巴里の空の下で-4

夜はディナーへ。
店の名前は「オ・リヨネ」。
オペラ座の近くの繁華街の裏手にある。
フランスの三ツ星レストランのシェフが、
プロデュースしたカジュアルな店で、
東京の銀座にも姉妹店がある。
娘がそれを知っていて予約してくれた。
さすが、と思ったが、
フランス語なんて無理でしょ!・・
まずは、ホテルに帰ってひと休み。
そしてレストランに向かう。
オープンは7時半。
一番乗りだったが30分後には満席。
仕事帰りのグループが陣取っていた。
カジュアルというのは、
肩肘張らずフランクに過ごせるということ。
食前酒にワインを注文。
と言ってもメニューを見てもわからない。
お勧めの白を、と注文したが、
素晴らしくうまかった!
ちょっと酸味があって
冷え冷えとしたワインだった。
そして前菜、メインディッシュと、
なんとなく説明を聞いて、
なんとなく注文。
この店の味はなかなかいけた。
しかし、メインディッシュが来る前に満腹で
デザートなんて無理ッ!
と精算を済ませて店を出るのでした。
コレでワインも含めてひとり5000円ほど。
パリの一流シェフの味を愉しみました。

旅は非日常の世界――。
国境を越えて異文化を体験し、
そこでは見るもの全てが新鮮で、
様々な感動や出逢いがある。
ツアーに同行した添乗員さんもそのひとり。
若い頃はバックパッカーとして世界を旅し、
旅好きが高じてOLから転職して、
ツアーガイドという仕事に辿り着いた。
天職ともいえる仕事で、
その意味では恵まれている。
しかし、

――人生は何があるかわからない。
彼女はそんなことを口にし、
――人生は山あり谷あり。
愉しいときもあれば、辛いときともある。
だから今できることを精一杯して下さい、と言う。
彼女の人生訓のようにも思えたが、
ほんの少し場違いに感じた。
そして最後のフリータイムを残した日の夕方、
――今回の震災では、
多くの方々に励ましの言葉を戴きました、と話し、
それが何を意味するのかわからず聞いていると、
――私の実家は陸前高田です。
と切り出した。
陸前高田は東日本大震災で、
津波に呑まれ壊滅的な被害を受けた町。
――私はテレビで、
自分の家が流されていくのを見ました。
震災から3か月。
――実は、私の母は今も行方不明です。
震災の後、家に向かいましたが、
それを見て愕然としました。
自分が育ったふるさとが何もかも消えている。
瓦礫になって
家がどこにあったのかさえわからない。
親類や友人にも亡くなった人がいる。
私は今も母の生存を信じ、
仕事が終われば帰りますが、
色々な悔いが残ります、と話していた。
彼女はツアー途上で、
――こんなことをしていられる心境ではないんです。
と話していたが、
そのときその理由を知った。
こんなときツアーガイドは辛いだろう。
昼間は忙しさに追われ、
大勢の人に接している。
けれど部屋に帰ればひとり。
しかも異国の空の下。
それでも仕事をしなければ生活できないし、
淋しさや辛さを忘れるため仕事に没頭する。
震災の傷跡は癒えない。
人の心の傷はなかなか癒えることはない。
ふるさとを失い、
母親は生死もわからない。
振り返ると思い出はいっそう辛いものになる。
悲しくて、淋しくて、
遣り切れない気持ちになるだろう。
そんな日々の3ヶ月を過ごして、
けれど決して忘れられないし、
忘れることもない。
そんな日々の色々な想いを、
声を詰まらせながら話していましたが、
彼女の笑顔の影の、心の奥に、
そんなことがあったのかと、
なんとも切ない気持ちになりました。
2018.7.4

前後しますが、
市内観光の写真を。

ルーブル美術館/ミロのヴィーナス
モナリザ

ヴェルサイユ宮殿

 

ムーランルージュ

 

 

 

巴里の空の下で-3

6日目、最終日。
終日フリータイム。
この日をどんな風に過ごすか、
それによって旅の仕上げが変わる。
いわば旅のテイストを決める
調味料のようなもので、
この日については色々想いを巡らせた。
どこに行きたいか、
市内観光で残った所はどこか。
その筆頭にあったのがオルセー美術館。
ルーヴルではなく、
印象派の巨匠の絵画が並ぶこの美術館は、
愛好家には見逃せない。
そしてパリの美味しいスイーツの店や
有名ブランドのウィンドーショッピング。
セーヌ川をクルーズし、
凱旋門の上からパリの街を一望して、
シャンゼリゼを歩いて、
最後の仕上げは、
パリのレストランでディナーを。
そんなことを考えながら、
旅の道標の手助けをしてくれたのは娘でした。
日本でパリのレストランを予約し、
メトロのルートを丹念に調べ、
辿るルートの道案内をする。
そんな風にして
旅マップを作って戴きました。

しかしそのルートを
忠実に辿らなかったことが災いした。
最初の予定は凱旋門だったが、
早い時間に店はあいていないし、
オルセーは朝から人が並ぶと考えて、
凱旋門ではなく、
オルセーからスタートすることにした。
メトロから乗り換えて、
もうひとつの地下鉄RERに。
しかし乗換でハプニング。
電車が来ていたので
行先を確かめもせずに飛び乗った。
メトロはひと駅が1分ほど。
間違えたら乗り換えればいいや、
くらいに思っていたが、
反対方向に走っていった。
それも郊外を走るRERは
ひと駅がやたら長い。
パリ郊外をひた走り、
額から冷や汗が流れる。
途中駅をノンストップで走り抜け、
降りた所は乗ってから20分以上過ぎた駅。
傍らの同行者はすっかりオカンムリ。
無理もないか・・。
しばらくは口もきいてくれませんでした。
そんな訳で1時間近くロスして、
入念にチェックしたはずの道案内を
台無しにしてしまった。
旅の案内人さん、ごめんなさい!

オルセー美術館に到着。
長蛇の列ができていたが20分ほどで入る。
オルセーは駅舎を改造したもので、
変わった構造だった。
館内の中央は主に彫刻類で、
両側に印象派の絵画が並んでいて、
そして、あの名画が、
これも、あれも、それもという具合に
本で見た印象派の有名絵画が並んでいた。
ルノアール、ゴッホ、セザンヌ、
ゴーギャンなど、
此処に来れば
印象派の全てを知ることができる。
短い時間でしたが、
絵画鑑賞を愉しむことができました。

そして再びRERに乗って
エッフェル塔の下の駅へ。
とは言っても塔に昇るのではなく、
セーヌ川クルーズが目的。
RERを降りると目の前はエッフェル塔。
パリのシンボル。
赤茶けた鉄骨で組まれた重厚な建築は、
デザインの美しさ、
その存在感で、
ほかを圧倒して世界一!
クルーズ船は天井がガラス張りで、
開放感いっぱい、
天気も最高。
セーヌ川クルーズのお膳立ては出来た!
と思っていましたが、
船内にはパリっ子の小ギャルが占領する。
ピーチクパーチク。
最初から最後まで騒がしく囀りまわる。
しかしこんな騒音も一斉に発せられると、
どことなく子守唄に聴こえる。
騒音がいつしか眠りを誘い、
そんな風にしてセーヌ川を往復し、
川べりに並ぶルーヴルや、
オルセー、ノートルダム寺院などを見ながら
約1時間。
子供たちの囀りを枕に、
しばし心地よい時間を過ごしました。

エッフェル塔
セーヌ川クルーズ
凱旋門の上から

次はメトロに乗って凱旋門へ。
250段の長い、長い、
螺旋階段を昇って屋上へ。
これがきつかった。
息を切らして屋上へ昇れば、
そこからパリの街を一望する。
パリは凱旋門を中心に
放射線状に道が伸びている。
その日は天気もよく、
パリの空はさわやかに晴れわたっていました。

凱旋門からシャンゼリゼ通りへ。
ひっきりなしに車が往来し、
両側を広い歩道が並行している。
まずは、セゾン・デュ・ショコラで
エクレアを買い、
それを食べながら昼食にしよう。
この店は言わずと知れたパリの有名チョコ店。
とは言っても日本にもある。
有楽町駅の近くの日比谷店や表参道店。
今では店舗も増えている。
以前、この店の評判を聞いて
チョコを買いに行ったことがある。
有楽町駅から徒歩3分ほど。
手狭な店に人がいっぱいで、
やっぱり人気店。
驚くのはそれだけじゃない。
値段を見てびっくり。
小粒のチョコが体裁のよい箱に入って
3,000円以上がザラ。
高ければ1万円以上もして、
まるでチョコの宝石箱。
でもパリに行ったら本場もんの店に行きたい。
パリにもいくつかあるが、
あえてシャンゼリゼ通りの店へ。
NETで見ればエクレアが評判。
パリに行けば必ず買うよ!
という人が何人もいる。
実はガイドさんもこの店を紹介していた。
私はパリに来ると必ず
エクレアのチョコを買います。
ルーヴルにもありますよ。
主人にも買って帰りたいけど、
チョコレートはねぇ、夏は融けちゃうし、
と話していました。
そして通りの裏手にあるこの店を発見し、
シャンゼリゼ通りで食べました。
確かに旨い!
コレが世界一の味かと感心しました。

今夜はFIFAワールドカップの
トーナメント1回戦、
日本対ベルギーです。

2018.7.2

巴里の空の下で-2

3日目、
モンサン・ミッシェル。
パリの西方300kmの、
サン・マロ湾に浮かぶ小島で、
年間300万人の観光客が訪れるフランス最大の観光地。
その魅力はなんといっても、
潮の満ち引きによって浮かぶ神秘的な姿でしょう。

その歴史は8世紀に遡る。
地区の司教が大天使・ミカエルのお告げにより、
この島に礼拝堂を建てたのが始まり。
その後、10世紀にノルマンディ公が修道院を建て、
増改築を繰り返して、
16世紀にほぼ現在の姿になったという。
しかし百年戦争の時代は、
英仏海峡の要塞の役目を果たし、
18世紀末のフランス革命以後は監獄として使用。
20世紀半ば修道院が復元され、
1979年に世界遺産に登録・・。
とまぁこんな具合です。

モンサン・ミッシェルは、
その姿が印象的ですが、
内部はあまり知られていない。
しかし実際に訪れると結構面白い。
島内に入ると清水寺の門前町よろしく、
狭い通路の両側にみやげ物店が並んでいる。
その入口付近には名物のオムレツの店がある。
その日の昼食に島の外のレストランで食べましたが、
ふわふわとして、
頬張ると融けてしまいそうな食感。
しかしそれほど美味しいとは思えない。
名物に美味しいものなし。
経験として一度食べてみるのはよいでしょう。

食事の話のついでに、
前日のランチで、
ちょっとした事件がありました。
ルーアンでの出来事。
名物の鴨料理の予定だった。
レストランに向かい、
まずは確認のため添乗員さんが店に入る。
けれどなかなか出てこない。
なにかあったなとは思ったが、
しばらくして添乗員さんは、
困った顔をして出てきた。
――実は、予定した鴨料理を
別のツアーの人が食べてしまったんです!
やむなく彼らがランチする予定だった店に向った。
事の顛末はこうだった。
我々の鴨料理を食べてしまったのは、
中国人のツアー。
ガイドさんはレストランを勘違いし、
受けたレストランもよく確認もせず、
そのまま食事をした。
レストランは人数が違うのにフリーパス。
中国人と日本人の区別もできなかったらしい・・。
ありえねぇ!
中国人が食べるはずだったレストランも、
まだ来ないのか!と言って待っていたらしい。
本当にありえねぇ!
そのガイドさんも、レストランも、
なんてぇこった!
中国人ツアーにとっては、
さぞかし鴨がねぎしょってやって来たに違いない!
その後、添乗員さんは、
旅行会社の店長さんと交渉したらしい。
――みなさん、そんなにお怒りなのか!?
と言われたと言う。
その言葉にみんなは「うん、うん」と頷く。そして、
――ツアーの最後に鴨料理を出すことになりました、とさ・・

4日目。
ロワール地方の
古城巡りとシャルトル。
ひたすら西進し、
別ルートを辿ってパリへ向かう。
フランスの城は美しい。
幾多の戦争の歴史と
王侯貴族の栄える中世を経ているだけに、
自らの覇権と栄華を誇示するように、
城を美しく着飾る。

この日はロワール地方の
3つの城を巡りましたが、
その中でもシャンポール城は華麗にして優美。
本当に美しい。
しかし城はパリから遠く、
王の狩猟用の城だったため住むには適さず、
周囲に食料を得る手段もない。
同行した2000人分の食べ物を持参する必要があって、
その費用は莫大。
自然に足は遠のいたという。
その後も調度品を揃え、
城を修繕したが、
荒れるに任せた時代もあり、
外見ほどの華麗な歴史はないらしい。

シャンポール城

先行して訪れたのはシュノンソー城。
城内を見学したが意外に質素。
城の敷地は広いものの、
城内は手狭に感じたし、
その後、見学したヴェルサイユ宮殿を思い浮かべると、
その華麗さは比較することもできない。

シュノンソー城

この日、最後に訪れたのはシャルトル。
なんの知識もない歴史遺産でしたが、
大聖堂の威容に圧倒されました。
世界広しといえども、
これほどの数と、
これほど美しいステンドグラスはないと思う。
暗闇の堂内に案内され、
全面に施されたステンドグラスを目にしたが、
それが余りにも眩く、美しい。
建物そのものもフランス国内で
最も美しいゴシック建築とされている。
1979年、世界遺産に登録。

ルーアン大聖堂のステンドグラス

ふと目にした風景。
シャルトルの街に咲くあじさいの花。
季節も6月で、
日本とほぼ同じ時期に咲いていました。
ほんのひとときの憩いのとき・・

ふと目にした風景。 シャルトルの街に咲くあじさいの花。 季節も6月で、 日本とほぼ同じ時期に咲いていました。 ほんのひとときの憩いのとき・・

2018.6.29

巴里の空の下で-1

どれほど人の感性が豊かで、
想像力に富んでいたとしても、
目にした瞬間の感動に優るものはない。
旅の始まりは7年前。
東日本大震災があった年の6月半ばで、
ちょうど今頃の季節だった。
成田を昼前にtake-off。
フライトは12時間だったが、
窓を閉めても眠ることができず、
飛行機の中では映画鑑賞。
時差は7時間で到着は夕方。
ましてヨーロッパの昼は長く、
6月は10時になっても陽射しが眩しい。

そんなわけでパリの1日目。
到着した日はモンマルトル行きを決行。
ホテル近くのメトロ駅から6駅で約15分。
パリのメトロは初めてだったが、
しっかり予習もして思いのほか簡単、
覚えてしまえば迷うこともない!?
パリの地下鉄は、メトロとRERの2種類。
市の中心部をメトロが網羅し、
これが便利。
切符は1枚で200円ほど。
カルネを利用すれば10枚綴りで約1500円。
パリ市内はどこまで乗っても、
何度乗り換えても1枚でOK。
東京のメトロよりも遥かに安い。
改札も簡単で東京のメトロとほぼ同じ。
但し、乗降客がいなければドアは開かないから、
自分でボタンを押すかノブを回す。
その辺りが歴史の古いパリのメトロらしい。
電車は古く郊外に行けばなんとなく薄汚れて、
東京のメトロのクリーンなイメージとは違う。
メトロの路線は1号線から15号線まであって、
どの路線の、どの方向か。
行先の駅名を探して何駅目で降りればよいか。
それさえしっかり抑えれば間違うことはない!?

そんなわけで夜8時過ぎに
モンマルトル近くの駅に到着。
メトロの出口から出て見上げれば、
サクレ・クール寺院の白亜の殿堂が聳えている。
坂や階段を昇ってひたすら寺院を目指す。
やがて視界がひらけ、
寺院前の青い芝生が目に映り、
さらにその上に寺院へ向かう階段がある。
そして展望台で振り返れば、
パリの街が一望できる。
この日は土曜日。
サクレ・クール寺院前の芝生や階段には、
大勢の人が押し寄せて、
時間を追って人が増える。
芝生や階段に腰を下ろして、
寝そべり、思い思いに過す。
これがパリの人たちの、
週末の夕暮れどきの過ごし方だろうか。
おおらかで、優しく、
パリに沈む夕陽を眺めながら宵闇が迫る。

サクレクール寺院

モンマルトルの丘にテルトル広場がある。
広場には何人もの絵描きがいて似顔絵を描き、
それをイーゼルに載せ、
あるいは地べたに並べて展示している。
それは時を経ても変わることのないパリの風景、
モンマルトル広場の風景といえる。
しかし、その風景も
初めて訪れた30年前とは少し違っている。
広場には今では所狭しとカフェが並び、
中央にもカフェが陣取って、
広場の大半をカフェが覆っていると言ってよい。
娘が旅行前にパリのガイドブックを作ってくれた。
その道案内には「テルトル広場でカフェを!」とあり、
それに従って店のアタリをつけていると、
カフェの入口に立っている綺麗なフランス女性に目が止まる。
その瞬間、その人が歩み寄り、
――カフェ?、と訊くので、
――ウィ!、と答え案内されるまま店に入る。
少し寛いで案内した女性に請求書とコインを渡すと、
なぜかそれを握り潰す。
さらにチップを渡すと、
――メルシー!と笑顔を返してくれた。
パリの夕暮れどきのカフェで
憩いのひとときを過ごしました。

テルトㇽ広場の絵描き

2日目は、ジルベルヴェニーからルーアン、
そして、モンサンミッシェルへ。
ジルベルヴェニーは、
パリ市内からバスで1時間半。
印象派の大家・モネのアトリエがある所で、
そこに庭園を造り、
そこで描かれた睡蓮の連作は有名。
日本愛好家としても知られ、
彼のアトリエには多くの浮世絵が展示されていた。

ジルべーニュ/モネのアトリエ

さらにルーアンへと向かう。
ルーアンにはノートルダム大聖堂があり、
ゴシック様式の最高建築のひとつとされ、
12世紀に工事が始まり16世紀に完成。
尖塔は150mの高さがあり、
フランスで一番高いという。
隣接してジャンヌ・ダルクを祀る教会がある。
彼女が火刑にあった広場に面して建てられていたが、
そうした暗い影は微塵も感じさないモダンな外観で、
教会とは思えない開放感があった。

ルーアンの大聖堂

さらに1時間。
モンサン・ミッシェルへ向かいホテルに到着。
部屋は思いのほかこざっぱりとして、
食事もまずまず。
夕食後、モンサン・ミッシェルの夜景を見物し、
ライトアップされた建物を観た。
2018.6.27

南イタリアの旅⑤/青の洞窟

◆カプリ島(青の洞窟)

マテーラから送迎用の車で鉄道駅へ。
暫く待ってホームに入ると、
殆どの客は車両の前方へ向かう。
でも、混んでるからこっちがいいよ、
と後部車両の乗車口で待つ。
しかし、車両の前に客が集中する訳を
乗ってから知った。
僕らが乗った車両は冷房がない。
ところが、前の車両を覗くと冷房が効いていて涼しい。
そうかぁ!と思ったが、空席はない。
仕方なく後部車両で、
我慢!我慢!の時間を過ごしました。

4時間後にはナポリ駅に到着。
物価の話題で欠かせないのがタクシー料金。
僕らはスーツケースを3つ抱え、
タクシーに乗ることになったが、
ナポリはボッタくりで有名。
ガイドブックやNETでも
この手の話題が満載で、
最近は治安が良くなったとはいえ、
日本人は狙われやすいという。
電車は3時過ぎにナポリ中央駅に到着し、
その後タクシーに乗る。
行き先はカプリ島行きの高速船乗り場。
駅前のタクシー乗り場で、
小型タクシーがせっせとスーツケースを積み込む。
行き先を告げると、
早速タクシー運転手が交渉に乗り出す。
港まで15€でどうだ?と。
それぐらいはかかると踏んでいたので、
交渉に応じた。
そして念のため、
タクシーメーターをおろすように頼んだ。
渋々メーターを下ろして7分ほど。
余計な回り道をした様子はなかったが、
メーターは6€50を指していた。
重いトランクを積んでいたものの
倍以上の料金を請求されたわけで、
社交辞令としてチップを差し出したが、
手を振って、それはいいと言い、
笑いながら握手をして去って行った。
そんなに悪い人じゃないかも・・(人がいいか)

カプリ港のマリーナグランデに着いてからも
ホテルまでタクシーを利用。
島内のタクシーは白いオープンカー。
ちょっとしたカプリ気分を味わったが、
ホテルに到着した途端、
メーターが10€にあがった。
荷物の料金なんだそうだ。
そんな訳でタクシー料金は20€+10€。
10分ほど乗って5000円払ったことになる。
僕らのホテルは、
3ツ星のこじんまりとしたホテル。
2つの部屋をコネクティングして、
いかにもリゾート地らしい、
ちょっと変わった造りだった。
テレビでは丁度、
ロンドンオリンピックの開催中で、
フェンシングの太田選手がイタリア選手に勝ち、
女子水泳の400m自由形では、
イタリア選手が金メダルを獲得した。
なかなかの美人で、
引きも切らぬインタビューに丁寧に応えていた。

青の洞窟↓

カプリ島は美しい。
とりわけ青の洞窟は素晴らしい。
カプリの青の洞窟は、
テレビや写真で何度も目にしましたが、
その素晴らしさは、
自分の目で見なければわからない。
青の洞窟までホテル前の停留場からバスに乗る。
翌日の朝、洞窟の前に到着したとき、
手漕ぎボートが何艘も待ち構えていた。
青の洞窟は光の加減で午前中が美しい。
なるべくなら観光客が殺到する前の
早い時間がいいと言われて、
それをしっかり守って9時過ぎに到着した。
幸いにして観光客は殆んどなく、
手漕ぎボートで洞窟の洞内に向かった。
船底に身体を沈めるようにして入る小さな入口。
しかしそこを潜り抜けると
広い洞窟が広がり、
そこには不思議な青い光の世界があった。
その色の不思議さはなんと言ったらいいのだろう。
水の底から青い光が湧きあがり、
透明感のある、美しい青い輝きに変わる。
幸いなことに他に観光客はなく、
広い洞窟を独占した。
船頭さんは張りのある声で
カンツォーネを朗々と歌いあげ、
洞窟内をゆっくりと周る。
慌ててカメラのシャッターを切るが、
フラッシュを炊いてはいけない。
その途端に青の世界は光を失ない、
単なる暗い闇に変わる。
フラッシュがなければ手ぶれしてきれいに撮れない。
カメラを手に悪戦苦闘する僕らを尻目に
洞窟内をさらに周る。
観光客の多いときなら
一度か二度周るだけで終わりだが、
僕らの船頭さんは、
ーーサービスだよ、
と言いながら、三度、四度と、
洞窟内をゆっくりと周った。
そして青の世界の眩惑に酔いながら洞窟を出る。
さらに船頭さん、
ーーサービスだね、何度も回ったねと言いながら、
ーーもういちど行くかい、安くするよ、
となんとも調子のいいことを言う。
仕方ないのでチップを弾むと、
さらに口は軽くなり、
ーーカプリ美しいね、いいところね、
と日本語も飛び出した。
そんな風にして美しい青の余韻に浸りながら、
興奮冷めやらぬといった雰囲気で、
青の洞窟を後にして、
バスに乗り込み次の目的地に向いました。

カプリ島↓

カプリの魅力は、
青の洞窟だけではない。
高い岸壁から見下ろす風景は迫力があったし、
見所となる遺跡もある。
観光客でごった返すウンベルト広場も
洒落た店が並んでいた。
とはいえ、その日もカプリは暑かった。
陽射しの差し込む小道は、
暑くてとても歩いてはいられなかったし、
カプリは周りが海で湿気が多く、
やたらムシムシしている。
そんなわけで、それなりの見物をしましたが、
暑さから逃れたい気持ちが強くて
早々とホテルに退散しました。

カプリ港↓

◆ナポリ

翌日は最終日。
高速船でナポリへ。
この日の夜は日本へ発つ。
最後の食事となる昼食は
ピザを食べると決めていた。
ピザはナポリが発祥の地。
有名なピザ店があるというので
駅のインフォメーションセンターで訊ねたが、
その日は休み。
ほかのピザ店も長蛇の列。
仕方なく屋台風のピザを買い、
路上で昼食。
味はまぁまぁでしたが、
少し味気ない昼食でした。
カプリの夏、暑い夏。
白い建物と真っ赤な花、
灼熱の陽の光が似合う島でした。(完)

ナポリ↓

 

2018.6.13

南イタリアの旅④/マテーラ

翌朝、チャーター便が出迎えて、
アルベロベッロからマテ-ラへ。
10時半にはマテーラのホテルに到着した。
この街を見て最初に感想を洩らしたのは長男。
まるで廃墟の町だね、と。
確かにそんな風にも見える。
白い砂埃が舞いあがりそうな洞穴の家が並んで、
その白っぽい褐色の家並みは、
どんな風に見ても瓦礫の山か、
廃墟の町にしか見えないかも知れない。
しかし、マテーラも世界遺産の街。
かつてはスラム化した街を一掃しようと、
一度は住人を全て追い出して、
人が住むことを禁じた。
しかしその不思議な風景が、
訪れる人には魅力的に見えたらしい。
だからこそ、こうして見事な復興を遂げて、
その威風堂々たる不思議な風景を
蘇らせたのだと思う。
イタリア人の、遺跡や伝統に対する
誇りと信念があったのでしょう。

家は「サッシ」と呼ばれる。
僕らが泊まったホテルも、
このサッシを改修したホテル。
その日は早い時間に着いたので
ロビーらしき所で掃除が終わるのを待っていた。
しかしその広い空間も
ほとんど穴倉とおぼしき風景。
白っぽい褐色の壁や天井は、
手彫りした跡があり、
床は大理石調。
そしてソファや椅子、
調度品なども置かれて、
部屋としての体裁は整えられていた。
やがて通された部屋は二部屋。
横穴式住居風の部屋は天井がかなり高く、
エアコンもベッドもしっかりしつらえてあった。
この穴倉生活は意外に快適だった。
そんなこんなの世界遺産の街。
イタリアでしか出会うことのない風景に
しばし足を止め、
ゆっくりとその街の風情を愉しむことが出来ました。

さて旅先で気になるのは、
物価が高いか、安いか。
イタリアは予想以上に高い。
極端な円安の影響もあった。
1ユーロ170円。
夏のイタリアでは飲み物が欠かせないが、
コレが超高い。
海外では水道水は飲まない。
だから市販の水か、
ぺットボトルの飲み物を買うことになる。
日本なら150円程度だが、
イタリアはコレが2ユーロ60㌣程。
つまり、日本円で450円!
暑い、喉が渇く。
でも、飲み物が高い。
そして食事も
レストランで飲み物を頼み、
パスタなどにちょっとしたサイドメニュー付けて、
とそんな風にして注文すると
一人4~5000円程度は軽くする。
今回は朝食付きですが、
家族4人でそんな食事をしたら
お金がいくらあっても足りない。
そんなときの旅の常套手段として
スーパーを利用する。
どんな国でもスーパーは利用しますが、
そこに行けば現地で暮らす人の顔や生活が見える。
どんなものを食べて、
どんな暮らしをしているのか、
それがわかる気がする。
そんなわけでこのときもスーパーを利用し、
出来合いの食事でも美味しく食べることができました。

2018.6.11

 

南イタリアの旅③/アルベロベッロ

◆アルベロベッロ~マテーラ

今回の目玉は、
アルベロベッロとマテーラ。
この二つの街は、
不思議な家が並んだ異次元の空間で、
世界遺産にも登録されている。

旅の3日目は、
アルベロベッロへ、
そして4日目はマテーラ。
アルベロベッロはトゥルリの街。
とんがり屋根の白い石造り家が並んで、
そこへ一歩足を踏み込めば、
メルヘンの世界に迷い込んだような
不思議な感覚に浸ることができる。
アルベロベッロでは、
そんなトゥルリの家に泊まりました。
とは言え、
見た眼は可愛らしくても、
泊まるのはどうだろうと心配しましたが、
それも杞憂に過ぎませんでした。
トゥルリは石造り。
石の壁はかなり厚く、
外は灼熱の陽射しが照り付けても
家の中は意外に涼しい。
白い漆喰壁の部屋は、
しっかり改修されて小奇麗だったし、
しかも二つの広い部屋が
コネクティングルームとして使うことができ、
広々としている。
内装も風変わり。
トゥルリの生活を感じて
ひと目で気に入りました。

前泊のカルヴィーニョから
アルベロベッロまで車で1時間ほど。
朝市に寄りながら転々として、
目的地に到着したのは12時過ぎ。
途上では愉しい経験をしました。
彼らの夢の家を見学し、
西洋漢方薬と言うような薬屋さんに立ち寄り、
ワインの店にも案内してくれた。
この店は彼らのお気に入りで、
運転しながら
――ちょっと寄ってみない、
美味しいワインがあるよ、と。
――でも、運転中に?
と言うと奥さんが言う。
――大丈夫ですよ、
昼になればレストランで
警官がワインを飲んでいます、と。
南イタリアはシェスタの国。
警官も長い昼休みをとるらしく、
ワインを飲んでゆっくりと休むらしい。
そんなわけで、
広々とした店内でワインを試飲しました。
南イタリアは美味しいワインが安いらしい。
――コレ、美味しいですよ、
とワイン通を自認する奥さんお薦めのワインを買いましたが、
値札は6ユーロ。
日本円に換算しても1,000円程で、
日本で買えば5,000円くらいでしょうね、
と話していました。

2018.6.8

アルベロベッロ

トゥルリの中/宿泊した部屋

 

南イタリアの旅②/イタリアの車事情

イタリアの運転は凄まじい。
たとえイタリアで運転する機会があっても、
絶対に運転したくない。
日本では考えられない運転マナーが多いし、
車を多少ぶつけても平気なようで、
これで事故がないはずはない!
と思っていたが、
意外にも事故は少ないという。
ヨーロッパで見かけるラウンドアバウト、
円形交差点でイタリアにもある。
気が小さい人は車の輪の中に入れないし、
30分たっても曲がれない。
さらにイタリアの運転はミクロの世界。
すれ違うときの僅かな隙間を、
かい潜るように運転し、
その技術はスリリングで神業にすら見える。

オストゥーニの街は道が狭い。
その狭い路地で、
殆ど1cmという僅かな隙間で車が交差する。
それが当たり前で、
道路も信号は少なく、
ラウンドアバウトの輪を
何回も回りながら目的地へ向かう。
ホームステイの彼女いわく、
イタリア人は一度で物事を決められない。
ぐるぐる回っているうちに、
どう行けばいいのかを考えるという。

カプリ島でも、
ミクロの運転技術を披露していた。
島の中を走るバスは、
道路のすぐ横が断崖絶壁で、
落ちてしまうんじゃないか、
と思うような恐怖を味わった。
バスは小さくて四角い。
そのわけは走ればわかる。
バスがすれ違うとき
丸っこいバスでは不都合なんだと気付く。
タクシーも狭い路地を交差するとき、
サイドミラーを引っ込めながら
1cmほどの隙間を走る。
タクシーは白いオープンカー。
馴れているんだろう、
驚くような運転技術を披露する。
狭い島だからこそ、
どの道も知り尽くして運転できるのだと思う。

イタリアは輸入車も見かけるが、
国産のフィアットが圧倒的に多い。
国民車といってもよい。
高級車ではないし、
ちんけな小型が多くて
その殆んどが、
何年も洗車したことがないんじゃないか
と思うほど汚なくて、
切り傷、摺り傷、衝突跡が生々しい。
イタリア人は車を大事にしない。
少なくても日本より遥かにポンコツが多い。
そのときはローマ観光はしなかったが、
ローマに行ったとき感じたことは、
路上駐車の凄まじさ。
道路に沿ってびっしり車が並び、
前も後ろも隙間はほんの僅か。
日本人の感覚ではどう見ても、
あのスペースから車を出すなんて無理ッ!!
と思ってしまうが、
なんのことはない、
隙間はこじあけるの理屈で、
前と後ろの車を交互に押し込んで出る。
バンパーはそのためにあるという。
だからイタリア人に、
お洒落な車を買うなんて発想はないし、
大型の高級車に乗る人は、
よほどお金に余裕がある人か、
駐車場の確保できる
田舎に住んでいる人だろうと想像する。

車の運転について、
もうひとつの奇跡を経験した。
南イタリア紀行の最終経由地・ナポリには、
成田行の便はない。
国内線でローマに飛び、
そこからローマの別の空港に移動して、
日本行きのJAL便に乗り継いだ。
そのとき移動に用意された車は、
白いベンツのワンボックスカー。
新車の匂いがプンプンして、
さすがに高級感の漂う、
乗り心地の良いベンツ・・
のはずでしたが、
車が滑り出すと
運転手は鼻歌交じりに
混雑した道路を
右へ左へと車線を移動しながら

時速150kmで素っ飛ばす。
ジェットコースター並みのスリルを味わった。
ともあれ、よほど腕に自信がある人でも
イタリアで運転は勧めません。

2018.6.6

カプリのタクシー
カプリのバス
イタリアの駐車事情

南イタリアの旅①/プーリア地方

◆南イタリア/プーリア地方

旅好きの、
旅の思い出は尽きない。
色々な所を旅してきましたが、
印象に残る旅として
10年前の南イタリアの旅がある。
長女と長男は就職し、
これが最後の家族旅行になるかもしれない、
と思っていた。
イタリアの旅は二度目で
そのときは南イタリアの
あの白いとんがり屋根の家並み、
アルベロベッロを目指していた。
けれど思いどおりのコースがなく、
NETでイタリア専門の旅行会社を探した。
交通手段と宿泊先を提供するだけの個人旅行のツアーで、
イタリア語は話せないし、
無事に行けるだろうかと思いつつ、
旅のアレンジが気に入り申し込んだ。

思い返せば、
懐かしい思い出がよぎり、
目を閉じれば、
南イタリアの風景が蘇ってくる。
真っ青な空に
大地を照らす夏の陽射し、
延々と続くオリーブの畑など
南イタリアの様々な風景が浮かんできますが、
北イタリアとは違った文化を感じた。
それにしても暑かった!
湿気が少ない分だけ、
木陰に入れば涼しい風が吹くものの
夏の陽射しは容赦ない。
じりじりと焦げるように熱く、
40℃はあるんじゃないかと思うほど。
そんな暑さのせいか、
南イタリアでは今も
シェスタ(昼寝)の習慣がある。
まぁ怠け者の国なんだから仕方ないか
とは思いましたが、
あの暑さを経験すれば、
ナルホドと思う。

夏季休暇の初日に
成田発JAL便でテイク・オフ。
ミラノ経由で南イタリアの小さな空港に降り、
ホームステイ先の家族が出迎えていた。
日本人の奥さんとイタリア人の旦那さんで、
夜も11時過ぎというのに、
ギンギンに冷えたビールと
手作りのワインでもてなしてくれた。

翌日はオストゥーニへ。
白い家並の地中海の小さな都市で、
趣のある街だったが、
シェスタに掴まってしまった。
街に着くと12時過ぎに店が閉まり、
見学の終わる頃を見越して
4時の出迎えを頼んでいたが、
一向に店は開くことなく
暑い中をジェラードを食べて時間を潰した。

南イタリアで生活すると
人生観が変わるーー
ホームステイ先の奥さんは、
そんなことを話していた。
彼女の家は長期滞在の日本人がやって来る。
仕事に追われ、
ほっと一息の安息の日々を、
このイタリアの田舎町で過ごす。
そうした人の中には、
人生観が変わったという人もいるという。
何のために生きるか。
お金や仕事のためではなく、
人生を愉しむために生きる。
ひたすら家族を愛し、
季節の移ろいを愛でながら、
ゆったりと時の流れに身を委ねる。
そうした感覚は、
ヨーロッパ人特有の人生観なのだろうか。
通称・ギタリストの旦那さんは、
定職を持っていないらしい。
家から少し離れた所に広い土地を買い、
目の前はオリーブ畑が広がる、
緑豊かな楽園の地。
ホームステイを営みながら
奥さんは料理教室をひらき、
旦那さんは古い建物を修復している。
いずれはそこでホームステイを開きたいらしい。
奥さんによれば、
昼間は家作りのことで頭がいっぱいになり、
ほかのことが手に付かない。
オストゥーニに行く途中で立ち寄ったが、
高台にあって見晴らしがよく、
趣のあるテラスもある。
きっといい家になると思う。

2018.6.4

オストゥーニの街

 

 

スイス浪漫-3

◆ゴルナグラート/

ツェルマットを起点に
ゴルナグラート登山電車がある。
頂上の展望台には
世界的に有名なホテルがあり、
テレビで朝焼けのマッターホルンが見える
名所として紹介されていました。

翌日の早朝、
登山鉄道でゴルナグラートへ。
頂上の展望台は360度の大パノラマ。
それを取り囲むように
スイスアルプスの山々が聳え
朝日に染まるモンテローザや、
マッターホルンが目の前に迫っていました
その後は登山電車でひと駅下りて
途中駅から麓に向けてトレッキング。
逆さマッターホルンを望み、
眼の前のアルプスの山々を眺めながら
ゆっくりと山を下りる。
素晴らしい天気に恵まれ、
これ以上はないと思えるほど、
壮大な景色を愉しむことができました。
そのときのガイドさんの話では、
マッターホルンがこれほど綺麗に見えるのは
滅多にないですよ、とのことでした。

◆ローヌ氷河/

翌日はバスでモンブランへ。
その途上にローヌ氷河があり、
地球温暖化と氷河――。
その関係を目の当たりにしました。
スイスの氷河が消滅の危機にあるという。
以前、テレビニュースで
氷河消滅の危機を特集し、
司会の古舘一郎氏が例の針小棒大な語り口で
それを話していましたが、
確かに!!
スイスの氷河はどんどん後退し、
いずれは消滅の危機に瀕するでしょう。
旅行中もガイドさんは
25年前の写真と比較しながら
消え行く氷河の危機を語っていました。
ローヌ氷河には眼下に迫る氷河を前に
ホテルが建てられました。
しかし、25年ほど前から
氷河はどんどん後退して、
今では遥か後方に見えます。
セールスポイントを失ったホテルは、
今では赤錆びた外観を晒して
廃墟になっていました。
25年前と比較すると
スイスの平気気温は、
1.5度ほど上がったといいます。
それでもスイスは涼しい。
どこに行ってもエアコンいらずの
快適な夜を過ごすことができました。
スイスの夏は短く、
小学生も8月10日頃には
短い夏休みが終わります。
しかしこの25年間に温暖化は確実に進んで
涼しい夏でも、暑い!、
と感じる日があるそうです。
スイスの人たちは我慢強い。
でも我慢できないのが、
国境を越えてやって来る観光客。
夏なのにエアコンもないのか、
と不満をぶつける人もいるそうです。
しかし夏の日の一瞬のために
エアコンをつけるのはお金がかかる。
なかなか首を縦には振りません。
確かにそうでしょう。
避暑をかねてスイスに来て
冷房のお世話になるなんて、
それはやっぱりおかしいですよね。

ローヌ氷河をのぞむ

◆モンブラン/

バスに乗り、
山岳を切り裂く道路を
モンブランへと向かう。
国境を越えてフランスのシャモニーへ。
そしてヨーロッパの最高峰、
モンブランに挑む。
モンブランはこの町を起点にする
ケーブルカーに乗ります。
頂上の展望台は3,800m超。
標高差2,600m。
遥か見上げるような展望台へ、
急勾配のケーブルカーで上がります。
しかし、この山は機嫌を損ねること多い。
山の全貌を見せることが少ないという。
この日も時折り、
雲の切れ目から顔を覗かせるものの、
モンブランの霊峰を
しっかり見ることはできませんでした。
それにしても寒かった。
展望台は富士山を見下ろす標高。
単純計算でも
地上とは15℃以上の気温差があります。
この日の天気は霙交じりの曇り。
寒さも半端じゃない。
夏なのに厚手のセーターを着ても
レストランに飛び込んで、
熱いココアがほしいと感じました。

スイス――、
多くの旅人の期待を背負う国。
その期待を決して裏切らない国です。
また行きたいと思う。

モンブランの展望台

2018.5.25.