間の
信念とも言うべきものを感じたように思います。
カナダの風景は本当に素晴らしかった。
レイク・ルイーズは言うに及ばず、
モレーン湖やエメラルド湖、
そしてピート湖といった
ロッキーの山懐に抱かれた氷河湖の数々。
そのいずれも例えようのない美しさを湛え、
その背景にある氷河や
万年雪を抱いたロッキーの山並み、
そして真っ青な空や白い雲の、
森林や山とのコントラストが、
より一層その美しさを際立たせていました。
さらに印象に残ったのは、
深田さんの話の中に随所に表れた
然を慈しむ心でした。
ロッキー山脈を訪れる人々に与えられた
3つの掟のみならず、
自然に対する心配りや気配りを感じました。

一木一草といえども持ち帰ってはならない、
失われた自然は容易には還らないから。
動物に食べ物を与えてはいけない、
自らの力で餌を求めない動物は、
厳しい冬を乗り越えられないから。
熊を恐れず近づいてはいけない、
人に馴れ、街に餌を求める動物は、
人間とは共存できないから。  

高速道路には動物のための橋を作り、
トンネルを掘る。
そうした全てが
自然を保護するための心配りで、

自然回帰を第一に考え、
これほど自然を大切にする国は、
世界広しといえども
他にはないのではないでしょうか。
数十億年の時を刻んで築かれた自然の恵み、
それは心無い人のほんの一瞬の悪戯で、
取り返しのつかない痛手を負うのだと思います。

深田さん、
カナディアンロッキーに生き、
それを誇りに思う一人の人間として、
これからもこの地を訪れる人の
良きパートナーでいてください。

またいずれ来たいと思います。
その時は是非、
お世話になりたいと考えております。
その時はよろしくお願いします。
2日間、本当にありがとうございました。

2018.4.30

カナダからの手紙

カナダ―――、
大自然に恵まれているだけでなく、
さまざまな顔がある。
私たちがカナダに行ったのは2002年の夏。
家族旅行でした。
このときの旅行はカナダ西海岸の
バンクーバーを経由しましたが
そのときの滞在で
ひときわ印象的だったのはビクトリア。
とりわけブッチャートガーデンの美しさは
際立ち、
さまざまな花が咲き誇って
その彩り豊かな色彩の競演は
訪れる人を愉しませていました。
真夏の暑い日でした。
それでもこれ以上はない
と思わせるような花の美しさは、
生涯、忘れることのない
風景のひとつになりました。

バスで20分ほどの所にビクトリアがある。
バスを降りて
ヨットハーバーを望む港に立ったときの感動は
今もなお忘れ難い。
それはあたかも一幅の絵を見るように
美しく輝いていました。
ビクトリアはコロンビア州の州都であり、
世界のリゾート地ともいえる風光明媚な都市。
しかも温暖で、
カナダ人に限らず、
欧米人の憧れの地にもなっています。
港湾の目の前にはヨットハーバーがあり、
たくさんのヨットが帆を並べ、
湾を取り囲むように
市街地が広がっていました。
州議事堂や世界的なホテルなど、
歴史と風格を感じさせる風景は、
イギリスよりもイギリスらしい、
と言われています。
赤い二階建てバスや、のみの市。
ヨットハーバーの前の広場では、
大道芸が余興を披露し、
燦々と降り注ぐ陽の光を浴びて
美しい風景が拡がっていました。
たくさんの大道芸がありましたが、
ベンチに坐る真っ白な石膏像の親子には
本当に驚かされました。

その石膏像は、
ビクトリアの美しい風景に溶け込んで、

心を和ませていましたが、
それが大道芸とは思えませんでした。

小さな子供が、
像の前でちゃりんと硬貨を落とすと、

いきなりパントマイム風に動きはじめる。
余りにも精巧にできていて
てっきり本物の像と思い込んでいたので、
意外なハプニングに
新鮮な感動を覚えました。
2018.4.27

バンフ
レイク・ルイーズ

友人あてのメール

お久しぶりです!
毎日、如何お過ごしでしょうか?
小生は、8月9日(金)から8日間、
カナダに行ってきました。
とにかく涼しい!
日本はその頃、
毎日うだるような暑さだったそうですが、
カナダは最高気温も23℃ほどで、
朝夕は10℃を切るほど涼しい気候でした。
とりわけ山の上は寒いほどで、
ツアー途上では、
山の上にうっすらと新雪を抱いて、

山頂近くでは雪合戦ができるほどでした。
それもそのはず、
カナダは北緯45度ほどで、
日本なら北海道より北の樺太あたり。
これでは涼しいのは当り前でしょうね。
しかし、太平洋岸には暖流が流れ込み、
冬は比較的温暖で過ごしやすく、
ビクトリアは、
老後の生活の憧れの地でもあるようです。

今回の旅の始まりは、
カナディアンロッキーの拠点・バンフでした。
到着した翌日から2日間、
ホームページで知った現地のガイドさんの
11人乗りバンで
見所を案内してもらいました。

旅のハイライトはなんと言っても
周辺に点在する氷河湖。
これらの湖は、
氷河から流れ込んだ水が湖を造り、

エメラルド色の美しい湖水を映し出しています。
とりわけレイク・ルイーズは
世界の宝石とも呼ばれ、
氷河を抱く山並みを背景に
目映いばかりの風景を描いていました。
見所は湖だけではありません。
ハイウェイの両側には、
壮大な山並みが目の前まで広がり、
そのスケールの大きさは
日本では見ることはできないでしょう。
そそり立つ山は、
その稜線付近では森林が途切れ、

これが森林限界線と言われて、
いかなる生物も冬を越えられない
生命の限界領域だそうです。
道路の両側にはフェンスが張り巡らされ、
周辺の動物が道路に入り、
車に轢かれないための防護ネットで、
一定区間ごとに動物が渡るための橋を渡し、
トンネルを掘っています。
それでも車に轢かれる動物は後を絶たず、
あの有名な灰色熊も車の犠牲となり、
数もどんどん減っているとか。
日本なら、熊が出れば退治せよ!
熊が人間を襲ったらどうするんだ!
と大騒ぎになりそうですが、
野生の熊ですら此処では大事にされて、
人間との共存を第一に考えています。
人間は熊に近寄ってはならない。
これは人間の生命を守ることもありますが、
一度、人間を襲った熊は、
更に二度三度と人間を襲う習性があるそうです。
そうした熊は止む無く射殺。
これは自然界との共存の限界を破った
人間の罪も問われるようです。
観光地周辺のリスは人間に馴れている。
手を差し出すと愛らしく近づいて来ますが、
これは人間が餌をやるから。
でもこれは動物のためにはならない
と諭されました。
こうした動物は餌を採ることをことを忘れ、
厳しい冬を乗り越えることができない。
此処に生きる動物は須く、
こうした保護のもとに生きています。
しかもそれは、
自然に生きる動物は自然のままに、
という原則で貫かれています。
それは取りも直さず、
動物と人間が共存し、
自然とともに生き、
自然を生活の糧とする
ロッキーの人の生きる知恵でもあるようです。
此処に住む人たちは、
決して動物をおろそかにしません。
街中で道路をわたる野生の鹿の群れにも、
渡り終えるまでじっと待ちます。
環境を守り自然を守る。
日本だけでなく、
世界で声高に環境保護が唱えられていますが
こうした現実の世界を見るにつけ、
真の意味で自然保護とは何なのか
と改めて考えさせられました。

バンフには4泊し、
翌日はバンクーバーに。
バンクーバーは、
観光の見所は少ないと感じました。
翌日はビクトリアの予定で、
当初はバンクーバー港から
自力で対岸のビクトリア島に渡り、
バスを乗り継いで、
ブッチャードガーデンや州議事堂などの
観光拠点に行く計画でしたが、
これはとても無理と
バンクーバーの日本のツアー会社に案内をお願いしました。
ビクトリアの見所の目玉は
ブッチャードガーデン。
1年中花が咲き乱れる庭園で、
世界有数の美しい花の庭園。
そしてビクトリア湾は美しく、
英国より英国らしくという詠い文句通り、
見事なまでに美しい風景が拡がっていました。

ブッチャード・ガーデン
ビクトリア

アンダルシアの熱い風ー3

スペインの風景――。
アンダルシアを覆う一面のひまわり畑は、南欧らしい明るい風景ですが、地中海に面した白亜の街・ミハスもまたスペインを彩る美しい風景です。建物も、小径も、壁も全て、辺り一面が真っ白。あたかも街全体が白装束をまとったように白く美しく輝いて、見下ろせば地中海の青い海が広がっている。これぞ地中海!、これぞスペイン――。6月の陽の光が眩しいスペインの風景でした。

白い街・ミハス――。
白壁の家が続くミハス。地中海に面したこの街は、太陽の海岸と呼ばれるコスタ・デ・ソルを見下ろし、夏ともなれば陽の光が降り注いで、街は灼熱色に染められます。白い石畳の坂を上り、坂道の両側の家並は、白一色に染め抜かれている。これも住む人の知恵。夏の暑さから身を守るためこの白い街が出来ました。おおらかなスペイン人、とりわけアンダルシアの人々は、おおらかそのもの。地中海の向こう岸はアフリカで、夏の暑さは半端ではないらしい。そのせいか夏にはシェスタと呼ばれる昼寝の時間がある。夏の暑さを避けて睡眠をとり、夕暮れ時から活動する。これもまた生活の知恵です。しかし、単にのんびりしているだけならいい。値札が当てにならないアラブ商法は、しばしば観光客をとまどわせます。咽喉が渇いて、とある小さな店でジュースを注文すると、その店のおじいさん、やおらコップをとり出し生ジュースを絞り器で絞る。のんびりの度を越して緩慢としか言いようがない。それでもじっと我慢の子で、差し出されたジュースにひと安心する。ところが手にした釣銭に驚く。足りない、間違うはずないのに。
――違う、違う!
と大きく手を横に振ると、釣銭を数え直してやっと残りのお釣りが戻った。
短いミハスの滞在時間に、そればかりじゃなかった。両替のために両替屋を探したが見付からないので、手近なホテルのフロントに飛び込んだ。ほっとしたのも束の間、戻るべき金額が違う。ポケットからスペイン語の手引書を取り出し、
――違う、違う!
と言うと、手に広げたお金を見ながらやっと納得したらしい。手を広げ大袈裟な身振りをしながら再び両替を始めた。

ミハスの闘牛場

その一方で、こんな地中海の片田舎にも、スペイン人の血が躍るらしい。地中海をのぞむ高台に世界で一番小さな闘牛場がある。生きた牛を殺す闘牛は残酷そのものと、毎年、動物愛護協会からお叱りを受けるが、
――あれは殺傷ではない、
既に芸術の域に達している、
と全く応じる気配がないのだそうだ。小さな闘牛場に、血気盛んな住民が集まって、血湧き、肉躍る一大イベントが繰り広げられるらしい。
余りにものんびりしたアンダルシアと、血気盛んなスペイン人の血、理解できるようで、よくわからない。気忙しいばかりの日本人の気質には、スペイン人の気質は理解しがたいかも知れない。

さてさて話は、飛んで火に入る夏の虫。出逢いがあり、出逢いが更に出逢いを呼びました。マドリッドのホテルで朝食に向かうエレベーターの中で、一人の女性が声をかけてきた。
――どうでした。夕べは眠れましたか?
との話から、スペインの強盗団が気がかりなことなどを話しました。旅は道連れ世は情け。以後は3人連れとなって傍目にもそう映ったらしい。
その当時、30代半ばの女性。人生を語るも涙、それぞれの想いと、失意と、しかし、しっかりと生きている女性の強さを見た気がします。セビリアのホテルではワインなどを買い込んで夜中まで人生談義に花を咲かせました。
この女性、旅なれた女性で、かつては旅行会社に勤務して旅のことならお任せというほど精通していました。

セビリャ

旅のツアーの中にひとり旅の男がいた。彼女いわく、女性のひとり旅は珍しくないけど男は・・、と言い、男なら個人旅行で行けば!と。要は男とあろうもの、それでは甲斐性がないではないかと言うわけです。ともあれ、ひとり旅の男、秘密のベールに包まれていました。
――秘蔵のワインを求めて旅をしている。
――スペインワインに精通している。ワインのことなら彼に訊け。
――スペイン料理の達人らしい、
などなど、とツアー仲間がささやく。しかし、結局は一人で黙々と旅をする雰囲気が却って謎を呼ぶらしい。そこで何はともあれ話しをするきっかけを、と。旅行後半のある昼食で、一緒に食べませんかと話し掛け、まずは話のきっかけを。旅行最終日のバルセロナでは、彼女に加えて夜は4人で大通りに迫り出したバルで我々と共に食事をしました。その彼、かつてはフランス料理を学び、今はスペイン料理の達人を目指して頑張っているという。楽しい夕べのひと時を過ごしました。
2018.4.13

アンダルシアの熱い風ー2

誰がために鐘は鳴る

勝手な思い込みのスペイン紀行。一人合点の思い込みの中にこそ旅の愉しみは満載です。そんな思い出をほんの少し提供します。
スペインといえば僕自身は「誰がために鐘は鳴る」という映画を思い出します。アメリカの文豪、アーネスト・ヘミングウェイの原作によるスペイン内戦を舞台にした悲恋物語ですが、映画ではゲーリー・クーパーと知的美人女優として有名なイングリット・バーグマンが共演し、一世を風靡しました。僕自身は東京のリバイバル館で見ましたが、スペインの山岳地方を背景にした戦争映画で不思議な余韻を残しました。その風景が脳裏に刻まれて、スペインといえば映画の中の、その風景を思い出します。
そして、スペイン映画の代表作として「禁じられた遊び」があります。しかし、映画もさることながら、その哀切を伴うギター演奏が有名で、あのメロディは独特のスペイン旅情を醸し出しています。
こんな風に、スペインは同じヨーロッパでありながら、異質の風景と文化を感じます。それはスペインという国が、ピレネー山脈を隔ててイベリア半島の中に取り残されて、独特の歴史と文化を築いた国だからでしょうか。フランスと隣接しながら独自の海運国として発展した国。古くはスペイン王国として地中海を舞台に世界を席巻する強大な国を誇っていました。そして文化も、キリスト教文化とイスラム文化が交じり合い、建物もアジアンペーストの不思議な文化を醸し出しています。それがまた、スペインのスペインらしい魅力といっていいのかも知れません。ヨーロッパの陸の孤島。古くて新しい文化。そんな匂いをあちらこちらに感じます。
スペインにはさまざまな文化遺産がありますが、その代表的なもののひとつとしてアルハンブラ宮殿があります。グラナダにあるこの宮殿は、200年以上にわたり栄華をきわめ、イスラム教文化とキリスト教の文化が混在しています。赤茶けたその建物は、古く、いかめしく、いかにもスペインらしい建物ですが、細かく見ていくと精緻を極めた技巧が眩い光を放っています。この宮殿のテーマ曲である「アルハンブラ宮殿の思い出」は、「禁じられた遊び」と共にナルシソ・イエペスによる有名なギター曲ですが、深い哀愁をひめた名曲です。

アルハンブラ宮殿↕↓

ギター演奏はそうした曲ばかりではありません。フラメンコとギター。そして真っ赤なマントを手にした闘牛士の姿が、むしろスペインらしいと言えるでしょう。ツアーにはフラメンコを鑑賞する時間もありました。
スペインを代表する文化には、ガウディの建築もあります。バルセロナのグルニエ公園や、サグラダ・ファミリア大聖堂など一見の価値ありです。そしてまた、スペインは、ピカソやダリなど世界的な芸術家を輩出し、とりわけ目を引いたのは、マドリッドのプラド美術館でした。世界の三大美術館の一つともされ、その豪華で迫力ある芸術作品は、本当に驚かされます。観る者を圧倒し、その絢爛豪華な大作が居並ぶ姿は、芸術の殿堂に相応しい風格がありました。

サグラダファミリア

2018.4.11.

アンダルシアの熱い風-1

アンダルシアの熱い風――
地平線の彼方まで広がる大地に一面のひまわり畑。かつて「ひまわり」という映画があって、ひまわり畑が実に印象的に描かれていました。友人のひとりはこの映画を痛く気に入っていましたが、僕は僕で、
――でもねぇ、あの映画はねぇ、
と講釈を垂れて異論を唱えました。しかし、映画の評価は別にして、あのひまわり畑は今もスペインを語る風景として、しっかりと脳裏に刻まれています。その再現を、とばかりではないですが、車窓から果てしなく広がるひまわり畑を期待しつつ、2001年6月半ば、機上の人となりました。しかし時期を外したのか、さすがに一面の花畑とはいえませんでしたが、それでもヒマワリの畑は見事で、きっとあの風景を懐しく思い出すときが来ると思います。

アンダルシアのひまわり畑

さてさて話はスペインの旅。機上では、ケビン・コスナーのそっくりさんに会いました。本当にコスナーによく似た機内乗務員で、甘いマスクのいい男。思わず見とれました。そして旅の始まりはマドリッド。成田を発ち、翌日の夜にはマドリッド空港へ。そしてマドリッドでのガイドさんの第一声は、
――日本人観光客を狙った羽交い絞め強盗が出没します。それは特に、白昼、人通りの多い場所に出ます。
さらにいわく。
――盗られても追いかけないで下さい。とても危険です!
実際に、この羽交い絞め強盗団らしき集団に出くわしました。マドリッドのスペイン広場でのこと。銅像の前でビデオを廻していると何やら手招きする男が。もしかして、狙われているのは、俺?・・あの手招きは獲物がいるとの仲間への合図!。まぁこの場は、とりあえず事なきを得ましたが……。
もうひとつは泥棒さんとの出逢い。これはバルセロナでのこと。駅前広場を歩いていると、女の人がパンフレットらしきものを広げてなにやら話し掛けてくる。買わないか、これほしくないかと…。Non!Non!、と言いながら立ち去ると、その女は後ろに廻ってリュックに手をかける。咄嗟に飛びのいて振り向くと、何でもないよ、という仕草で笑っていた。
とんでもない、ふざけるな!・・・
旅は危険との背中合わせ。スペインはスリや泥棒さんが多い。しかし、危険があって、未知との出会いがあって、それこそが旅の醍醐味と言うもの。だから仕方ないか・・。

ミハス

スペインは文化遺産の宝庫。そのひとつひとつは今では記憶もおぼろげですが、ミハスの白い家やアルハンブラ宮殿、ガウディの描く稀有壮大な建築物、そしてトレドやマドリッドなど、印象深い風景は忘れがたく記憶の中にとどまっています。何はともあれ、南欧の熱い息吹を浴びて、スペインの魅力を堪能した日々でした。懐かしい思い出もたくさんありますが、ミハスで釣銭を間違えたカフェの親父や、両替の金額を意図的に間違えたとしか思えない中年のホテルマン。何と適当で、いい加減と思いましたが、あれがきっとスペインでアンダルシア……。あのいい加減さが、裏を返せば大らかさで、スペインのよさでもあるのかもしれない。そして片手にスペイン語会話のガイドを手にしての会話と将来のスペイン料理の達人との語らいも忘れがたい思い出になりました。

2018.4.9

 

 

 

 

 

メルボルン紀行②/カウントダウン花火

メルボルン3日目。

ご主人は銀行へ出勤し、
5時ちょうどにホテルに迎えに来た。
彼が勤める銀行はメルボルン市内。
迎えに来たときは、
日本のお堅い銀行員のイメージからほど遠い
スニーカーにバックパックという軽装。
毎日、こんな格好で出勤しているらしい。
電車に乗って約50分。
メルボルン市内を走り抜いて、
小さな田舎駅が彼の住んでいる町。
駅から車で数分ほど走り、
住宅街の一角に彼の家がある。
平屋の小奇麗なレンガ造りで、
外国人の家に案内されるのは初めて。
それほど広くはないが、
庭は塀で仕切られ
デッキにはバーベキュウの道具があった。
夕食を終える頃に
三々五々人が集まり、
やがて15人ほどになった。
これがクラクネル家のビッグファミリー。
個人の生活を大切にするとともに
家族の結びつきも大事にする。
これが彼らの流儀なのだろう。
かあるとこうして近隣の家族が集まり、
歓待し、歓談し、楽しく過す。
甥や姪がとにかく可愛い。
cuteで、sweetで、
しゃぶしゃぶにあえにら、
っていう感じ。
帰りに近くの
クリスマスデコレーションを見に行った。
水着姿のサンタはいなかったが、
家々を飾るイルミネーションは
見事というか、
ディズニーランドに迷い込んだような
煌びやかな世界だった。
これぞ欧米流のクリスマス!
教会の礼拝を欠かさない人も、
クリスマスイルミネーションは欠かせない。
この夜でクラクネル家とはお別れだったが、
普通の観光旅行ではない
思い出の旅ができたように思う。

クリスマスイルミネーション

その後、シドニー滞在3日間

翌日の夜、シドニー湾クルーズに出かけた。
シドニー桟橋から出発する船で食事付。
夜景を眺めながらの
浪漫あふれるクルーズでした。
夏とはいえ少し涼しく、
夕暮れどきの桟橋は
舟に乗り込む長蛇の列で賑わっていました。
乗舟すると席に案内され、
食事をして、ワインを飲んで、
ほろ酔い加減の心地よい気分になった頃に、
デッキに舞い込む。
オーストラリアも日没が遅い。
陽が傾いたのは8時頃だったと思う。
湾内の涼しい風が頬を撫で、
舟から望む夜景は、
色とりどりのイルミネーションで輝いていた。
湾内を往復し、
貝殻を重ね合わせたオペラハウスが見え、
目を移せばシドニーブリッジが聳えている。
至福の瞬間――
シドニーの美しい夜景を見ながら、
幸せな気分に浸りました。

大みそかのカウントダウン花火
オペラハウス↑シドニーブリッジ↓

印象的だったのは
シドニー名物の大晦日の花火でした。
9時と12時の2度打上げられ、
2回目はカウントダウンの花火。
僕らはホテルを抜け出して
花火の見える広場に繰り出す。
12時の時報を合図に
シドニーブリッジに仕掛けた花火が
一斉に点火し、
空にも華々しく花火が打上げられた。
見応えのある花火でした。
欧米ではカウントダウンの瞬間、
誰とキスしてもよいと聞かされていたが、
残念ながら
期待していたキスの嵐はありませんでした。
2018.3.21