北欧といわず、
旅の愉しみのひとつに
食事どきのおしゃべりがある。
いわゆる旅友とのひととき。
同じ旅路をたどる人は、
顔も違い、
住まいも違い、
辿った経歴も違う。
だから面白い。
普段、知りえない世界の人と
ほんの少しではあるが、
知り合える時間。
それが食事タイムにある。
旅仲間の意外な一面を知り、
思わず、へぇ~と思うこともある。
そうした時間に得た情報は貴重だし、
旅仲間の中には、
生涯の友となる人もいるだろう。
僕自身の最初の海外はスイス。
この頃は周りの人との情報交換も自由で
ツアーの最後には、
参加者の住所録が手渡された。
しかし今は、
個人情報とかなんとやらがうるさい。
情報が閉塞的で、
率直に言えば、
過剰反応ではないかとすら思える。
危ない橋は渡らない。
ほんの少しでも危惧することがあれば、
とりあえずやめておこうとなる。
しかしそれでいいのかな、
と思うことがある。
とはいえ、
今回の北欧旅行は、
最初からほんわかムード。
第一夜のクルーズ船の夕食では、
お互いの素性をあかし、
皮肉交じりの笑い話に花が咲いた。
それから食事のたびに相手が変わったが、
とにかくいいムード。
愉しい旅仲間となった。
この旅行での収穫は、
北欧を知り、
北欧の魅力に迫ることだったが、
旅友ができたことが、
いちばんの収穫かもしれない。
旅好きの好物は、
なによりも目の前にニンジン。
あと1ヶ月で北欧だと思えば、
仕事に弾みがついて、
ありふれた暮らしに光が灯る。
一汁一菜の二人だけの生活に、
ほんのりと温かさが宿り、
ガイドブックをめくり、
NETを検索し、
ホテルのあれこれや口コミ、
旅先案内人の
旅の評判なども頭に叩き込んで、
勝手な妄想を膨らませる。
旅程表が届けば、
フリータイムの店の情報や観光スポット、
ルート案内に至るまで、
事前準備に勤しんで、
挙句の果ては、
分刻みのルート案内を用意する。
しかしそれは不要な情報で、
一見無駄に思えるそんなことも
旅の愉しみのひとつとなる。
そんなわけで
旅のひと時は過ぎて、
すっ飛ばしすっ飛ばし、
オスロを経て、
ベルゲンを経て、
フィヨルドを巡り、
コペンハーゲンに飛ぶ。
それでも旅程表を、
中略、以下略では、旅日記にならないので、
少しだけ印象的なところを記す。
さて旅の感想を。
ヘルシンキでは、
白亜の殿堂・大聖堂がひときわ美しく、
テンペリアウキオ教会が目を引いた。
教会といえば、
高い塔を抱いた建物を想像するが、
この教会は岩を繰りぬいた地下にあって、
岩肌をさらして、
そこにパイプオルガンをどっしりと構える。
これを見ながら、
バッハに聞きほれていた頃を思い出し、
パイプオルガンの奏でる
「トッカータ&フーガ」を聴いてみたい、
と思っていた。
北欧といえばフィヨルド。
ノルウェーのフィヨルドは、
まさに北欧を象徴する風景。
地球創世の時代から、
氷河によって延々と刻みこまれた
深い海の谷間。
ときに険しく刻まれ、
絶壁の上から轟々と音をたてて
滝が流れ落ちる。
世界屈指の景観で、
どこにもない自然の驚異。
しかしこのときは、
その景色よりも目を引いたのは、
フィヨルドを往来し船に戯れるかもめ。
彼らは旅人の習性を知り尽くしているらしく
船を追い、人を追えば、
パン屑にありつけると知っている。
そこは人間とかもめの知恵比べ。
手の上のパン屑を上手に食べられますか、
というよりも、
上手に食べさせてくれますかと
かもめは舞い降りながら人間に問いかける。
それを人間は写真におさめようと、
シャッターを切りまくり、
瞬撮の妙味、
一瞬の極意に挑戦して、
写真の撮影に我を忘れる。
それがフィヨルドの思い出。
コペンハーゲンは美しい。
市内観光も見どころにあふれていたが、
翌日の運河クルーズはさらに美しかった。
天気晴朗、雲一点ない快晴で、
真っ青な空に街並みが映えた。
パリのセーヌ河クルーズもよかったが、
コペンハーゲンのそれも、
旅の思い出の一齣として
脳裏に刻むことができました。
2018.11.16





