イギリス紀行-1

◆愛しきイギリス

イギリスに行ったのは2015年5月。
この国の正式名称は、
グレイトブリテン
および北アイルランド連合王国と言い、
この長ったらしい名前は、
中学の地理で初めて知った。
いかめしくも実直。
それがこの国の名前から受ける印象で、
名前の由来は、
イギリスの長い歴史の合従連衡によるもの。
国旗となるユニオンジャックは、
その国の歴史を物語る代名詞で、
イングランド、スコットランド、
ウェールズ、そしてアイルランドの
4つの国の国旗を一つにしたものだという。

そして近世以降、
イギリスと親密な関係にあった、
ニュージーランド、オーストラリア、
フィージーなどの国々は、
宗主国・イギリスに敬意を表して、
このユニオンジャックを冠した国旗を
用いている。

イギリスは常に世界の軸にあった。
とりわけ、
近世以降のヨーロッパの歴史を刻む

最も重要な国の一つで、
産業革命はこの国を起点に始まり、
世界のあらゆる文化の軸にこの国があった。
文学界の巨匠、
シェイクスピア然り、

アガサ・クリスティ然り、
そして現代音楽の系譜に燦然と輝く
ビートルズもまた然り。
彼らの文学や音楽は世界を席巻し、
今もなお歴史に名前をとどめている。
スポーツの世界でも、
サッカー、ラグビー、
クリケット、ゴルフなどの
発祥の地としても知られている。

ともあれ5月16日(土)、
JAL便で羽田空港を出発し、
ロンドンを経由してエジンバラを目指した。
イギリス8日間の旅――
スコットランドの中心地、
エジンバラを起点に、

ロンドンを目指して南下してゆく。
ヒースロー空港を中継し、
エジンバラに到着したのは、
現地時間の夜9時。
殆んど徹夜状態でキツイ。
飛行機に乗っている間は、
さほど感じなかったが

ボディブローのようにじわじわ効いて、
数日ほど、
夜の早い時間に睡魔に襲われた。

エジンバラ城に至る風景

◆イギリスの天気

天気には悩まされた。
四季のあるイギリスとはいえ、
季節感は日本に較べて
1ヶ月以上のズレがある。
日本が5月半ばならば、
イギリスは4月半ばかそれ以前。
だから寒い。
羽織るものが必要だし、
朝も冷える。
とりわけ寒暖の差が激しく、
一日の間に四季があるともいわれている。

それ以上に
天気の変化に驚く。
一日の天気が比較的安定している
日本に較べると、

目まぐるしく変わる。
それも半端じゃなく、
朝は凍えるように寒く、
薄曇りの空から薄日が射し、
やがて暖かな陽射しが射して、
今日はいい天気かなと思っていると、
一転して雨が降りはじめ、
その雨も忽ち止んで、
あぁひと安心と思うと
また雨が降る。
そんな風にして
一日の間に天気がコロコロと変わる。
だからイギリス人は天気の話が好きらしい。
会話の事始めに
挨拶代わりに天気の話をする。
イギリス人にとって
天気と生活の関係は密接だ。
雨にも慣れっこらしく、
イギリス人はちょっとした雨では
傘をささない。
雨が降るのは日常茶飯事で、
一日の間に雨が降る確率は高い。
だから、ひとしきり降る雨のために
傘を用意するかどうか。
そんなときイギリス人は、
濡れながら歩くことを選び、
濡れることを嫌う日本人は、
雨が降れば、
コンビニに飛び込んで傘を買う。
そんなわけで日本人の玄関には、
ビニール傘がたくさん並ぶことになる。
だからガイドさんは、
――朝、天気がよくても、
念のために傘は持っていきましょうねと言う。
実体験として
イギリスの天気を体験すれば、
なるほどと思う。

ロンドン経由で
エジンバラに到着したのは
ようやく陽が暮れようとする9時。
飛行機からタラップを降りると、
――寒ッ!
氷点下に近いのかも・・
イギリスは海流の影響で
北と南でそれほど寒暖差はない。
しかし、地図を広げれば、
エジンバラは樺太辺りの緯度を示している。
緯度と海流――
この因果関係は天気の流れを左右し、
それだけに天気の変化も日本とは大違い。
テレビで見る天気予報も
雨のち曇り――、
といった見慣れた予報ではなく、
一日の雲の流れを時系列に移動させ、
みなさん今日の天気は、
雲の流れで判断してくださいね、
というわけだ。

◆イギリスの食事

イギリスの食事は、
不味いことで知られている。
旅の愉しみのひとつに食事があるが、
イギリスに限っては、
食事には余り期待しない方がいい。
とはいえ実際に食べてみると
それほど不味いわけじゃない。
イギリスの有名な食事のメニューに
フィッシュ&チップスがある。
揚げた魚にポテトを添えたもので、
滞在中に何度か食べた。
不味いかどうかは場所によりけりで、
添乗員さんが紹介した店は美味しかったが、
それでもイギリスの料理は、
どこかワンパターンで飽きる。
ホテルの朝食はバイキングスタイル。
冷たいものと温かいものを
別々のコーナーに並べ、
熱い料理は皿に盛ってテーブルに運ばれる。
皿に並ぶものはどこも似ている。
煮豆とポテト、
茹でたトマトにベーコン。
イギリス人は生野菜を食べないし、
どんな野菜でもグズグズ煮る。
皿には大抵、
フライドポテトか、
茹でたじゃがいもが載る。
焼きトマトも定番だし、
そして煮豆も。
見るからに調理に手間をかけない。
だから飽きる。
レストランメニューも、
日本人ほど味の繊細さはないし、
高級料理を食べても、
日本のラーメンやとんかつ、
カレーが脳裏をよぎり、
それを懐かしく思う。
日本人なら素材を活かして
味を引き立てる工夫があるし、
ラーメンだって全国津々浦々、
腕によりをかけたご当地ラーメンがある。
しかしイギリス人は、
味がわからなくなるまで茹でて
食材本来の味を活かすことなく、
味付けの妙味もない。
イギリスの料理は、
調理中にあまり味付けをしない。
例えばテーブルに並んだ料理は、
味のない料理に
自分好みに調味料で味を付ける。
そんなわけで、
旅行者は味のない料理にとまどい、
結果的にイギリスに旨いものなし、
との評判が定着してしまう。

◆イギリスの交通事情

は左側通行。
日本と同じだ
だから簡単に運転ができそうだが、
交差点に信号はない。
全てではない。
ロンドンなどの大都市では
信号が幅を利かせているが、
地方の道路に信号は殆ど見当たらない。
代わりにラウンドアバウトと呼ばれる
ロータリー状の交差点があり、
この円の周りを回りながら、
右折し、左折し、あるいは直進して
目的の方向に進む。
日本では馴染みが少ない。
交差点の円をぐるぐる回りながら、
車の流れを見て飛び込む。
見ていると合理的だなと思う。
日本の道路は、
車が一台も通らなくても、
赤信号で止められることがあるし、
車が通り過ぎても
信号が変わるまで待たなければならない。
無駄があって、
時間のロスがある。
しかしこの方式が日本で適用できるか、
といえば簡単じゃない。
これを作る空間上の余地が必要だし、
車の往来が激しければ、
信号の方が便利だろう。
そこは一長一短だと思う。

2018.10.15

南フランスへ③/パリ

旅の締めはパリ観光――。
パリのツアーには、
ヴェルサイユ宮殿とルーヴル美術館が
当たり前のように付いてくる。
今回が3度目で、
どうしようかと迷ったが、
同行することにした。
しかしそれが良かった。
現地のガイドさんも色々。
個性豊かな人がいて、
ヴェルサイユを案内した現地ガイドさんは、
ルイ14世から16世の
フランス王朝の華やかりし時代の
歴史絵巻を講談風仕立てで
面白くおかしく紹介してくれた。
ルーヴルを案内したガイドさんは、
芸術史に造詣が深く、
ルーヴルのうんちくのある話をしてくれた。
ルーヴルは美術館であり、
元は宮殿だったという。
1ヶ月前にオープンしたばかりだという
館内の裏側を案内し、
かつてはここが宮殿だったことを偲ばせる
素晴らしい部屋や宝物を見せてくれた。

ヴェルサイユ宮殿

ヴェルサイユを案内した
面白いガイドさん

 

ルーヴル美術館
宮殿だった館内

ルーブルのレストラン
ルーブルからセーヌ河をのぞむ
パリオペラ座

オペラ座の前で
オペラ座から市内をのぞむ

さて旅の思い出を。
今回のツアーは12人。
参加人数が多くなると
一度も話すことなく終わってしまう人がいるが
少人数ということもあり、
一度は話をしてみようと決めた。
参加した人は新婚さん二組に、
若い女性同士、
もうすぐ80歳に手が届くという老婦人に娘、
そして夫婦二組の12人という組み合わせ。
バラエティに富んだ旅の話や、
なれ初めやら、
普段の生活ぶりなど
色々な人がいるもんだと感じた。

新婚さんの一組はさいたま市出身。
もうすぐ40歳になるらしい旦那さんに、
8歳年下の奥さん。
旦那さんは小柄で、
人の好さそうな優しい感じで
眼鏡をかけ、
いつもティーシャツに赤い帽子を被っていた。
奥さんは彼に少し不釣り合いなほど
可愛らしい人で、
彼女が可愛くて仕方ないのだろう。
旅の最後の夜は、
セーヌ河のディナークルーズに出かけ、
飛行機は一生に一度だからと
ビジネスクラスに乗り込んだ。
ディナークルーズは最高だったという。
パリは夜景が美しい。
ライトアップされたルーヴルや、
シャンゼリゼ通り、
そしてエッフェル塔のイルミネーションが
ロマンチックで、
夜景が彩る音楽が流れて、
美味しい食事。
それで一人2万円ほど。
奥さんを目いっぱい楽しませたい、
との心づくしだろう。
職場結婚ではないが同じ会社だという。
――共稼ぎなんだから
家事の分担もしなくちゃね、
と話したが、
――料理はするの、と訊くと、
――駄目です、
と手を横に振ると、
その横で奥さんが、
――でも皿洗いをしてくれるんですよ、
と言いながら、
その恰好がアライグマのようだと笑っていた。
食事の後はいつも
二人並んで後片付けをしているらしい。
新婚さんの微笑ましい姿が目に浮かんだ。

ツアーで男同士は見たことがないが、
女性同士は珍しくない。
このときの二人は看護師さん。
同期生で都内の某小児科病院に勤めていたが、
ひとりが郷里に帰り、
その後も病院勤務をしている。
旅行が大好きという二人は、
時期を合わせて一緒に海外旅行をして、
それが楽しみだという。
聞けば聞くほど色々な所を旅している。
パリは3度目で、
イタリアも好きで3回行ったといい、
――どこが一番良かったの、と訊くと、
――プラハが印象的だった、と話し、
――そんなこと話したら歳がばれちゃいますよね、
とケラケラ笑っていた。
とてもチャーミングな女性で、
どうして結婚しないのか不思議なくらい。
兄も結婚していないという。
まさか順番待ちをしているわけでもないだろう。
有名な小児科病院で、
その中に内科や外科などに分かれて、
――私は外科が好き、と言い、
  みんな元気になって帰っていくから、
と話していた。
子供が大好き。
退院する子供たちの、
元気な後ろ姿に励まされて
仕事をしているのだろう。

母と娘と言っても、
母親は翌年80歳になるというが、
かくしゃくとして、
とてもそんな歳には見えない。
子供たちが順番に母親を連れて
旅行をしているらしい。
先が短いからといい、
元気なうちに行ける所にと話す。
同伴する女性は娘。
品のいい賢そうなご婦人で、
パリに友人がいるので、
ツアー最後に2日延泊して友人に会うという。
翌月はご主人と
12日間の中央ヨーロッパの旅。
――羨ましい、と話すと、
――2ヶ月続けて行くのは大変よ、
と話していたが、
それでも行けるのは凄い。
(南フランス 完)

2018.10.12

南フランスへ②/プロヴァンス

南フランスの旅。
プロヴァンスで思い出すのは、
ピーター・ネイルの
「南仏プロヴァンスの12ヶ月」。
20年前の世界的なベストセラーで、
作者はプロヴァンスの片田舎に住み、
12ヶ月にわたって、
その地方の四季折々の
日々の暮らしを綴っていました。
その当時、読んだことがあって
今回もこの本を読み返しましたが、
正直なところ
さほどの感慨もありませんでしたが、
この地方に暮らす人たちの、
のんびりとして、
のどかな暮らしを感じました。

プロヴァンスは偉大なる田舎。
オリーブと、ぶどうと、ラヴェンダーの畑が、
一面を覆い尽くすの
どかな風景で、
南仏特有の燦々と降り注ぐ陽の光や、
澄んだ青空を臨むことができます。
だからこそ画家は、
南仏の明るい陽の光を求めて
プロヴァンスを訪れました。
エクス・アン・プロヴァンスは、
セザンヌの生誕地であり、
アトリエのあったところ。
そして近隣には、
ルノアールが後世を過ごした町があり、
ゴッホの名作が描かれたアルルがあって、
素晴らしい景観だけでなく、
画家の絵心をくすぐる風景に恵まれていました。
フランスの田舎は美しい。
自然に恵まれた田園風景だけでなく、
なんの変哲もない農家が美しい。

少し話が遡って、
前回のフランス紀行で
モンサンミッシェルを訪れたとき、
その手前にあった農家が
見事だったことを思い出します。
この地方は食肉用の羊がいることで
知られていますが、
そうした農家や塀、倉庫に至るまで、
風格や趣があって、
これが田舎の風景!とびっくりしました。
フランスは石造りの家が多い。
その地特有の石や粘土を使いながら
家を美しく着飾る。
住めればよい家というのではなく、
美しく魅せる家。
それを感じました。
フランス人の美意識は高い。
絵画や文学だけでなく、
人生を彩る意識が高く、
生活そのものに彩を添えて、
豊かにしたいとの想いが強いようです。
さりげない風景、
ありふれた日々の暮らし。
それを豊かに彩るのは、
フランス人の美意識の賜物なのでしょう。
だからこそ美しい田舎の農家を
村興しの手段として活かすのでしょう。
村が過疎化するのはどこも同じですが、
フランスには「フランスの最も美しい村協会」
というのがあって、
フランス全土に
150以上の村が登録されています。
その基準は厳しく、
このとき訪れたゴルドも
そうした村のひとつでした。

エズと同様の鷹ノ巣村で
主な施設は高台にある。
フランスの文化は見かけではなく、
歴史に裏付けられて奥が深い。
言わずと知れたフランス料理や、
食を引き立たせるワインの数々。
食前酒は食の愉しみであり、
香水はフランス人の身だしなみ。
目で愉しみ、舌で味わい、香りで安らぐ。
実利だけではなく、
人生を豊かにすること。
これがフランス人の価値観でしょう。

4日目――
ニースを起点にして、
ヴェルドン渓谷から
エクス・アン・プロヴァンス、
マルセイユへと進む。
ヴェルドン渓谷は、
ヨーロッバのグランドキャニオン
と呼ばれていますが、
それは大袈裟でしょう。

ウェルドン渓谷
昼食のレストラン

エクス・アン・プロヴァンス/セザンヌ生誕の地

マルセイユの港

5日目――
マルセイユから、
アルル、ポン・デュ・ガール、
アヴィニョンへと向かう。
アルルではローマ時代の円形闘技場や、
ゴッホで有名なカフェや跳ね橋を見て、
古代ローマ時代の水道橋である
ポン・デュ・ガールを歩く。

アルルの跳ね橋
アルル

ゴッホ/夜のカフェテラス
ポン・デュ・ガール

6日目――
南フランスの旅は続き、
アヴィニョンを起点にして、
水車とアンティークの街、
リル・シェル・ラ・ソルグや、
泉の湧くフォンテーヌ・ド・ヴォクリュージュ、
そしてゴルド―からセナンク修道院、
ワインの銘醸地でワイナリーを見学する、
というコースを辿る。
いずれも日本人には馴染みが少ない。

アヴィニョン

セナンク修道院
リル・シェル・ラ・ソルグ

骨董品の店
ワイナリーで

ツアー後半の
アヴィニョンの出来事。

夜の食事はなく、
日本で娘が予約してくれた
レストランに行く。

これがなかなかいい。
店からのメールの返信も丁寧で、
女性がにこやかに応対した。
この人は奥さん。
ご主人と二人で切り盛りしているらしい。
この店はアヴィニョンで一番人気のレストランで、
次から次へと客が来るが、
予約でいっぱいらしく、
20人ほどのお客さんを断っていた。
奥さんは忙しい、
けれど手際よく応対していた。
店の案内をして、食事を運んで、
お勘定もする。
そしてなんといっても食事が美味しかった。
気の利いた素晴らしい食事に、
美味しいワイン。
どれをとっても一流の味で、
コレで5000円ほど。
機嫌よく店を出ることにして、
奥さんに勘定をお願いし、
サービスのお返しに
少し多めのチップを払った。

そして一緒に写真を撮り、
品のいい奥さんの顔がさらに輝いた。
さわやかな笑顔と
心地よいおもてなし。

さすが一番人気のレスランと納得した。

夜のレストラン とても美味しかった

2018.10.10

 

南フランスへ①/コートダジュール

南フランス。
コート・ダジュールとプロヴァンスの旅。
3年ほど前の6月、
成田発のAFパリ経由でニースへ。
飛行機は太陽が進む方向にひたすら飛んで、
体内時計を置き去りにしたまま昼と夜が反転してゆく。
そしてニース。

その夜のホテルは、
ニース海岸にあるネグススコ。
5ツ星のホテルで
グレードアップして泊まった。
このネグススコは、
NETで検索すると、
とても風変わりなホテルで、
創業101年の由緒あるホテルですが、
中にはたくさんのオブジェがあり、
それが一風変わっている。
そんな奇抜さが売りのホテルなのかな、
と二の足を踏んだが、
それでも予約してみた。
しかしこれがヒット。
101年といえども、
リニューアルされて綺麗だし、
来る前はちょっと抵抗もあったが、
フロントからホールへ入る辺りは実に立派で、
最初は奇抜に思えたオブジェも
よく見れば面白い。
一見すればある種の博物館のようで、
ホテルそのものに見ごたえがあった。

ネグレスコホテル

とりわけ朝食をとった
ホテルのレストランが愉しかった。
ちょっと見は、どこかのお嬢さんが
もてなしているような姿が、
実は木彫りの人形だったり、
遊園地の回転木馬が
並んでいるような装飾があったりで、
結構面白い。
これでこの値段ならお得。
そんな話を添乗員さんに話したら、
――このホテルは評判がいいんですよ。
普通はこの値段でグレードアップなんかできません、
とイチオシのコメント。

ホテルのレストラン

ホテルの窓をあければオーシャンフロント。
地中海の真っ青な海と青い空。
そして眼下にはニースの海岸があった。
それより少し前に「最後から二番目の恋」というドラマで
ニース海岸をロケした場面があったが、
まさしく目の前の海岸が、それ。
素晴らしい景観に恵まれた。
ニースの夜は遅い。
砂浜に沿って走る道路は、
夜遅くまでたむろする人が賑やかで、
そんな夜の海岸を散策した。

ネグレスコホテル
ニース海岸
マーケット

3日目は市内のシャガール美術館へ。
シャガールはユダヤ系ロシア人で、
晩年はフランス国籍を取得して、
ニースに移り住んだ。
20世紀を代表する画家。
あかるい作風が特徴で、
パリのオペラ座の天井画も彼の作品。
中学生のとき美術史も好きで、
彼も好きな画家のひとりだった。

シャガール美術館

そしてバスで1時間ほど走りモナコへ。
モナコはフランスの東側に隣接して、
コートダジュールを代表する観光地。
ローマのバチカンに次いで
世界で二番目に小さな国。
人口は3万人ほど。
しかし国の財政は豊かで、
世界のセレヴが夏のリゾートとして集まる。
他国から移住する人の大半は億万長者。
税制はタックス・ヘイヴン。
以前、新聞でこれが話題になった。
なにしろ住民税がいらない。
それでも財政が潤っている。
世界的に有名なカジノもあるが、
それは国の収入のほんの一部で、
殆どは観光収入らしい。
モナコは道路が狭く、
バスを駐車場に置いて市内を廻る。
しかしその日は猛暑。
36℃を記録して、
おまけにモナコは坂が多い。
宮殿やカジノなど、
主な見所は海を見下ろす高台にある。

モナコ

モナコといえば、
グレース・ケリーと
F1のモナコグランプリを思い出す。
グレース・ケリーと言っても
若い人は知らないだろうが、
1950年代の後半から
60年代に活躍した世界的な女優で、
当世きっての人気女優。
誉れ高い知的美人で、
その高貴さが買われたのだろう。
モナコ国王は彼女を王妃として迎え入れた。
その当時は話題沸騰。
ある意味、シンデレラ伝説になったが、
モナコの知名度は低く、
世界的なトップ女優の座を捨ててまで、
なぜそんな所に?!
という人も多かった。
その後、娘を迎えに行く途中で、
自ら運転する車が事故に遭って亡くなった。
それも世界的なニュースだった。

F1の名所/S字カーブ
グレイス・ケリー

そんな小国ですが、
とても豊かな国。
それは歩いてみればよくわかる。
軒を連ねて建つ家はどれも瀟洒で豪華。
カジノも、宮殿も、優雅な佇まいで、
さすがセレブが集まる国、
とため息が洩れます。

そしてエズ村へ。
この周辺の高台には、
他国からの侵入を防ぐために要塞化した村があり、
それを鷹ノ巣村と称している。
エズはその一つで、
400mの高台にあり、
人口200人ほどの小さな村ですが、
観光シーズンは大勢の観光客が訪れるという。

2018.10.8

エズ村 

ハレクラニの日々Ⅱ

ハレクラニな日々、
3日目――
オアフ島の北側、
ノースショアで
スカイダイビングをした。
と言っても僕じゃなく、
長女の旦那とウチの奥さんが・・。

旦那のご両親はショッピング。
彼は二度目の挑戦で、
あの感激が忘れられないと言う。
スカイダイビングができる所へ
車で1時間ほど。
アメリカ産の熊五郎のような人が、
派手な大型バンで迎えに来た。
ホノルルを一歩出れば田舎道。
のんびりとした畑が広がり、
その間の一本道を突き進む。
やがて小さな飛行場が見え、
僕と娘は地上からスカイダイビングを見物。
手続きを経て、
いざ大空へ!!

彼らがセスナ機に乗りこむ。
空に飛んだらすぐに降りてくるのかな、
と思ったら、
なかなか姿が見えない。
娘は僕の一眼レフを構えて、
いつ来るともしれない彼らを、
空を見上げて待っていた。
高度4,200mほどの上空。
20分ほど見上げていたが、
空ばかり見ていたので首が痛くなった。
豆粒より小さな彼らを、
大勢の中から探すなんて至難の技。
見過ごさなきゃいいが、
と思っていたが、

パラパラとそれらしき物体を発見。
パラシュートがみえる。
それは、右へ、左へと旋回しながら移動する。
アレらしい。
だんだん大きく見えて、
なぜかピースをしている。
泣けるというか、
そのハッピーそうな姿がなんとも痒い。
その後も旋回しながら
ゆらりゆらりと舞い降りてくる。
興奮していた。
降りるとすぐに、最高!!、
と言ってのけた。
空の上ではセスナ機で旋回し、
眼下には青い海や島が見える。
雲よりも遥か上空にあり、
その景観が素晴らしかったという。
飛行機を飛び降りるときは、
怖いという恐怖感を感じる間もなく、
押し出されるようにセスナ機から落下。
まさに落下、そして急降下。
天気晴朗。
雲ひとつない快晴で、
落下した瞬間は最高速度200kmはあったはず。
それも怖くなかったという。
なんだコイツは、と思ったが、
とにかく、スカイダイビング最高!と
言い放った。

ともあれ、
旅は至れり尽くせりだった。
食事は美味しかったし、
なかなか体験できないこともした。
シュノーケリングでは、
珊瑚礁の海で魚と戯れ、
スカイダイビングもした。
僕は高所恐怖症で、
とてもそんなこと、
心臓がバクバクしちゃいそうでやめたが、
4,000m の上空から降下する体験は、
スリルと快感に満ちているのだろう。
空から舞い降りるときに見る大海原、
遥か眼下にのぞむ大地。
全てが未体験ゾーン
Happyで素敵な日々を過ごすことができました。
お二人さん、
本当にありがとう!
その思い出は一生の宝です。

アラモアナセンター
アラモアナのフードコート

最近は旅先でゆったり
過すことが愉しくなった。
ヨーロッパの人たちは、
長いバカンスをリゾートで過す。
それが彼らのライフスタイルで、
僕自身もそんな風に、
ヨーロッパナイズされたわけじゃないが、
少し旅なれて、
旅に対する価値観が変わったように思う。
気忙しく、
ただ目新しさを求めて

旅から旅へ。
観光地から観光地へと足を伸ばし、
旅のめまぐるしさこそ、
旅の醍醐味と感じていたが、
でもそれは多分勘違い。
旅のスタイルは多様化して、
旅の価値観も変容するのだろう。
リゾートと弾丸ツアー。
旅のスタイルにこの両極がある。
かつては弾丸ツアーに傾斜していた。
どうせお金をかけるなら、
できるだけたくさんのものを見よう、
色々な経験をしよう。
当然といえば当然で、
それが刺激的。
見るもの全てが新鮮で、
新しい発見がある。
日本では見られない、
その土地や国に伝わる文化や歴史遺産。
そして美しい自然の風景など。
そうしたものを写真を通してではなく、
実際に自分の目で見て、
感じることで、
その映像を脳裏に刻み込むことができる。
それでこそ旅の醍醐味で、
旅の感動といえるだろう。
行ってみてわかること、
実際に目にして実感できること。
だからこそ旅は、
新鮮でたくさんの発見がある。

時間と空間の異次元の世界で、
日頃の喧騒や多忙な生活から、
自分の心を解き放し、
気持をリフレッシュすることで、
新たに生まれるものがある。
それを創造的再生、
人生の充電と呼ぶことがある。
人の価値観や創造力は絶えず変化するが、
それにはそのための刺激も必要だろう。
そこに旅を通じて学び、
生まれるものがある。
自らの視線を拡げながら、
時折り目の前の映像を転換してゆく。
その刺激が大事。
同じ時間を延長するだけでは、
ブレイクスルーは生まれない。

ホノルルの夕景

2018.9.28

ハレクラニの日々Ⅰ

二度目のハワイは、
2013年11月――。

その2ヶ月前の9月に、
長女は目黒雅叙園で結婚式をあげ、
ハワイ旅行はそのときの、
両家の、両親への、
サプライズプレゼントとして用意されたもの。
しかしそれがどうあれ、
これはハネムーンであって
僕らは単なる同行者。
これでいいの!?とは思いましたが、
至れり尽くせりの6日間を過ごしました。

旅の始まりは、
11月9日羽田発UA便。

時差で日時が逆転して、
その日の早朝にホノルルに到着し、
入国ゲートを潜ると「**&**」の
プラカードを持った人がいる。
なんで!?と思った。
ツアーじゃないのに。
しかし案内されるまま付いて行くと、
正面には超ロングボディの
白い高級リムジン車が停まっていた。
先輩が手配してくれたらしい。
車に乗ると車内は総革張りのシート。
お洒落なライトが点灯し、
ドアポケットには、
グラスや高級ウィスキーが並んで、
あたかもバーラウンジのよう。
これまで何度かリムジン車には乗ったが、
これほど豪華な車は初めて。
到着までは20分ほどで、
グラスを傾ける時間はありませんでしたが。

出迎えたリムジン車
ワイキキビーチ

ホテルに到着し、
チェックインに少し早かったが、
部屋に案内してくれた。
部屋の中で少し休んだ後、
若夫婦の泊まる部屋に招かれたが、
ここでもサプライズ。
真正面にはダイヤモンド・ヘッドが聳え、
最高のロケーション。
息を呑む絶景が目の前にありました。

ホテルエントランス
ホテルの窓から

ひと休みして昼食に。
チーズケーキ・ファクトリーという、
有名レストラン。
レイアウトも気が利いて、
お洒落なお店でしたが、
注文して驚く。
とにかくビッグ!
何から何まで二人分はありそうな量で、
料理と隣の席の人を見較べて、
なるほどと妙に納得してしまった。
料理も二人前なら
お腹回りもたっぷり二人前。
こちらはクラブサンドを注文したが、
とても食べきれませんでした。

その後はメインストリートを散策し、
早めに部屋に戻り、
ゆっくりと過ごす。
そして夕食の時間。
その日はホテルの
ハウス・ウィズアウト・ア・キー。
6人でハワイアンを聴きながらのディナーで、
オープンエアのレストラン。
テーブルを吹き抜ける風が心地よく、
このまま時間よ止まれ!
と思った。

ホテルのハワイアンショー
ハウス・ウィズアウト・ア・キー

ハレクラニの日々。
2日目――。
旅行プランナーに、
この日ご提案戴いたのは、
サンドバーツアー。
――ハワイといえば、やっぱり海だよね。
そんな願いを叶えるために
サンドバーへご案内。
間きなれない名前でしたが、
写真を見れば、まさに天国。
青く美しい海に白い砂浜が浮かんで、
その姿は楽園そのもの!
これを見ながら、
なにはともあれ行かなくちゃ、
なにがなんで行かなくちゃ!
と思いましたが・・。
その後のことはさておき、
まずはシェラトンホテルから
小ぶりなバスでスタート。

右手に海を見ながら海岸沿いを走る。

ハワイも2度目になると、
観光スポットや地名をいえば、
頭の中に地図が浮かんでくる。
この日はダイアモンド・ヘッドの裏側から、
ハナウマ湾へ。
ここはエメラルドグリーンの海に
珊瑚礁が広がるビーチ。
色鮮やかな熱帯魚が泳いでいる。
そこヘシュノーケリングに興じる人が
大勢押し寄せて、

訪れる人は年間300万人だとか。
この湾もかつては自由に出入りできたが、
今は海洋保護区に指定され、
海に入る前に自然保護活動のための
受講をしなければならない。
ハナウマ湾は、
切り立った崖の下に、
大きく弧を描いた青い海。
僕らはそれを湾の上から眺めるだけでした。

ハナウマ湾

さらに海沿いにひた走る。
時折りバスを止めて
海を眺めながら写真を撮り、
昼頃にはカイルア・タウンヘ。
アメリカ随―の美しいビーチですが、
このときのお目当ては「ブーツ&キモズ」。
あのときの店で、
行列のできる店。
この日は待たずに入ることができました。

幻の風景、サンドバーを目指して・・

サンドバーの海に向かって
船に乗り換える。

船の中はツアー客がたくさんいて、
半分以上は韓国人。
ガイド役の韓国人男性が、
なにやら気忙しく案内していた。
メガホンを片手に、
笑いながら大声で話し、

本当に忙しい人だ。
船が出るまでの間、
シュノーケリングの装着方法など
20分ほど説明していたが、
賑やかなだけで嫌な感じはしない。
とても楽しそうだ。
韓国語がわかれば面白いのだろう。
さらに小船でサンドバーに。
しかしどこを見ても、
どう見ても、

サンドバーらしきものは見えない。
青い海の中に、
真っ白な砂浜が浮かんでいる・・はず。
やがて海の上で錨が下ろされて、
海へ入れと声をあげる。
それに従って海に入る。
水深1mほど。
海の中をひたすら歩き、
少しずつ浅瀬になって膝下30cmほど。
案内する若いお兄さんは、
――水深30cmほどですが、
  今日はこれまで。
それにツアー客は、
――エ~ッ!!、と言い、
――これでも結構レアなんですよ!と返す。
周りから一斉に溜息のような声が洩れた。
みんなの気持は一緒。
青い海に浮かぶ純白の珊瑚礁の砂浜。
あれに恋焦がれて来たのに、
それはないでしょ―!
の悲鳴にも似た声でした。
ともあれ、奇跡の砂浜も、
地球の引力には勝てないというわけで、
その後はシュノーケリングタイム。
ゴーグルやシュノーケル、足ヒレ、
ライフジャケットを身に着けて海の中へ。
熱帯魚はさほどいなかったが、
それでも珊瑚礁の周りには、
色々な熱帯魚が泳いで、
それなりに愉しむことができました。

シュノーケリング

リゾート地の愉しみは、
アクティビティや、
ショッピングなど色々ですが、
時間の使い方も自由に、
気の向くまま過すことができる。
食の愉しみとして、
その後も美味しく食事をしましたが、
オーキッズにも足を運んだ。
オープンエアのこのレストランは、
朝の光が目映いばかりに差し込んで、
さわやかに風が舞い、
その横に小鳥が飛び込んで、
床に落ちた食べ物をついばんでいる。
いつもの風景だ。
緑の芝生の中に椰子の木がそびえ、
低木の生垣で仕切られた、
海とホテルの間の小道を、

ゆったりと散歩する人たちがいる。
ショッピングをするなら、
ワイキキのビーチ沿いか、
アラモアナショッピングセンター。
なんでもある、
結構楽しめる。
アラモアナの1階にはフードコートがあり、
ジャンクフードのようなB級グルメの店が、
30軒ほど軒を並べている。
その光景は壮観で、
それなりに安い。

昼食どきは人でごった返し、
まさしく人種のるつぼ。
わけのわからない言語が氾濫している。
食べる価値よりも、
見る価値の方がありそうだ。

2018.9.26.

麗しのベルギー④/水の都 ブルージュ

中世の古都 ブルージュ。
ヨーロッパの中世都市は、
広場を中心に発展してきた。
イタリアのミラノは、
400年の歳月をかけて創建された
ドゥーモがあり、
その前に大広場があって、
これを中心に町は発展した。
イタリアの人たちにとって
教会は心の拠り所。
深い信仰心とともに人々の暮らしがあった。
ベルギーも然り。
ブリュッセルのグランプラス、
ブルージュのマルクト広場など、
町の中心に広場があり、
これを中心に町が放射状に広がっている。

しかし、広場の中心にあるのは、
必ずしも教会ではなく、
グランプラスには市庁舎ができて、
それを取り囲むようにギルドハウスが造られた。
ギルドハウスは中世の職業別組合で、
世界史の教科書にも登場していた。
当初は商業ギルドが作られ、
互いに申し合わせて独占的利権を得ていたが、
やがてこれに対抗して、
中小の商工業者もギルドを結社し、
グランプラスに集結した。
それがまた中世のベルギーの都市の発展を支えた。

この日、訪れたのはブルージュ。
水の都――。
中世の町並みを、
今に残す美しい古都で、
この魅力は訪れた人にしかわからない。
今までヨーロッパの美しい古都を見てきたが、
ウィーン、プラハ、パリなど、
それぞれが中世の美しい佇まいを残している。
しかしヨーロッパの国々は、
二度の大戦で、
古都の多くはその名残をとどめることなく、
戦災で焼失した。
しかしブルージュは戦災を逃れて、
中世の姿のまま美しい町並みを残している。
町の中心はマルクト広場。
町の中にはいくつもの運河が張り巡らされ、
船に乗って運河を巡ると、
その美しい町並みをじっくり見ることができた。
ため息の出るような美しい姿をとどめ、
レンガ造りの建物は、
世界遺産の威厳とともに
往時の姿を蘇らせて、
さらに魅力的な町に変貌している。

運河めぐり

ブルージュを案内したのは、
ベルギー人の男性。
この人がメッチャ面白い人だった。
小さい頃から京都に住んでいたといい、
奥さんは日本人だった・・。
だった、と過去形になっているのは、
奥さんに逃げられたから。
――男作って逃げただよぉ~、許せない!
とちょっぴり怒りをあらわにして、
最初から最後までひとり漫才を繰り広げていた。
お陰で愉しかった。
ブルージュの美しい町並みとともに、
この愉快なガイドさんの顔を
思い浮かべることができます。

フリータイムでは、
マルクト広場を中心に
チョコレート店や小物店めぐりをしたが、
いちばん印象的だったのは、
あるカフェのチョコレートドリンク。
両親が超美味しいチョコレ―ト店を営み、
娘夫婦がカフェを経営している。
この店のチョコレートドリンクが、
最高に美味しかった。
もともとチョコレートが美味しい上に、
熱いチョコドリンクにチョコレートが添えられ、
その中に落とし込む。
舌触りが滑らかで、
芳醇な味と香り。
この店でしか味うことのできない絶妙の味。
この店はチョコレート店の真正面にあって、
ツアー仲間のひとりが、
NHKでも紹介されたという。
それを聴いてしばし店の前で佇み、
入ろうかどうしようかと迷ったが、
意を決して飛び込んだ。
メニューにはそれらしい飲み物の名前があり、
これを注文したが、
あたり!
とにかく美味しかった。(完)

カフェのチョコレートドリンク

2018.9.20

麗しのベルギー③/チョコとビールとワッフル

美食の国、ベルギー-
旅の愉しみの中に、
食の愉しみがある。
ヨーロッパの美食の国と言えば、
フランス、イタリア、スペイン辺りだろうか。
しかし、このとき訪れたベルギーも
負けてはいない。
フランスに隣接しているせいか、
北フランスの食の影響を受けて
美食家を唸らせる国でもある。
ベルギーを代表する食に、
チョコレートと、ビールと、ワッフル。
なんか愉しい。
みんな大好き。
みんな美味しい。
気軽に愉しめて手軽に美味しい。
だから、この食の愉しみを満喫しようと、
舌鼓を打ちながらベルギーを訪ねました。

↓ゲント 城塞都市

 

◇チョコレ―ト

言わずと知れたチョコの国。
フランスやスイスとともに、
美味しいチョコがたくさんある。
しかも、高級チョコがイチオシだ。
だから予習もしたが、
店の数がたくさんあって絞りこめなかった。
ベルギーチョコの象徴的な存在として
ゴディバがある。
お馴染みのGODIVA―――。
チョコの世界的なブランドで、
時折りお世話になっている。
けれど高い。
現地で買えば半値ほどで買えるというが、
あえてその愚を辿らない。
日本で食べられるのに、
なにもベルギーに行ってまで食べることはない。
現地でしか味わえないもの、
現地でこそ愉しめるもの。
それを食べたい。
ベルギーチョコの本拠地は、
ブリュッセルとブルージュ。
ベルギーの有名ブランドもあるが、
とにかく多い。
チョコの専門店もたくさんあって、
軒を連ねているといってもよいほど。
それも有名店ではなく、
家族経営の小さな店だって十分に美味しい。
ブリュッセルにあるだけの店や、
ブルージュに専門店を構える店。
これらを全部、食することはできないが、
歩いているとガイドブックで紹介されている店が、
あちらにもこちらにもある。
ベルギーチョコは、
上質のカカオに色々な味がペーストされて、
その組合せが絶妙。
これをプラネリというらしい。
ブルージュでは、
ベルギー人のガイドさんに案内されながら、
徒歩で観光し、
最後にこの店がおススメですよ!
と教えられてその店で買った。
これがイケた。
日本だってチョコは美味しいよと思うが、
ベルギーはひと味違う。
高級カカオが上品で美味しく、
AAAのレベル。
日本に帰国して
買い込んだチョコを食べ較べたが、
失敗した!!
こんなに美味しいなら
もっと買ってくるんだった!

◇ベルギービール

食の愉しみは食べること、
そして飲むこと。
ヨーロッパはワインの宝庫。
とりわけフランス、イタリア、スペインは、
美味しい食事に美味しいワイン。
それがあって、
食前酒として愉しむことになる。
けれどベルギーは少し勝手が違う。
ベルギーにはベルギービールがあって、
世界的に有名。
ブルージュやブリュッセルなどには、
ビール専門のボトルショップがあって、
中を覗けば1000種類以上のビールが並んで、
それが実に壮観。
ベルギーにワインはない。
あるにはあるが貧弱。
ベルギーでビールが好まれるのは、
気候の影響がある。
ワイン用の葡萄は、
太陽の光を浴びてこそ上質のワインができる。
だから北に行くほど葡萄はできにくく、
必然的に食卓に並ぶのは、
ビールが主流になる。
同じようにドイツやチェコも、
ワインよりビールという事情が、
その辺りにありそうだ。
ベルギービールには、
日本のような633mℓの大瓶はなく、
330mℓの小瓶で、
瓶の形もさまざま。
それぞれの銘柄に専用のグラスがあって、
それがとてもおしゃれ。
そのグラスで飲むのがベルギー流で、
ビールを美味しく飲むにはこれに限る。
心底から食を愉しむには、
そうした風流や雰囲気も大切だろう。
ベルギー滞在中は、
毎食、このビールの馳走に預かった。

◇ワッフル

ワッフルは小麦に、
良質のカカオバターや、
鶏卵、牛乳を混ぜて発酵させ、
それを焼いて、
その上に好みに応じて
色々な味をトッピングする。
ある種の焼き菓子だが、
カタチは蜂の巣のようなもの。
ワッフルの超有名店、
DANDOYで食した。
これが、旨い!
なかなか美味。
サクサクして軽い口当たり、
そして香ばしい。
なるほどコレがあの有名な
ベルギーワッフルかと思った。
当然のことワッフルの二つの味を愉しみ、
味比べするしかない。
リェージュ風ワッフルが食べられる店に出向いた。
ハーゲンダッツ。
日本では店内でお召し上がりのスタイルは撤退したが、
ベルギーでは健在。
時間もないので慌てて買って、
待ち合わせのグランプラスで立ち食いした。
もちもちモッチリの食感で、
美味しくて食べごたえもある。
こちらを好む人も多いだろう。
残念ながらお持ち帰りに適さない。
現地でしか食べられません。

ベルギーワッフルの店DANDOYでおいしく戴きました!

◇首都、ブリュッセル――

ブリュッセルを代表する風景として、
グランプラスがある。
そこでは2年に一度、
花の絨毯が広場一面に広げられ、
花の祭典が行われる。
それが美しい。
この広場には、
歴史の栄華を刻む煌びやかな世界がある。
それも王侯貴族ではなく、
商人や市民が叡智を競いながら
生活を営んできた場所、
それがこの広場の風景でもある。

グランプラスとともに、
ブリュッセルを象徴するものに小便小僧がある。
シンガポールのマーライオン、
デンマークの人魚姫とともに、
世界三大がっかり遺跡とされているが、
そんなことはない。
それなりに存在感を示して、
ブリュッセルの風景に彩を添えている。
小便小僧は市の中心地、
グランプラスから近い通りにあり、
裸じゃ寒かろうと服も着替えて、
日本から服が提供されたこともある。
このグランプラスがライトアップされて、
見ごたえがあるというので、
日没後の9時半、
これを見るためにホテルから歩いて見物した。
徒歩約10分。
その途中、狭い路地の繁華街を通ったが、
その風景はまさに夜のカフェテラス。
昼でも、夜でも、
通りにテーブルを並べて、
食べて、そして飲むことが大好き。
このときもテーブルが道路に迫り出して並べられ、
昼間の風景とは全く違う雰囲気を
醸し出していました。
これがヨーロッパの夜の過ごし方。
そんな異国の文化を見るのも愉しい。

小便小僧

ブリュッセルの見所のひとつは、
その夜のホテル。
メトロポールといい、
アール・ヌーヴォ様式で有名なホテル。
アール・ヌーヴォは、
19世紀から20世紀初頭に流行した芸術運動で、
新しい芸術表現の潮流。
贅を凝らした装飾が特徴で、
その後は退廃的とされて廃れてしまったが、
目の前で見ると素晴らしい。
グランプラスとともに、
ブリュッセルを彩る文化遺産といえるでしょう。

ホテル/メトロポール

2018.9.14

麗しのオランダ②/オランダ絵画の巨匠たち

◆花のパレード――

それ以上に圧巻だったのは、
翌日の花のパレード。
この日がツアー最後の日。
フライト時間までにパレードを観る。
開催地はノールドワイク。
ここを起点に
約40kmの花のパレードが始まる。
バスを降りると、
出待ちの花の列が並んでいる。
これが圧巻!。
大型の山車や車が30台以上並んで、
それぞれチューリップやダリアなどの
花で飾られ
趣向を凝らして観る人を愉しませていた。
これが、あの花のパレード!
期待はしていたが、期待以上。
ディズニーランドのパレードが
貧相に見えるほど
その美しさに魅了されました。

花のパレード




◆芸術大国、オランダ――
オランダといえば、
著名な画家を多数輩出している国。
レンブラント、
フェルメール、
そしてゴッホ。

この3人の名前を並べただけでも、
巨星の煌く芸術大国の匂いが満ちてくる。
もっとも彼らが活動した時代は違い、
17世紀初頭のレンブラント、
後半のフェルメール、
そして19世紀後半のゴッホと、
その時代を映す芸術の鏡として活動した。
それだけにこの狭い国の中に
数多くの有名な美術館がある。
ゴッホ芸術の粋を集めた、
ゴッホ美術館やクレラー・ミュラー美術館、
フェルメール「真珠の首飾り」のある、
マウリッツハイス美術館、

そして、レンブラントの「夜警」を展示する
アムステルダム博物館など目白押し。
もっともこれらの名作も、
絵画を愛好するがゆえの魅力で、
さほど関心がなければ、
オランダの魅力も
色褪せて見えるかもしれません。

↓アムステルダム国立美術館所蔵
フェルメール/牛乳を注ぐ女
レンブラント/夜警

この日のツアーで、
クレラー・ミュラー美術館と
アムステルダム博物館を見学した。
これらの作品の中には、
日本でお目にかかった作品もある。
現存するフェルメールの作品は34点ほど。
その3分の1は東京の美術展で見て、
今回見た作品も含めれば半分近くになる。
それにしてもゴッホという画家は!
ゴッホ37年の生涯の中で、
主要な作品を描き上げたのは、
最後の4年間。
鬱病に悩まされながら作品を描き続けましたが、
最後はピストル自殺をして、
短い生涯を閉じました。
不遇の生涯を辿ったゴッホの絵が
このオランダには多数展示されている。
「糸杉と星の道」や「夜のカフェテラス」、
「麦畑」などなど、
キャンバスに叩き付けるように、
絵筆を奮った跡が目の前にある。
彼はなによりも情念の人。
あふれ出る想いを絵筆に託して、
それゆえに観る人を圧倒します。

↓クレラー・ミュラー美術館所蔵
ゴッホ/アルルの跳ね橋
ゴッホ/夜のカフェテラス
ゴッホ/糸杉と星の道

◆のっぽの国、オランダ――

オランダ人の特徴に「のっぽ」がある。
ヨーロッパ人は、
アジア人を見分けることができないが、
同じように日本人が、
オランダ人を見分けることは難しい。
確かなことは、
オランダ人はやたらデカいこと。
それは初めて
アムステルダム空港に降りたとき感じたが、
このとき改めて実感した。
オランダ人の平均身長――
男:184cm、女:172cm。
単に背が高いだけでなく、
胸板が厚く、逞しい。
こうした背の高さは、
便器の高さや、
バスタブを見て実感する。
尾籠(びろう)な話で恐縮ですが、
背の低い日本人男性なら、
便器で用を足すことはできないだろう。
但しバスタブが大きいことは歓迎。
ほかのヨーロッパの国々よりも
一回り大きいバスタブは、
ゆったりサイズで落ち着いて入れる。
彼らは体は大きいが、
決して強面ではなく、
日本人には至ってフレンドリー。
なにせ江戸時代に開かれた海外の窓は、
長崎出島のオランダだけ。
それを知ってか知らずか、
冷たい視線を感じることはなかった。
オランダの中学生が英語で気軽に、
――Japanise?
と笑みを浮かべて訊いてくるので、
ますます親しみを感じる。
クレラーミュラー美術館では、
日本人か中国人か?
と声をかけてくる高校生がいて、
返事のついでにカメラを向けると
仲良しペアらしく、
じゃれあってカメラにおさまってくれた。
このときのツアーの日程は、
いわしに喩えれば頭としっぽがオランダで、
お腹のあたりがベルギー。
だから順番に日を追って綴れば、
ベルギーが先になるが、
オランダを先に話を進めている。
ベルギーを巡り、
オランダに帰って、
アムステルダム市内を観光した。
アムステルダムはどこを切り取っても、
筆舌に尽くしがたい魅力がある。
ヨーロッパの町並みは美しく、
町の美観や歴史的遺産をとても大事にする。
アムステルダムも然り。
町の景観の美しさはベルギーには及ばないが
どうしてどうして、
この町も風格がある。
現地ガイドさんが言う。
日本人の子供に
アムステルダムの写真を見せたら
あっハウステンボス!と答えたそうだ。
この坊や、
ハウステンボスに行ったことがあるらしい。
なるほど!とは思ったものの、
あちらは偽物、
こちらが本物です。

アムステルダムの運河


長い歴史が刻まれた、
威風堂々たる姿は本物にはかないません。
この日は船に乗って運河めぐり。
一緒に乗船したのは中国人と我々のツアー。
とかく海外では中国人の評判はイマイチ。
ちょっと嫌な感じがしたが、
彼らは違った。
見ると品のいい顔立ちのお嬢さんやご婦人で
中国人のセレブなのだろう。
考えてみればもっともだよなと思う。
かつては中国人の年収は、
日本の10分の1と言われていた。
今は海外ビザの条件も緩くなって、
中国の経済も上向いているが、
平均的中国人からすれば、
この旅行にどれほどの費用がかかるのだろう。
多分、一般の中国人にはとてつもない額。
だから一緒に乗り合わせた彼らは、
本物のお金持ちでしょう。
礼儀も心得ているように見えました。
市内観光の折り、
アムステルダムの中央駅を見学した。
東京駅にそっくり。
それもそのはず、
東京駅はこの駅をモデルにしている。

アムステルダム駅

2018.9.12

麗しのオランダ①/風と花と自転車

◆オランダ

風と花と自転車――
オランダを印象付けるものに、
そんなものがある。
オランダは九州ほどの広さのとても小さな国。
けれど、この国は海抜0m以下の地帯が
国土の4分の1を占め、
万が一にも海が国土に流れこむようなことがあれば、
その分だけ水没する。
だからこそ水に対する備えは万全で、
水と共存する国でもある。
水に対するリスクを減らして、
縦横に運河が張り巡らされ、
水を活かした海運国でもありました。
バスでオランダを廻ると、
この国が平べったい国であることがよくわかる。
どこまでも限りなく平地が広がり、
四方を見渡すと地平線が見える。
だから風が強い。
海から、そして大陸から、
流れ込んでくる風を遮るものがない。
平地には至る所に風力発電が設置され、
オランダは自然エネルギーを大切にする国。
しかし、これほどの風力発電がありながら、
風力エネルギーは5%に満たない。
風と自転車――。
これも無縁ではない。
平らな国だから風が強いが、
坂が少なくて自転車が走るには都合がよい。
テレビで中国やベトナムで
自転車が大挙して押し寄せる光景を目にしたが、
それとは違う。
車がないから自転車ではなく、
エコでそれがスマートだから。
通りには必ずと言ってもよいほど、
自転車専用道路があり、
自転車が最優先。
人も、車も、
自転車の走行を遮ってはならない。
軽快に、そして颯爽と、
大地を走り抜ける。

とにかく風が強い日が多い。
キンデルダイクという所がある。
広い大地に風車が19基も並んでいる名所で、
世界遺産にもなっている。
風車は、風力エネルギーで水を吸い上げ、
高い所にある水路に水を流す構造で、
灌漑の役目を果たしてきたが、
今はその役目を終えて、
もっぱらオランダを象徴する風景になっている。
キンデルダイクは強風が吹き荒れて
歩くのも大変だったが、
バスに戻るとガイドさんは、
――風、強かったでしょう!、と言いながら、
――でも、当たり前なんですよね。
  風が強いから風車なんです、と言われて、
なるほど!と妙に納得した。
バスの窓から見ると、
川を挟んだ両側は水面よりも低く、
その辺りには住宅が並んでいる。
ありえない!・・
しかし、ありえない現実がオランダ。
テレビでオランダを紹介した番組を見たことがある。
オランダは水と緑の国だが、
水平線より低い土地に住む人も多い。
オランダの小学生は風変わりな必須科目がある。
それは水泳。
しかも、服を着たまま
どぶんと放り込まれて泳ぐ訓練で、
水に対する備えはそんなところにもあった。

キンデルダイクの風車

花のある風景も、
オランダの地形と無縁ではない。
オランダは山がない。
かつて水面下にあった土地を干拓して、
限りなく広い大地に花を植えた。
それがチュ-リップ。
花の季節には、
それはそれは見事な花のパッチワークが広がる。
4月末から5月は花の季節。
我々が出向いたのは2013年、
5年前の4月末。
この時期にオランダに行ったのは、
花の最高の見頃だから。
事実、オランダは花の季節に観光客が殺到し、
我々のツアーも、
前年の12月には予約でいっぱいになった。
本来なら木々の緑が潤う、
6月から7月あたりがベストシーズンだろう。
しかし花を求めて旅する人は、
辺り一面のチューリップに
恋い焦がれるものらしい。
どうせ行くなら花の季節に。
我が家にはNIKONのカレンダーがあって、
4月を飾る風景は、
空撮されたオランダのチューリップ畑だった。
赤、黄色、橙、紫、白・・。
本当に見事なパッチワークで、
その風景に魅せられたともいえる。
けれど、そのとき出向いた前の週は、
マフラーを巻き、コートを羽織っても、
ぶるぶると震えるような寒い日が続いて、
花の風景は期待できないのでは、と思った。
しかし奇跡が起きた。
アムステルダム空港に着いた翌日は、
ベルギーを巡り、
そしてオランダに戻る。
普段の心がけの良さというのか、
ツアーに入った日から暖かい日が続いて
一気に花が開いた。
最盛期とはいかなかったが、
見事な花の風景を見ることができました。

花の園・キューケンホフ公園――
オランダと言えば多くの人は花、
とりわけチューリップを思い浮かべるだろう。
それほどオランダの花は、
多くの人に愛され、
オランダを発信基地として、
世界中にその美しさを伝えてきた。
その中でもキューケンホフ公園と
花のパレードは有名。
世界中からこの花を見るために
大勢の人が訪れる。

キューケンホフ公園

キューケンホフ公園に訪れたのは、
4月20日――。
この日、出発時間になっても、
現地ガイドさんは来ない。
現地のツアーデスクとの間に行き違いがあったらしい。
30分以上遅れて出発した。
その影響で市内観光の最後に予定していた、
キューケンホフ公園の入場も大幅に遅れ、
2時間の見学予定が、
閉園までの1時間半に短縮された。
アムステルダム郊外へ30分。
果てしなく広がる畑の中をバスはひた走る。
キューケンホフまでの途上には、
帰路を急ぐ車やホテルへ帰るバスの列。
入場したときには、
広い駐車場にバスは数台ほどで、
園内にも人はまばら。
陽の光が斜めに射して、
日没が遅いヨーロッパでも
夕暮れが迫っていることを感じた。
しかしこれが幸いした。
普段なら花の季節の公園は、
人をかきわけながら見ることになるが、
このときは人影も少なく、
天気にも恵まれた。
キューケンホフ公園は、
1年中開園しているわけではなく、
3月半ばから5月半ばまでの季節限定の花の園。
それでも既に4500万人の観光客が、
この公園に花を求めて来たという。

花のベストシーズンは、
例年なら我々が訪れた4月20日前後。
しかしその年のヨーロッパは厳寒の日が続いて、
開花時期も遅れた。
だから花の最盛期とはいえなかったが、
それでも花の宴を堪能した。
公園に向かう途中で、
一面のチューリップ畑を見ることができたし、
キューケンホフ公園はきれいだった。
木立の間から木洩れ日が射しこんで、
斜めにさしこむ陽の光は緑なす芝生に反射して、
色鮮やかな花と、
太陽の光が織りなすページェントを演出していた。

一面のチューリップ畑

2018.9.10