夜はディナーへ。
店の名前は「オ・リヨネ」。
オペラ座の近くの繁華街の裏手にある。
フランスの三ツ星レストランのシェフが、
プロデュースしたカジュアルな店で、
東京の銀座にも姉妹店がある。
娘がそれを知っていて予約してくれた。
さすが、と思ったが、
フランス語なんて無理でしょ!・・
まずは、ホテルに帰ってひと休み。
そしてレストランに向かう。
オープンは7時半。
一番乗りだったが30分後には満席。
仕事帰りのグループが陣取っていた。
カジュアルというのは、
肩肘張らずフランクに過ごせるということ。
食前酒にワインを注文。
と言ってもメニューを見てもわからない。
お勧めの白を、と注文したが、
素晴らしくうまかった!
ちょっと酸味があって
冷え冷えとしたワインだった。
そして前菜、メインディッシュと、
なんとなく説明を聞いて、
なんとなく注文。
この店の味はなかなかいけた。
しかし、メインディッシュが来る前に満腹で
デザートなんて無理ッ!
と精算を済ませて店を出るのでした。
コレでワインも含めてひとり5000円ほど。
パリの一流シェフの味を愉しみました。
旅は非日常の世界――。
国境を越えて異文化を体験し、
そこでは見るもの全てが新鮮で、
様々な感動や出逢いがある。
ツアーに同行した添乗員さんもそのひとり。
若い頃はバックパッカーとして世界を旅し、
旅好きが高じてOLから転職して、
ツアーガイドという仕事に辿り着いた。
天職ともいえる仕事で、
その意味では恵まれている。
しかし、
――人生は何があるかわからない。
彼女はそんなことを口にし、
――人生は山あり谷あり。
愉しいときもあれば、辛いときともある。
だから今できることを精一杯して下さい、と言う。
彼女の人生訓のようにも思えたが、
ほんの少し場違いに感じた。
そして最後のフリータイムを残した日の夕方、
――今回の震災では、
多くの方々に励ましの言葉を戴きました、と話し、
それが何を意味するのかわからず聞いていると、
――私の実家は陸前高田です。
と切り出した。
陸前高田は東日本大震災で、
津波に呑まれ壊滅的な被害を受けた町。
――私はテレビで、
自分の家が流されていくのを見ました。
震災から3か月。
――実は、私の母は今も行方不明です。
震災の後、家に向かいましたが、
それを見て愕然としました。
自分が育ったふるさとが何もかも消えている。
瓦礫になって
家がどこにあったのかさえわからない。
親類や友人にも亡くなった人がいる。
私は今も母の生存を信じ、
仕事が終われば帰りますが、
色々な悔いが残ります、と話していた。
彼女はツアー途上で、
――こんなことをしていられる心境ではないんです。
と話していたが、
そのときその理由を知った。
こんなときツアーガイドは辛いだろう。
昼間は忙しさに追われ、
大勢の人に接している。
けれど部屋に帰ればひとり。
しかも異国の空の下。
それでも仕事をしなければ生活できないし、
淋しさや辛さを忘れるため仕事に没頭する。
震災の傷跡は癒えない。
人の心の傷はなかなか癒えることはない。
ふるさとを失い、
母親は生死もわからない。
振り返ると思い出はいっそう辛いものになる。
悲しくて、淋しくて、
遣り切れない気持ちになるだろう。
そんな日々の3ヶ月を過ごして、
けれど決して忘れられないし、
忘れることもない。
そんな日々の色々な想いを、
声を詰まらせながら話していましたが、
彼女の笑顔の影の、心の奥に、
そんなことがあったのかと、
なんとも切ない気持ちになりました。
2018.7.4
前後しますが、
市内観光の写真を。



ヴェルサイユ宮殿
