ソウルへ-2/朝鮮王朝時代

3日目。
ソウル市内の、
昌徳宮、景福宮、
宗廟の世界遺産を巡る。
昌徳宮と景福宮は王宮で、
とりわけ景福宮が素晴らしい。
今もなお当時の栄華を彷彿とさせる
文化遺跡の再建中で、
いずれ朝鮮王朝時代の全貌が
姿をあらわすことになるのだろう。

昌徳宮はタクシーで行く。
韓国には模範タクシーと、
一般タクシーがあるらしい。
模範タクシーは、
料金はちょっと高めでも
ぼられないらしい。
その一方で、
一般タクシーは、
何があっても保証しませんよ、
というわけですかね。
ドアマンが模範タクシーか、
一般タクシーにするかと問うので、
一般タクシーでいいよ、
とはいえない。
新羅ホテルは超一流ホテル、
見栄もある。

昌徳宮は自然散策路が見所。
王族のお歴々は散策路を歩き、
あづまやに休息して、
豊かな自然の風景を堪能したのだろう。

昌徳宮(以下4枚)

その後、景福宮へ。
地図を見れば景福宮まで遠くはない。
宮殿内の店で働く高校生らしい女の子は、
日本語を話していた。
――景福宮まではどう行くの?
と聞くと道案内をしてくれたが、
――歩くと遠いです、
と付け加えた。
歩くつもりだったが、
その子の教えに従って、
タクシーで景福宮へ出向いた。
運転手は日本語を話し、
それが上手い。
5分ほどだったが、
色々と話しかけてきた。
サービスのつもりで、
お釣りはいいと見栄を張った。

景福宮(以下6枚)

宗廟↑

朝鮮王朝は、
歴代の王が贅を凝らして、
建物を築き、庭を造り、
長い歳月をかけて見事な宮殿を築いた。
贅を尽くすとは、
それを一瞬の仇花にすることなく、
その国の文化として
永々と築きあげること。
それが朝鮮王朝の文化で、
王族の誇りでもあったのだろう。

その後、雨の中を
韓国料理のサムゲタンの有名店、
「土俗村」に向かう。
景福宮から歩いて5分ほど。
途中で急に雨が降りはじめ、
そして店に到着。
しかし、驚いて、呆れて、断念した。
並ぶことが嫌いな韓国人も並ぶ
有名店と紹介されて、
2時頃が比較的空いて狙い目ですよ、
とあったが、
その日は土曜日。
行列は100m以上。
まさかこんなに並んでいるとは。
回転が速く
待ち時間も30分ほどとあったが、
そんなのは絶対に嘘。
早々に退散せよ、
と心の声が呟く。
どうしようかと思いながら
ガイドブックを開く。
幸いにして
200mほどの所に評判の店がある。
裏通りの2階にある目立たない店で、
看板も小さくて見過ごしそう。
ここが店?
と思うほどひっそりしていたが、
店の入口で
Do you have a Japanese menu?と訊くと、
頷いて店の中に案内してくれた。
これが幸いした。
店の造りはシンプルだが、
料理は上品で美味しい。
ついでにマッコリを注文し、
これがイケル。
現地の酒はドブロクのようなお酒だよ、
と聞いていたが、
美味しくて飲みやすかった。

その後、明洞(ミョンドン)へ。
ソウル随一の繁華街。
原宿のような若者のショッピングゾーンで、
竹下通りに較べれば道は広いが、
人がやたら多い。
そんな街でスイーツの店へ。
ガイドブックに美味しそうなスイーツが並んで、
その店を目指した。
落ちついた店とあったが、
看板に偽りあり。
でもこの店のあずきフラッペは
おいしかったし、
そしてケーキも。

ホテルの前の免税店へ。
雨の中に大型バスが何台も連ねて、
中国人のツアーばかり。
彼らは気忙しいし、
うるさいし、
行儀が悪い。
なんとかならないかと思う。
広い店内は芋洗いのようにごった返し、
中国人が圧倒的に多い。
顔の似ているアジア人の中でも、
中国人はけたたましく喋り、
目立っていた。

そんなこんなで、
ソウル市内の世界遺産を巡る旅を終えて、
3日目の夜が更け、
そして4日目。
この日は殆んど帰り支度。
最後の締めとしてホテルのラウンジで朝食をとり、
帰路を辿りました。

2018.8.29

ソウルへ-1/歴史を感じる風景

2012年7月、
ソウルへ――
JALのマイレージを使い、
折角行くのだからと、
ソウル最高峰のホテル
新羅(シーラ)ホテルに目星を付けて、
NETで最安値を探した。
そして仁川空港へ。
新羅ホテルはソウルの高台にあり、
韓国の格式を誇るホテル。
国賓級の客をもてなし、
実際、3日目の朝、
ホテルを出ようとしたとき、

テルのロビーには赤絨毯が敷かれ、
ホテルの人たちが大勢並んでお見送り。
この日は中国の外務大臣が泊まったらしい。
先頭はライトを点灯したパトカーが先導し、
ホテルを出るときは、
ホテルのスタッフが一斉に拍手して、
仰々しい見送りでした。

新羅ホテルロビー

国賓級客の見送り

話しが前後しますが、
初日はメトロに乗って安国へ。
アングクと読む。
漢字でも読み方が違うし、
併用するハングルは読めない。
そんなわけでメトロの路線図がわからない。
最初は切符を買うのもひと苦労でしたが、
慣れれば路線NOと駅NOでわかる。
どの駅にも駅名と一緒に駅NOが表示されて、
自動切符売り場もNOで購入する。
市内のどこへ行っても大抵80円ほど。
タクシーは安いし、
ソウル市内の交通機関も安い。
韓国のメトロもきれい。
オリンピックを機に整備して、
日本のメトロよりも車内が広いし明るい。

この日は北村韓屋村へ。
通称ブッチョン。
韓国の古い街並みで、
入口付近の通路の正面に高校があり、
正門の表札に「中央高校」とあり、
景色を見て思い出した。
冬ソナのロケ地で、
校門の入口に立つおじさんは、
写真を撮ろうとすると
――こっちの方から撮った方がいいよ、
と日本語で話しかける。
坂の多いこの街には、
韓国の伝統的な屋敷が並んで、

ソウルの誇る町並み。
このときも古くなった家を、
町並みに合せて修復していました。

北村韓屋村(ぶっちょん)

二日目。
急進するソウル。
ソウルの進歩は早い。
郊外には高層マンションが並び、
近代化が急速に進んでいる。
その一方で少子高齢化も急速に進んで、
出生率は1960年の6人から1.24人に急降下して、
日本の1.39人をさらに下回った。
だから韓国は、
人口が激減するのではないかと懸念されている。
そんな韓国の激烈な高学歴化と、
それを象徴するソウル大学の入試風景は、
世界を唖然とさせた。
韓国は超財閥社会。
その頂点にサムソンがあり、
世界のサムソンとして日本企業を脅かし、
有能な頭脳と見れば、
金に糸目をつけず、
高額な報酬で刈り取っていく。
噂によれば億を超える報酬もあるらしい。
日本の頭脳も買い取られ、
日本が追い超される日が遠くないかもしれない。

もっとも今は景気が後退して
元気がないですが。

この日は一日ツアーに参加した。
韓国のテレビ局「MBA」が放送する、
歴史ドラマのセットを見るツアー。
手軽に韓国の文化を知り、
楽チンに一日を過ごせる。
バスに揺られて1時間半。
ソウルの高速道路はバス専用路線があり、
渋滞する車線を尻目に快調に走る。
しかし、街の風景はどこも似ていて眠気を誘う。
やがて高速を降りて一般道に入るが、
これがまた、
どれだけ田舎なんだか、
といった昔の農道のような道路。
田んぼの狭い道には,
電信柱が右へ左へと傾いている。
田舎の中のど田舎。
すれ違いもできないほどの狭い道を走り、
バスはやっとのことで目的地へ。
此処はチャングムなどの
歴史ドラマが収録されたセットで、
よく見ればどれもこれも張りぼて。
でも、ドラマになればそれがわからないんだから
よくできているよな、と思う。
それでも朝鮮王朝時代の古い町並みを知り、
当時の文化を垣間見ることができて、
結構、楽しむことができた。

MBAのセット

更にバスを走らせて、
水原市にある歴史遺産の華城を見学。
18世紀末、
当時の王が非業の死を遂げた先代王の墓を移築して、
当時の技術の粋を集めて
周囲に城壁を築きあげ、
5kmほどの長さになる。
その城壁が美しい。

華城

2018.8.27

ハレクラニ-Ⅳ/旅のエッセンス

セレブな日々を送ると、
日本に帰るのが嫌になる。
そのときの現実に引き戻される感覚は辛いが、
それでも旅はやめられない。
半ば中毒のように
旅から旅への日々を過したいとも思う。
旅の醍醐味はなんといっても非日常の体験。
日本にいて当たり前の日々を過しているだけでは
経験できない時間。
色々なものを見て刺激を受けることで、
感性を磨き知見を広め、
自分の中に新たな世界を拡げることができる。

そんな体験の一つに、
ハレクラニのオーキッズがある。
オーキッズは、これぞハワイ!という匂いがする。
ハワイには持ち味の違うレストランがあるが、
オーキッズの朝食が忘れられない。
海に面したテラス席で、
朝の陽射しをあびながら朝食をとる。
テラス席には白いテーブルクロスの上に
オーキッズ特製のメニューが並ぶ。
空はどこまでも澄んで、
目の前は真っ青な海、
そして青々とした芝生が広がり、
朝のさわやかな風がほほを撫でる。

こんな心地よさがたまらない。
朝食のあとはビーチを散策する。
ハレクラニの前の海岸を通り、
ロイヤルハワイアンズから
ワイキキビーチを抜ける散策路。
ワイキキに近づけば、
ダイアモンドヘッドが目の前にある。
この風景も捨てがたい。
その後は市内観光。
ハワイを知るために少しは見ておかなくちゃ、
とトロリーを利用して市内を巡る。
テーマはハワイの歴史。
その中にカメハメハ大王による
ハワイ王国の建国があり、
その象徴となるのが、
カメハメハの銅像とイオラニ宮殿。
宮殿内は撮影はできないが、
見ごたえがあった。
イオラニ宮殿は合衆国にある唯一の宮殿。
建造されたのは日本の明治初頭。
それにしては立派で、
木造の建物でありながら風格があり、
あの時代に電気が引かれ、
エレベーターがあり、
水洗トイレもありました。

市内観光を早々と切り上げて
午後はハレクラニのプールで過ごす。
ホテルのプールサイドはとても気持ちがいい。
極上の時間、至福の瞬間。
プールサイドには、
映画で目にするガーデンベッドが並んで、
思い思いの時間を過ごす。
とりわけハレクラニは上質の時間を提供してくれた。
日本から持ち込んだiPodを聴きながら
ガーデンベッドに身を沈め、
真っ青な空を見あげる。
心地よい風がプールサイドを吹きぬけて、
なんともいえない癒しの時間が過ぎる。
時計の針が止まったように、
緩やかに流れてゆく時間。
欧米人の休暇の過ごし方には、
そんなものがある。

ハレクラニのプールサイド

オーストラリアに行ったとき、
現地のガイドさんは、
日本人との国民性の違いを熱く語っていましたが、
その違いこそこの国の魅力と言いたげで、
それが印象的でした。
オーストラリアは決して豊かではない。
20年ほど前、年収は日本人の半分ほど。
車の大半は日本車で、
若い人は日本車の中古に憧れる。
生活を愉しむことがステータスで、
彼らの人生の目標はここにある。
夏になれば早朝からジョギングしてひと泳ぎ。
夕方は終業ベルとともに家路を急ぐ。
夏のイベントはBBQ。
家族との団欒がいちばんで、
仕事が人生の目的ではないとばかりに、
平日でも余暇を愉しむ。
生活にゆとりができれば新車を買い、
海を臨む一軒家を買うことが、
人生最大の目標になる。
家の購入費は日本に較べれば安い。
海の近くの眺めが良い所ほど高く、
家を買えば、
ヨットを買うことが、
人生の目標としてランクアップする。
それが必ずしも
望ましいあり方ではないかも知れない。
人によってはひんしゅくを買うだろう。
けれど、日本人と欧米人やオーストラリア人との
人生に対する価値観の違いは大きい。
ハワイ――。
世界屈指のリゾート地で
観光客の多くを日本人が占め、
時間を惜しむように気忙しく過ごす。
僕もその一人だから人のことは言えないが、
どこか違うなと思う。
欧米人はリゾート地で観光はしない。
美味しいものを食べて、
ホテルのプールサイドで
日がな一日ゆったりと過ごし、
気が向けば散策する。
ハレクラニのプールサイドにも
欧米人のそんな姿がありました。
それを見ながら、
やっぱり違うなと感じていました。
ゆったりと流れる時間に
欧米人のライフスタイルが垣間見えて、
人生に対する価値観の違いを
感じるひとときでした。

海のある風景。
世界にはモルディブ、
プーケット、タヒチなど
美しい海があるが、
ハワイの海にも違った美しさがある。
時々刻々と変わる海の色。
それは陽の光によって微妙に変化し、
そんなワイキキの海が美しい。
その日、買い物に行こうとビーチに向かった。
その帰り道、娘はこの海を見せたかったのだろう。
ハレクラニまで一時間ほど歩いたが、
そのときの海が素晴らしくきれいだった。

通りの左側は、白いビーチや芝生、
右側には、緑豊かな木立が広がって、
その風景を見ながら歩くのは、
とても気持ち良かった。
夕方、再び同じ場所を訪れて、
ビーチに面したレストランで食事をした。
娘は以前来たことがあってお気に入りの店らしい。
その日は土曜日。
夕陽を見ながら早めにディナーを終えて、
ロイヤルハワイアンの近くの喫茶店で
お茶する予定だった。
土曜の夜はホテルから花火が打ち上げられ、
沈みゆく夕陽を眺めながら花火を見物。
至れり尽くせりの夜を過ごすつもりだったが、
予期せぬこともある。
タクシーが来ない。
やむなくそのままこの店でティータイムを兼ねたが、
こんな風にして、
旅のエッセンスを演出をしてくれた。
それが仕事を通じて学んだやり方で、
愉しい時間を過ごすことができました。

旅の仕上げは、
ダイアモンドヘッドから望む日の出と、
モアナ・サーフライダーのアフタヌーン・ティー。
この日は帰国の日。
長女はひと足先にホテルを発って日本へ。
こちらは7時の日の出に合せて
ツアー専用のバスで6時に出発。
真っ暗な中、駐車場から山頂を目指して
30分ほど山登り。
6時半。
山頂の狭いスペースには
大勢の人が日の出の瞬間を待つ。
常夏の島とはいえ夜明け前は肌寒い。
眼下の夜景を見てご来光の瞬間を待ちました。

ダイヤモンド山頂からの日の出
ダイヤモンドヘッドから望む
モアナサーフライダーのエントランス
モアナサーフライダーで
アフタヌーンティー

2018.8.13

ハレクラニ-Ⅲ/カイルアビーチ

ハワイに行ったら、
きれいな海を見なくっちゃ!
とカイルア行きを希望した。
カイルアはアメリカNo1の
美しいビーチとしてランクされたこともあって、
写真で観るビーチは本当に美しい。
なんといっても
海の色の鮮やかさと透明感、
それが素晴らしい。

ハワイ紀行の企画書は長女が作成。
前日の夜、あしたはカイルアに行くからね、
朝が早いから寝るんだよ!
と子供に諭すように言う。
翌朝、アラモアナのバスセンターから出発。
ホテルからタクシーで10分。
その後はバスに乗って40分。

カイルアでは「ブーツ&キモズ」という
パンケーキの店へ。
企画書に、頑張って並ぼう!、
とのコメントがあった。
この店はハワイの超有名店。
知らなきゃ潜りだよ、
との返事が返ってくるほどの
長い行列ができる店。
ハワイの人なら誰でも知っている。
でも日本人客が多くて、
そのときも6割以上は日本人だった。
この店のマカデミアナッツのパンケーキは絶品で、
大変おいしく戴きました。

ブーツ&キモズ

実はこのルート、
現地のオプショナルツアーもあって
日本円で7,000円を超える。
でも、自力で行けばタクシー12$で、
バスは一律ひとり2.5$。
どこまで乗っても往復5$。
パンケーキも15$ほどで、
日本円に換算すれば3,000円くらいですむ。
頑張って行けば安いのです。

ともあれパンケーキを食べて、
カイルアビーチまで徒歩。
この辺りはハワイの田舎町と言ってもいいだろう。
でも、どことなくリゾートの雰囲気はあって、
アメリカ的な風景が広がっている。
二階建ての家はなく平屋ばかり。
その分、開放感にあふれている。
15分ほど歩いてカイルアビーチに着く。
この、なんともいえない海の色は日本にはない。
幸せな気分で海を眺めていました。
風景は違っても、
人は海を見ると心に詩が浮かぶのかもしれない。
午後の陽だまりの中に
時間だけがゆったりと流れて、
全ての風景が海の色に溶けて静かなときが訪れる。

カイルアビーチ

そんな時間も小一時間ほど。
やがて来た道とは違うルートを、
地図を頼りに戻りました。
途上にはトロピカルなソーダ水の似合う喫茶店。
豪邸ともいえる家の庭には、
やしの木が青い空に突き抜けて、
ハワイだなぁ、と感じさせました。

その後、アラモアナセンターでショッピングをして
1階のフードセンターで昼食。
世界の料理が所狭しと並んで、
日本人客も多い。
日本の女子高生の修学旅行らしい一群もいて、
先生にも500円くらいのおみやげ買ってあげるぅ~、
と隣の子に話しかけていました。
今じゃ修学旅行がハワイなんだ、
どうなのかなぁコレ。
修学旅行というよりも
高校時代の思い出作りじゃないのかなと思う。
白い船員服を着た高校生らしき集団もいて、
どうやら水産高校の生徒らしい。
その後は、先日書いたマリポサでの食事。
レストランから見える夜景がきれいでした。

ワイキキの夕景

2018.8.10

ハレクラニ-Ⅱ/食の愉しみとチップ

最初の夜は、
ウィズ・アウト・キーという
ホテル内のレストランで食事。
此処では毎夕、
フラダンスやハワイアン音楽のショーが行われ、
ハワイにいることを実感させてくれる。

旅の愉しみといえば、
食の愉しみは外せない。
とりわけ、その土地でしか食べられない
旨いものに出会うとき、
至福の時間をもたらしてくれる。
しかしハワイは勝手が違う。
ハワイはアメリカで、
食通を唸らせる旨いものが
少ないんじゃないかと思っていたが、
それが違った。
ハワイの料理はワールドワイド。
アメリカンというよりも、
世界の料理が渾然一体として、
いいとこどりの旨いものが揃っていた。
この旅行でも旨いものに出会った。
その分、食事にお金をかけた。
せっかくのオフを愉しまなきゃ!とばかりに、
旨いものを巡るプチ旅行に励んだ。

その一方で、
アメリカにはやっかいなルールがあり、
面倒な作法がある。
それはチップ。
日本人にこの習慣は馴染まない。
そればかりでなく
頭を悩ませる事態に発展することもある。
その点、娘は馴れている。
だから支払いはお任せだった。
料理を食べ終われば、
請求書がテーブルに差し出される。
料理代金にハワイ州税。
これはわかる。
カナダほど複雑ではない。
しかし、請求書の末尾にある、
空欄のサービス料が厄介。
ハワイでは高級料理店なら
15%~20%が普通で、
それを自己申告で書き込んでいく。
どうこれくらいで、
と金額を示すと、
娘はしばし考えて金額を書き込む。
こちらが考えた額よりも多くて
20%を越えている。
少し多すぎねぇ!と言うと、
これでいいよと事もなげに言う。
気前がいい。
チップは気分次第で、
快いサービスを受ければその分を弾むが、
フランスだってチップは5~10%が相場。
いくらスマートに払えと言われても、
これでいいんだろうかと思ってしまう。
だから時折思う。
アメリカ人が日本に来ても、
どんな高級レストランだって
基本的にチップは不要。
明朗会計で簡単明瞭。
そんな日本が羨ましくはないんだろうか、と。

二日目。
アラモアナセンターの中の
マリポサというレストランでのこと。
娘が予約をしてくれた。
コース料理を食べて
テーブルに請求書が置かれた。
そのとき娘はいない。
先達の師の手本をもとに
サービス料を書き込んで
それを入口のレジに持ち込んだ。
レジに並んでいた先客の日本人が、
No、No!と言われながら
精算書の書き方を指導されていた。
やがて立ち去ってこちらの番。
請求書の記入に不備はない。
そしてレシートがほしいというと、
若い女性は明細をそのまま差し出した。
店に控えはない。
いくら客が支払ったか証明するものがなく
それで大丈夫なんだろうかと心配になった。
チップは給料の一部。

マリポサ

サービスの質によっても金額が増減する。
だから、ウェイターはニコニコして、
おいしいですか!と日本語で話しかけ、
必要以上に愛想がいい。
これもサービスのひとつで、
その笑顔が収入を増やすコツになる。
支払いをもっとスマートにやるなら、
請求書の間に料金とチップを挟み込んで、
テーブルの上に置けばよかったのかなと思う。
そんな風にして支払いをした店もあって、
そこのところがよくわからない。

ホテルのレストランでは、
ウェイターの愛想がいい。
それにもまして、
ハワイの小鳥は人馴れしている。
近寄っても平気だ。
あんまりのんびりしてると食べちゃうぞ!
と脅したが、

日本語が通じないらしい。
その一方でハワイの州法では、
小鳥に餌を与えてはいけないという。
過剰繁殖が怖いらしい。
鳩が増えすぎて困っているとの話もある。
そんなところは浅草の浅草寺に似ている。
とにかく人懐っこいというか、
人間さまの世界に入り込んで
当たり前のように食探しをする。
職探しではない。

市内散策
イオラニ宮殿
ダイアモンドヘッド
ワイキキビーチ

2018.8.8

ハレクラニ-Ⅰ/極上の楽園

ハワイ紀行の始まりは、
2012年2月14日23時羽田発JAL便。
往路は5時間でホノルルに到着し、
日付変更線を逆行して、
その日の午前11時半にチェックイン。
ハワイのホテルはハレクラニ。
ハワイ語で「天国にふさわしい館」との意味で、
その名の通り地上の楽園でした。

ワイキキビーチ
ホテルの窓から
ウェルカムフルーツとバレンタイン

最近はホテルにこだわる。
以前は観光を主たる目的として、
できるだけ短時間で、
できるだけたくさん見たいと、
時間を圧縮したようなコースを優先していました。
だから、ホテルは二の次でいい。
しかし今は。どうせ行くなら
快適なホテルでゆっくり過ごしたい。
そんな気持ちを満たす極上の空間が、
このホテルにはありました。

ハレクラニホテルのエントランス

ホノルル市街は賑やかですが、
ハレクラニは、
そうした喧騒から隔てた別世界。
宿泊客以外の出入りは少ない。
ホノルルの有名なホテル、
ロイヤル・ハワイアンや、
白い貴婦人と呼ばれる
モアナ・サーフライダーにも足を運びましたが、
これらのホテルは大通りに面して
一般客の出入りも多くて騒々しい。
ロイヤル・ハワイアンは、
ショッピングモールを抱えて、
ホテル前のビーチは人通りが激しいし、
モアナ・サーフライダーの売りは、
その風雅な佇まいにありますが、
一歩足を踏み込めば、
大勢の人が出入りして、
プールも小さく、
プールサイドも落ち着かない。

以前、宿泊したことのある娘は、
部屋もハレクラニに比べると
狭くて暗いよと話していました。

ハレクラニR/ハウス・ウィズアウト・キー

そんなわけで
ハレクラニの良さを再認識しましたが、
それにしてもハワイは日本人が多い、
やたら多い。
どのホテルも結婚式が大盛況で、
その全てと言ってもよいほど日本人ばかり。
モアナ・サーフライダーは、
人気ホテルのせいか、
一般客が紛れて撮影が邪魔されるほど
騒然とした中で写真撮影をしていました。
ハレクラニはそれよりも落ち着いて品がある。
青々とした芝生を背景に写真を撮り、
ホテルレストランの前で
優雅に撮影をしていました。
ハレクラニのホテルレストランは、
どこも上質な空間を提供して、
最高の時間を過ごすことができました。

ワイキキに面した通りの風景

2018.8.6

台湾紀行-4/台南~高雄

3日目と4日目は台湾南部へ。
この日のガイドさんは年配のご婦人。
しかし朝から顔色が冴えない。
ふたつめのホテルに近づくと
バスを降りて急に走り出す。
この日は台北から新幹線で台中へ。
けれど、そんなに慌てる必要もないのに、
と思いながら待っていると、
10人ほど息をきらせてバスに乗り込んできた。
――ガイドさんが、急いで!
       というので慌てて走ったわよ。
女性客がいう。
スーツケースを転がして走るのは、
さぞかし大変だったろう。
彼らはわけもわからず走らさられた人たち。
バスが走り出すと
大通りを大勢のランナーが走っている。
あっこれだ。
その日はお日柄もよく、
台北市内ではマラソン大会があるらしい。
――あぁ信じられない!どうしよう、
とガイドさんが叫ぶ。
マラソンの行列を遠めに見て
やがてバスは、
大通りの下を潜って通りの反対側へ。
なんのことはない、
事なきを得て新幹線に間に合った。
――マラソンのことは知ってたわよ。
  でもどこからどこまでとは、
  言わないんだもん。
台湾ご婦人はイラッとして、
当局に不満をぶつける。
まぁいずれにせよ旅の愉しみは意外性。
なにごとも予定通り、
ハプニングなしのご無事では、
面白くないではないか。
なにかしら意外性の展開があって、
新しい発見があり、
だから旅は面白い。

そして台北発の新幹線。
これも日本の技術。
日本の鉄道技術は、
台湾でも高い評価を受けている。
台湾は狭い国。
台北から南の端の高雄まで3時間ほど。
新幹線ができたとき
押すな押すなの行列ができて、
国内便は閑古鳥が鳴いたそうな。
勿論、空を飛ぶ方が早い。
でも乗換の時間やら何やらを足すと
新幹線の方が早いですよ、
との話のとおり、
台湾の航空会社が1社、
新幹線との競争に負けて廃業したそうだ。
新幹線、恐るべし!

宝覚寺

市内から日月譚へ。
風光明媚な湖岸の風景がのぞめるという。
しかしその日はあいにくの曇り空。
眺める景色もすっきりしない。
なんと言っても面白かったのは、
粘土像らしき像のパフォーマンス。
このイケメンの像は客の顔色を見て動く。
人が来る。
パントマイム風に通り過ぎる人に、
ちょっと見て見て、
という風に肩を叩く。
なんだろうと振り返ると粘土像が立っている。
あぁお金を入れてほしいんだな、
と思ってお札を入れる。
ちょっとのぞく。
少ない??
腕で涙を拭きながらさめざめと泣く。
仕方なさそうに客はまたお札を入れる。
それを見て機嫌を直し、
お連れも誘って肩を組み、
さぁどうぞと写真におさまる。
終われば握手をして粘土像のショーは終わる、
という具合。

日月潭

さらにバスは走り台南へ。
台南では赤崁楼を見学。
台湾は17世紀オランダによって統治され、
赤崁楼はその統治の証として
オランダ人によって築城された城。
とはいっても堅牢な城という様相はなく、
見れば、お寺かなと思う程度。
けれども建築様式が、
中国風とオランダ風が渾然として、
ちょっと異色の建物でした。

赤崁楼

バスはさらに南下して高雄へ。
高雄に着く頃はどっぷりと日が暮れて、
夕方のラッシュアワーで道路が混雑。
高雄での見学の竜虎塔には
7時ちょい前に到着。
竜虎塔は台湾紹介の番組で何度か見た。
竜の口から入って虎の口から出れば、
その人の罪が免罪されるという。
ガイドさんに言われるまま
真っ暗な中で
写真を撮りながら竜の口に向かうと、
目の前で入口が閉まり、
慌てて走りこむ人、
どうしたんだろう、
と思いながら唖然とする人。
こっちは唖然の組で、
取り残されてしまった人。
さっそく取り残され組はガイドさんに抗議。
――7時で閉まりますよと言ってくれれば、
その時間に間に合うように行ったんですよ!というが、
――あらそうだったの、
と聞き流すだけでした。

竜虎塔

2018.7.23

台湾紀行-3/九份

二日目、
この日は九份へ。
バスで40分ほどの超人気スポット。
宮崎駿の「千と千尋の神隠し」の
モデルになった所でもある。
中国風のレトロな雰囲気に人気がある。
かつてこの地はゴールドラッシュにわいて、
金を求めて大勢の人が押し寄せた。
しかし、金鉱も堀り尽くせばただの山。
人通りも絶えて、
人影も淋しい廃墟になりはて、
人々から忘れ去られる運命を辿ることになった。
あとには九軒の家が残るばかり。
彼らは生きるために、
生活物資を求めて台北に買出しに行く。
けれど一軒ごとに行くのでは大変だと、
九軒の家が分け合って順番に買出しに行く。
だから九份(きゅうふん)。
ところが25年ほど前、
この地を舞台にした台湾映画が上映されて、
空前の大ヒットを飛ばし、
その後15年前には、
宮崎駿が「千と千尋の神隠し」のモデルにして、
今では台湾最大の観光地になった。

九份

九份はいい、凄くいい。
日本統治時代の面影を色濃く残して、
レトロな雰囲気の店が並んでいる。
映画館跡は日本の古い炭鉱町にある
映画館の風景を思い出させる。
いちばんの見所は茶房。
九份から美しい海を臨む茶房や
アンチックな家財が並んで
レトロな雰囲気を漂わせている。
そんな店の一角で
店の人の指導を受けながら烏龍茶を戴く。
ペットボトルでぐいぐい呑むんじゃなく、
正しい作法で戴く。
テーブルの横には炭火の火鉢があり、
土瓶で湯をわかす。
茶器にいちど湯を注いで茶器を温めて捨てる。
茶を淹れ最初の1杯は15秒ほど待ち、
二番茶は20秒、三番茶は25秒。
それぞれおいしいお茶を淹れるために、
お茶に礼儀を尽くして正しい作法で戴く。
けれどはっきりいえば面倒臭い。
せわしない日本人に
そんな悠長なことができるか、と思うが、
ときにはゆったりと心ゆたかに茶をたてる。
そんな時間が必要かもしれないと思い、
茶器のワンセットを買いました。
でも、今も一度も使われることなく、
食器棚でいつともしれない出番を待っています。

九份の茶房

この日のガイドさんは、
君ちゃんと呼んでください、の若い人。
軽やかにステップを踏むように歩いて、
せわしない。
話し始めれば速射砲のようにまくしたて、
へんな日本語も飛び出すが、
そんなことは一向に気にしない。
だから聞いている方も
だんだん馴れて気にならない。
――私、歩くの、早いですよ。
だから遅れないでください。
時間に遅れればそこで解散です。
バイバイです。
時間を守るのがモットーらしく、
時間までに集合場所に来るようにと、
噛んで含めるように何度も繰り返した。
手際がいい、
抜けがない。
話も面白い。
――台湾は安全です。
でも、決して荷物を放さないでくださいね。
前に持っていれば自分のものですが、
横に持てば他人のもの、
後ろに持てばみんなのものです。
忘れ物をしないでください。
忘れ物があれば私がいただきます。
このガイドさんは日本大好き。
1年半ほど日本にいて、
外人向けの格安チケットを利用して、
北海道から沖縄までくまなく旅したそうだ。
そして、
――台湾にも温泉がありますが、
宇奈月がいちばんです。
とってもいいです、
と連呼していた。
なんかとっても愉しいガイドさんでした。

その日の午後は、
台北の有名店「梅子」で台湾料理を食し、
故宮博物院へと向かう。
故宮博物院は台湾の国立博物館。
蒋介石の時代に紫禁城にあった
清朝時代の宝物を、
日本軍から守るために持ち出した。
いはば中国本土の歴史を語る膨大な遺物で、
当然のことながら
中国政府がその所有権を主張している。

その後は衛兵交代を見学。
決まった時間に行なわれ
30分以上にわたって行われる。
彼らは軍隊のエリート。
門に立つ衛兵は瞬きもせず、
微動だにしない。
衛兵交代の時間だけ、
厳しく、凛々しく、勇ましい姿を見せる。

中正紀念堂

中正紀念堂の衛兵交代

夕食は、「鼎泰豊」の小籠包。
この店は、東京駅にも、
新宿にも、銀座にもあって、
日本のどこにでもあるが、
ガイドさんいわく、
台北本店の小籠包がいちばんおいしい、という。
彼女の言葉を借りれば、
――いちばんおいしいです、
うん、おいしい。
と自分で納得するように繰り返し、
――そうなんです、
とってもおいしいです、という。
世界の食通を唸らせた小籠包。
世界3大レストランとも言われ、
小籠包や小籠包のお友達が
円卓にたくさん並んで、
本当においしく戴きました、とさ。

2018.7.21

台湾紀行-2/台北

初日と二日目は台北の市内観光。
台湾人のガイドさんが現地を案内してくれた。
観光バスで市内を回るとバイクが目立つ。
車の間をバイクが大挙してすり抜け、
車よりバイクが優先されている。
驚くのはバイクの駐輪場。
道路の両側にびっしり並んで、
その数も半端じゃない。
交通ルールは、台北、台中、台南と、
南下するほどいい加減で、
信号はあっても無視され、
自分の都合で走り、
そして渡る。
考えようによっては効率はいいが
安全のほどはわからない。

今回のツアーは、
観光+グルメが売り。
台湾の有名店を巡りました。
初日も宮廷料理で有名な
京兆尹という店で飲茶を戴いた。
いかにも中国風の店でしたが、
味はこんなものかと思った。
そして台北101へ。
超高層ビルで少し前まで世界一の高さを誇っていたが、
634mの東京スカイツリーが完成すれば
3位になってしまうとちょっと悲しげ。
それでもエレベーターは世界最速ですと胸を張り、
5階から最上階まで
34秒で駆け上がるという。
技術は日本製、東芝ですという。
それに続いて台北の名だたる高層ビルの名前を並べて、
あれは三菱、これは東芝と紹介し、
やっぱり日本製がいちばんねという。
親日家のガイドさんでした。

宮廷料理「京兆尹」
高層ビル 台北101

自由広場

その後ガイドさんは、
台湾の就職事情を話した。
台湾では高校卒業後か大学卒業後に
3年間の徴兵制がある。
しかし3年は長すぎると
1年4ヶ月になったものの、
それが就職事情に大きく影響している。
女性に徴兵制はない。
男が徴兵制を終えて仕事につくときも、
彼らは新米。
軍隊の経験が仕事に活かせるわけじゃなく、
その間に女性は着々とキャリアを積んで、
最近は女性の管理職も多いという。
女性のキャリアに出遅れる男。
女性上位の社会風潮ができあがって、
台湾では女性が強い。
結婚の条件として、
収入が多いこと、
マンションがあること。
けれど親との同居は駄目で
そんなわけで台湾の離婚率も鰻上りだとか。
今では50%を越えるらしい。
女性はキャリアを積んで、
離婚しても生活に困らない。
出生率もどんどんさがる。
当然の結果として少子高齢化も急速に進んでいる。
ちなみに台北では
家庭で夕食を食べる習慣がない。
これも女性上位の影響で、
大抵は外食して家は寝るだけ?
女性は優しく、しっかりと家庭を守って、
子供は2人以上つくりましょうなんて、
余計なお世話か。
台湾の将来、日本の将来、韓国の将来、
ちょっと暗いです。

2018.6.29

台湾紀行-1/台湾事情

台湾に行ったのは、
東日本大震災の年の12月のこと。
台湾は柿の種のような形をした国で、
3000m級の高い山が連なる
中央山脈が縦断し、
太平洋側と東シナ海側に分かれている。
この時期は雨季を迎えていた。
着いてみれば、
台北は今日も雨だった。
小ぬか雨降る台北の景色は、
この時期の特徴だという。
NETで台北の天気をチェックすれば
1週間も雨マークが並んで、
最高気温も16度ほど。
ガイドさんいわく、
台湾の天気予報は当たりません。
雨ときどき曇り、
ときにはお天道様が顔を覗かせるでしょう、
みたいな天気予報で、
3つのうちどれかひとつ当たればいいや、
って当たり前でしょ。
その後も大降りになることはなく、
傘がなくても困らない。
それにしても台北は意外に寒かった。
沖縄より南に位置して
亜熱帯地方だというのに、
空はどんよりとした厚い雲に覆われて、
しとしと、じとじと気温はあがらない。

台湾は蒋介石が、
共産党国家に中国本土を追われ
臨時国家のようにして建国した国。
いずれは本土に還るぞ、
との強い思いを深くしながら急造した国で、
そんな半端さが見え隠れする。
例えば主要都市の名前。
北から、台北、台中、台南と並んで、
これってあんまり知恵のなさすぎじゃねぇ?
と思ったが、

そいじゃ高尾の由来は、と問われて、
多分、台湾原住民の呼び方じゃないの
と答えれば、コレが正解だった。
かつて台湾の南は広々とした竹林で、
竹林のことを「タカオ」と呼ぶという。
こんなところは、
アイヌ語に由来する北海道の地名に似ている。

台湾の景色は日本に似ている。
街行く人の顔も日本人にそっくり。
街の看板は漢字表記で、
風景もさほど違和感がない。
その意味では、
海外に来たぞとの衝撃は少ないかも知れない。
ガイドさんは日替わりで、
観光バスに乗る客も自在に組み合わせ、
当日のオプショナルツアーとして参加する人もいるし、
ちょっと違いのツアーで大抵は一緒、
という人たちもいる。
臨機応変で自在な組合せのツアー。

ガイドさんいわく。
台湾の人は日本が好きで
日本製品が大好きだという。
テレビなどの電化製品は、
ソニーやパナソニック。
エアコンは日立。
車はトヨタか日産。
それに対して中国製は大嫌い。
安かろう悪かろうのイメージが付きまとう。
それでもユニクロが、
台北に1号店を出店したときは大人気。

引きも切らぬ客が押し寄せて
客が列をなして並ぶ。
ラベルには「Made in Cina」の表記があるが、
台湾の人たちは
日本ブランドを信用して買うという。
輸入品だから日本よりちょっと高め。
日本の大衆文化をこよなく愛する国民。
台北を歩けば日本語表記で、
回転寿司、鍋、ラーメン、吉野家などの店が目立つ。
それより驚くのはセブンイレブンの多さ。
半端じゃない数でワンブロックに一店はある。
日本なら立地条件を入念にチェックするが、
台北では気にしないらしい。
店は手狭で駐車場はなし、
50mほどで二つの店があり、
これで大丈夫だろうか、
と他人事ながら心配になる。
セブンイレブンのルーツはアメリカだが、
ノウハウは純日本製。
台湾も日系のセブン&イレブンで、
イトーヨーカドーの傘下にありながら、
子は親よりも大きくなり、
今では事実上、
ヨーカドーがセブンイレブンの傘下になっている。
親子の地位が逆転して、
老いては子に従えということですかね。

それにしても
台湾人の中国嫌いはなぜだろう。
言葉も北京語。
かつては同じ系譜を踏む民族だったが、
建国の違いを経て同床異夢の道を辿る。
ガイドさんの話の端々にも
中国人を客として扱うが、

本当は嫌いとの雰囲気が漂う。
――中国人、いっぱい来ます。
  でもマナーが悪い、失礼・・。
台湾でも多くの中国人観光客を見かけるが、
彼らはホテルのバイキング料理でも、
皿に盛らず食べながら歩く。
煙草はポイ捨て、
ごみは散らかし放題、
大声で騒ぐ。
そんな傍若無人ぶりが情けない。
中国は急成長した大国だが、
モラルは立ち遅れている。
世界から紳士淑女の国として認められるには
まだまだ課題がありそうだ。

ガイドブックをひらけば、
台湾は見所満載とあるが、
決してそうじゃない。
台湾は建国百年。
台湾原住民による歴史もあるが、
めぼしい文化はない。
国土の広さは九州ほどで、
80%以上は緑深い山に覆われて、
狭い国土に2300万人の人が住んでいる。
狭い国土に、浅い歴史。
見所となる自然の風景も
日本ほど魅力はないように思う。
それでもかつての日本時代の文化を知り、
台湾という国の成り立ちや、
急成長を遂げた台湾の姿を見て
興味深いものがあります。
2018.7.16