北欧の旅④/旅のあれこれ

北欧といわず、
旅の愉しみのひとつに
食事どきのおしゃべりがある。
いわゆる旅友とのひととき。
同じ旅路をたどる人は、
顔も違い、
住まいも違い、
辿った経歴も違う。
だから面白い。
普段、知りえない世界の人と
ほんの少しではあるが、
知り合える時間。
それが食事タイムにある。
旅仲間の意外な一面を知り、
思わず、へぇ~と思うこともある。
そうした時間に得た情報は貴重だし、
旅仲間の中には、
生涯の友となる人もいるだろう。
僕自身の最初の海外はスイス。
この頃は周りの人との情報交換も自由で
ツアーの最後には、
参加者の住所録が手渡された。
しかし今は、
個人情報とかなんとやらがうるさい。
情報が閉塞的で、
率直に言えば、
過剰反応ではないかとすら思える。
危ない橋は渡らない。
ほんの少しでも危惧することがあれば、
とりあえずやめておこうとなる。
しかしそれでいいのかな、
と思うことがある。

とはいえ、
今回の北欧旅行は、
最初からほんわかムード。
第一夜のクルーズ船の夕食では、
お互いの素性をあかし、
皮肉交じりの笑い話に花が咲いた。
それから食事のたびに相手が変わったが、
とにかくいいムード。
愉しい旅仲間となった。
この旅行での収穫は、
北欧を知り、
北欧の魅力に迫ることだったが、
旅友ができたことが、
いちばんの収穫かもしれない。

旅好きの好物は、
なによりも目の前にニンジン。
あと1ヶ月で北欧だと思えば、
仕事に弾みがついて、
ありふれた暮らしに光が灯る。
一汁一菜の二人だけの生活に、
ほんのりと温かさが宿り、
ガイドブックをめくり、
NETを検索し、
ホテルのあれこれや口コミ、
旅先案内人の
旅の評判なども頭に叩き込んで、
勝手な妄想を膨らませる。
旅程表が届けば、
フリータイムの店の情報や観光スポット、
ルート案内に至るまで、
事前準備に勤しんで、
挙句の果ては、
分刻みのルート案内を用意する。
しかしそれは不要な情報で、
一見無駄に思えるそんなことも
旅の愉しみのひとつとなる。

そんなわけで
旅のひと時は過ぎて、
すっ飛ばしすっ飛ばし、
オスロを経て、
ベルゲンを経て、
フィヨルドを巡り、
コペンハーゲンに飛ぶ。
それでも旅程表を、
中略、以下略では、旅日記にならないので、
少しだけ印象的なところを記す。

さて旅の感想を。
ヘルシンキでは、
白亜の殿堂・大聖堂がひときわ美しく、
テンペリアウキオ教会が目を引いた。
教会といえば、
高い塔を抱いた建物を想像するが、
この教会は岩を繰りぬいた地下にあって、
岩肌をさらして、
そこにパイプオルガンをどっしりと構える。
これを見ながら、
バッハに聞きほれていた頃を思い出し、
パイプオルガンの奏でる
「トッカータ&フーガ」を聴いてみたい、
と思っていた。

北欧といえばフィヨルド。
ノルウェーのフィヨルドは、
まさに北欧を象徴する風景。
地球創世の時代から、
氷河によって延々と刻みこまれた
深い海の谷間。
ときに険しく刻まれ、
絶壁の上から轟々と音をたてて
滝が流れ落ちる。
世界屈指の景観で、
どこにもない自然の驚異。
しかしこのときは、
その景色よりも目を引いたのは、
フィヨルドを往来し船に戯れるかもめ。
彼らは旅人の習性を知り尽くしているらしく
船を追い、人を追えば、
パン屑にありつけると知っている。
そこは人間とかもめの知恵比べ。
手の上のパン屑を上手に食べられますか、
というよりも、
上手に食べさせてくれますかと
かもめは舞い降りながら人間に問いかける。
それを人間は写真におさめようと、
シャッターを切りまくり、
瞬撮の妙味、
一瞬の極意に挑戦して、
写真の撮影に我を忘れる。
それがフィヨルドの思い出。

コペンハーゲンは美しい。
市内観光も見どころにあふれていたが、
翌日の運河クルーズはさらに美しかった。
天気晴朗、雲一点ない快晴で、
真っ青な空に街並みが映えた。
パリのセーヌ河クルーズもよかったが、
コペンハーゲンのそれも、
旅の思い出の一齣として
脳裏に刻むことができました。

2018.11.16

ヘルシンキ大聖堂
フロイエン山頂 からベルゲン市内を望む /ノルウェイ

ハンザ博物館

人魚姫像/デンマーク

ニューハウン(運河)
チボリ公園/コペンハーゲン

 

 

北欧の旅③/森と湖の国

北欧は、
ヨーロッパの中でも特異な存在。
イギリスやフランス、
イタリアなどと違って、
北欧特有の文化もある。
北欧4ヶ国の特色を紐解くと
人口はスウェーデンの900万人を別にして
600万人ほど。
首都の人口はその10分の1と思えば、
ほぼ間違いない。
4ヶ国トータルの国土面積も
日本の10倍の広さがありながら、
人口は2600万人と
4分の1にも満たない。
広い国土に少ない人口。
それが北欧。

北欧といえば森と湖の国。
そんなイメージがある。
僕が高校時代、
グループサウンズの曲に、
森と泉に囲まれた~♪♪とはじまる
「ブルーシャトー」という曲があって、
あれはまさに北欧のイメージだった。
森と湖に囲まれた美しい国。
だから北欧に憧れて、
行ってみたいと思った。
我がご幼少のみぎりは、
「ムーミン」が放映されて一世を風靡し、
岸田今日子演じるムーミンの声に
恋してしまったこともある。
デンマークのアンデルセンも
忘れてはならない。
それに、フィヨルド、オーロラ、
そして白夜の国と続けば、
北欧はどこまでもメルヘンチックで、
だからこそ北欧は森の中に湖が点在し、
可愛い妖精たちが棲むところ、
とのイメージがある。
美しきかな森と湖の国。
森の妖精や小人たちが、
木立の中を駆け抜けて、
サンタクロースが、
子供たちのクリスマスプレゼントの準備に
勤しんでいる。
それが北欧。

しかし北欧の印象も
歳を経て少しずつ変化した。
単なるイメージの世界から
現実の世界へ。
テレビやNET情報、雑誌では、
あらゆる雑多な情報が入り組んで、
北欧の新しいイメージを創り上げている。
その主たるものに北欧のデザインがある。
北欧には特有のデザインがあり、
それが際立っている。
とりわけIKEAの家具や
マリメッコなどが有名ですが、
北欧家具はシンプルで実用的。
そしてデザインは明るい色彩のものが多い。
極彩色のカラフルな絵柄は、
北欧の厳しい自然環境への
反動もあるのだろうか。
北欧の冬は長い。
夏はともかく、
冬は陽が射しはじめる時間が遅く、
午後も3時になれば暗い。
だから北欧の子供たちは、
昼間、お父さんの姿を見ないという。
暗いうちに家を出て、
暗くなってから帰る。
そんな風にして、
閉ざされた白夜の世界で、
ひたすら明るさを求め、
住み心地の良い住まい環境を求める。
そんな風に思える。

僕らが訪れたのは北欧の夏。
短い夏――。
それを名残惜しむように、
北欧の人たちは直射日光に肌をさらし、
カフェでは陽射しの射すテラス席を好む。
この辺りが日本人とは違う。
日本の夏、
とりわけ東京の夏は蒸し暑く、
日陰を求め、
エアコンの効いた室内に潜り込んで
涼を求めて彷徨い歩く。
そうした自然環境の違いが、
住む人にどんな影響を与えるのか、
知りたい気がした。

2018.11.14

フログネル公園/オスロ

国立美術館(ムンク「叫び」)
スターブ教会
ウルヴィクのホテルから
ハダンゲルフィヨルド

 

ソグネフィヨルド

再びウルヴィクヘ
フィヨルドを望むホテル

 

北欧の旅②/ヘルシンキ~ストックホルム

このとき訪問した国は、
北欧と一括りしても、
それぞれの国の事情が違う。
いちばん迷ったのは、
手持ちする通貨をどうするか。
4ヶ国にはそれぞれの通貨があり、
9日間で4つの通貨を使い分ける。
クレジットカードが使えるとはいっても、
旅行者の心情として手持ちの現金がほしい。

ノルウェーはEU非加盟国。
その理由は、
EU離脱を決めたイギリスに似ている。
ノルウェーは北海油田を控え、
世界第三位の産油国。
経済も比較的裕福で、
おまけに北欧4ヶ国は高福祉国家。
出産、教育、年金に至る、
ゆりかごから墓場までの生活を
手厚く保障する。
それだけにEU加盟国の
ギリシャやスペインといった
貧乏な国を救済するなんて嫌なこった、
というわけだろう。
ノルウェー・クローネを使う。
スウェーデンとデンマークは
EU加盟国ではあるが、
ユーロではなくこの国独自の通貨を使い、
フィンランドは唯一、ユーロを使う。
だからややこしい。
手持ちした通貨が残れば、
両替の手数料が無駄になる。

最初の訪問国はフィンランド。
ユーロを使用し、
フィンランドといえばムーミンの国。
ムーミングッズを買っておけば、
手持ちする通貨で
土産物を買うことも少なくなるだろう。
最初のTAX-FREEで
手土産の爆買いに走った!?

お気づきと思いますが、
この雑文にガイドブックにあるような
観光地の感想はない。
殆ど旅の印象というべきもので、
その中で印象に残ったことをあげ連ねる。
その一方でいつも、
絵葉書のような
そんな写真ばかり撮ってどうするの、
と言われている。

北欧到着後の最初の夜は、
シリアラインのクルーズ船に乗って、
次の訪問地・ストックホルムに向かう。
ストックホルムといえば、
ノーベル賞とABBAの国。
ノーベル賞の受賞にちなむ市庁舎や
ノーベル博物館に出向いて、
それなりの感慨もあるが、
ABBAが影を潜めていたのが淋しかった。
ABBAは1970年代に一世を風靡し、
世界で最も売れたミュージシャンとして
音楽界の歴史にその名を刻む。
それとともに
ストックホルムは水の都といわれ、
美しい街並みが訪れる人を魅了する
けれどその影が薄い。
ストックホルムらしさを打ち出すなら、
水と緑の美しい風景をバックに、
観光案内にはいっそのこと、
ABBAの曲を流せばいいのに、
と思っていた。
ABBAは今もなお伝説のグループ。
ミュージカル「マンマ・ミーア」の大ヒットも
ABBAの曲があればこそだったし、
彼らの曲を聴けば
今でも心が弾んで、
そして震えます。

2018.11.12

シベリウス公園/ヘルシンキ

テンペリアウキア教会/ヘルシンキ
ヘルシンキ大聖堂
シリアライン/クルーズ船
ストックホルム市庁舎
/ノーベル賞授賞式会場

ストックホルム市内

ドロットニングホルム宮殿

 

北欧の旅①/海街Diaryから

海街Diary―
映画館で観て、
往復の飛行機でも観てしまった。
この映画、
世間的な評価はイマイチですが、

いい映画だと思う。

コミックを原作にした四姉妹の物語で、
鎌倉に住む三姉妹のもとに、
15年前に家を捨てた父親の訃報が届く。
山形の田舎には、
後妻との間に腹違いの中学生の妹がいて、
葬儀に参列する姉を駅で迎える。
初めて逢う妹はしっかりしていて、
父親を亡くした悲しみに耐え
気丈に振る舞う。
妹の母親は既に他界し、
後添えの母親も頼りない。
そんなこともあって
長女・幸は見送りに来た妹に、
――すずちゃん、鎌倉に来ない?
  一緒に暮らさない、4人で。
と声をかける。
妹は一瞬ためらうが、
電車の扉が閉まる瞬間、
――行きます! と応え、
走り去る電車を追いかけながら手を振る。

こうして4人姉妹の共同生活が始まる。
しかし末の妹にとって
新しい生活は全てが順調とは言えない。
叔母は、
――あの人は妹は妹だけど、
  あんたたちの家庭を
  壊した人の子なんだからね、
と言い、それに、
――自分がいることで傷ついている人がいる
と呟き、

――奥さんがいる人を好きになって、
  お母さんよくないよね、
と自分の存在に思い悩む。
長女・幸はそんな妹の心の傷を癒すように、
――ここにいていいのよ、ずっと
と言って抱きしめる。
そんな風にして、
さりげない日々を過ごしながら、
家族の絆を深めていく。

最後の場面で4人姉妹は、
鎌倉の海岸に行ったとき、
長女・幸は父親への恨みを解き放すように、
――お父さん、いい人だったかもね。
  こんな宝物を
  私たちに残してくれたんだから、
と言うと二人の妹も頷く。
温かい情が通い、
それまでの心の棘が
ほどけていく瞬間だった。

そんな映画を観たせいもあるのだろう。
ツアーの中の新婚さんが目を引いた。
今回のツアーは16人。
大半は人生のベテランというべき人で、
その中に一組の新婚さんがいて、
それが新鮮で、
ひときわ精彩を放った。
僕らは人生に思い悩む歳でもない。
しかし一方で海街Diaryのように
16歳にして
人生のあらゆる局面に出会う人もいる。
新婚の二人も新たな一歩を踏み出して、
これから苦しい場面に出遭うかもしれない。
人生は必ずしも順風満帆とばかりはいえない。
それでも生きることに頑張れば、
どこかに新しい道が拓かれ、
幸せになることができる。
なによりも諦めないこと。
小さな幸せの中に
生きることの意味を見出すこと。
それが大事だろう。
村上春樹のエッセイに
「小確幸」という言葉がある。
小さくても確かな幸せ。
本来の意味は少し違うかもしれないが、
日々の中の
小さくても確かな幸せを積み重ねることで
幸せを掴むことができる。
家族の営みとはそうしたもの。
なにげない暮らしの中に
小さな感動があり、

家族の情を深め、
それを紡いでいくことで、
あしたという日に繋がっていく。

ツアーの中の二人の姿は清々しい。
寄り添うように思い遣り、
さりげない言葉に優しさが滲む。
そんな姿を見ながら
彼らのあしたが見えた気がした。
優しい心、思いやる心。
彼らにはそれがあると思う。
新婚の奥さんが車酔いをして
ホテルの夕食をとらなかったことがあり、
そのとき二人で話をしたことがある。
――いい人見つけたね。
と言うと嬉しそうに笑い、
――どっちが積極的だったの、
と問うと「僕です」と答えた。
彼らは某市役所に勤める同期入社の29歳。
最初、彼女に出会ったとき、
――こんな人がまだいたんだ、
と思ったそうだ。
自分が思い描いた人、
理想とする人。
多分、一目惚れだったのだろう。
それからどれだけの付き合いが
あったか知らないが、
二人で愛を育んできたのだろう。

添乗員さんによれば、
北欧ツアーに参加する人は、
旅慣れた人が多いという。
僕らもその類といえるかもしれない。
それだけに若い二人が
北欧ツアーに参加したのは意外だった。
一番人気はイタリア。
某旅行会社でも半分はイタリアだそうだ。
若奥さんはイタリアに行ったことがあり、
北欧は二番手の候補地だったのかもしれない。
ともあれ、
そんな二人の姿を見ながら、
心から幸せになってほしいと願った。
2018.11.9

海街diary

未来都市シンガポール-2/驚きと発見の日々

シンガポール滞在は4日――
観光はともかく、
美味しいものを求めて歩いた記憶が鮮明です。

二日目。
雨も上がり観光の重い腰があがる。
手始めに、
ガーデンズ・バイ・ザ・ベイへ。
シンガポールの象徴ともいえる風景が、
この辺りにある。
マリーナのウォーターフロントに面して
3本の柱で構成された建物が、
マリーナ・ベイ・サンズで、
船の形をした建物の展望台にプールがある。
その異様な形は観る人の目を引き、
イマジネーションをかきたてる。
その傍らにハスの形をした建物があり、
その横にこの日訪れた、
ガーデンズ・バイ・ザ・ベイがある。
これは言うなれば未来型植物園。
その庭園の中の不思議な形をした建造物が、
スーパーツリーで、
巨大な木のカタチを模している。
数年前の我が家のカレンダーにこれがあった。
それが初っ端の1月で、
眼にした瞬間、

えっなにコレ!?と思った。
巨木が並んでいるように見えたが、
眼を凝らして見ると、
どうやら人工の建造物らしい。
調べるとスーパーツリー、
と呼ばれるものと知りました。
いかにもSF的な風景で、
シンガポールを未来都市と称するのは、
この辺り一帯の風景を指している。
ガーデンズ・バイ・ザ・ベイは植物園。
その中にスーパーツリーは10本ほどあり、
その間に橋をわたして
周りを展望するのがスカイウェイで、
ちょっとした空中散歩の気分が味わえる。

シンガポールには、
不思議な魅力がある。
ある人に言わせれば、
シンガポールを一度訪ねて、
もういいやと思う人と、
ハマってしまう人との二通りあるらしい。
暫く歩くとそれがわかる。
日本にはないなんらかの魅力を感じて
何度も足を運ぶ人がいる。
街はクリーンで安全。
安全は金を払っても買えないこともあるが、
シンガポールでは日本と同様、
それが殆どタダで手に入れることができる。
未来都市でありながらエキゾチック。
それが、シンガポール。

シンガポールは物価が高い。
シンガポールを紹介する番組で、
この国では車が驚くほど高いと話していた。
街には日本車も走っているが、
プリウスがなんと1500万円!
なぜそんなことがと思ったが、
ある人が教えてくれた。
シンガポールは経済も豊かだが、
観光立国でもある。
それを誇りにする国が、
渋滞して車も走れないようでは国の恥。
海外のお客さんが安心して喜ぶような国に、
というのが国是でもある。
シンガポールは狭い島国。
車が欲しいと思う人全てが買えば、
街は渋滞してそうした建前も崩れてしまう。
かくしてそれに代わるのが地下鉄。
島の中を縦横無尽に走る地下鉄は、
だからこそ運賃も安い。

市内を散策し、
ホテルで一休みして、
パームビーチシーフードへ。
シンガポールの名物料理には、
チキンライスやチリクラブなど色々ある。
そのチリクラブを提供する店も
たくさんあるが、
なんといっても、
パームビーチシーフードがいちばん。
味もいちばんだが、
ロケーションもベスト。
美味しいものを、
美味しい場所で。
それを満足させるのがこの店、
というわけで、
日本で予約して、
川に面したテラス席を確保した。
18時半から2時間ほど。
テラス席は昼間は暑いが、
夕方はめっきり涼しくなり、
夜景と、対岸のマリーナ・ベイ・サンズの
レーザーショーを観ることができる。
ショーは20時から15分ほどで、
ホテルの屋上辺りから
色とりどりのレーザーを発光し、
シンガポールの夜景を彩る。
それを目の前で観ることができるのが、
このテラス席というわけ。
さらには50mほどのところに、
マーライオンパークのマーライオンがある。
まさしくシンガポールの絶景中の絶景を、
しかも夜景のベストの時間に
観ることができた。
至れり尽くせり。
メニューのチリクラブは、
蟹を一匹調理したもので、
美味ではあったけれども
食べるのに手こずった。
日本の蟹とは違い、
食べ馴れるのも大変だろう。

三日目。
昼少し前にホテルを出て、
サークル線で30分、
ポタニックガーデンへ。
地下鉄を降りるとすぐ目の前が門。
この植物園はかなり広く、
園内を廻ると汗びっしょり。
この日は娘夫婦とは別行動で、
お目当てのラン園までは遥か遠い。
暑い思いをしたが、
見ればラン園は見事で、
この国で唯一の世界遺産でもあるらしい。

ホテルに戻り、
ショップで買い物をする。
この夜の予定は、
8時にチーズ&チョコレートバーへ。
マリーナ・ベイ・サンズの55階にあって、
57種類のチョコレートとチーズが食べ放題。
チーズ好きやチョコレート好きには、
たまらないだろう。
このレストランのセールスポイントは、
シンガポールの夜景を愉しみながら
食事ができること。
マリーナ・ベイ・サンズの展望台は、
宿泊者以外は有料で2000円。
それなら食事をしながら、
夜景を愉しめれば一石二鳥だよね、
ということで、
この日のレストラトランとなった。
シンガポールの夜景を見下ろす絶景。
前夜は対岸で蟹を食べながら夜景を愉しんで、
翌日はそれを見下ろした。
普段出来ないことをする。
それも旅の醍醐味で、
この旅ではそれを味わうことができました。

4日目。
フライトは夜10時。
チェックアウトの12時までホテルで過ごし、
その後、チャンギ空港へ。

2018.11.2

ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ

スーパーツリー

マーライオンパーク
マーライオンと
マリーナ・ベイズ・サンズ
パーム・ビーチ・シーフードで
レーザーショー
レーザーショー

ポタニックガーデン

チーズ&チョコレートバーの窓から

未来都市シンガポール-1/ラッフルズホテル

真冬の日本から
常夏の島シンガポールへ。
2016年2月19日、
0:05羽田発JAL便。
出発後7時間余で
目的地に到着した。

シンガポールは、
赤道直下にあり、
熱帯雨林に分類される。
人口550万人。
住民の75%は中国系で、
ほかにマレー系、
インド系などが占める。
経済は急速な発展を遂げ、
ビジネスの中心地として
貿易、金融、交通、医療、教育など
あらゆる面で世界のトップレベルにある。

とはいえ僕自身は
この国に魅力を感じなかった。
街の中心には高層ビルが林立し、
一見すると未来都市のようでもあり、
夜になれば、
眩いばかりの光のショーが繰り広げられる。
しかし旅は癒しを求める場。
その国の伝統や文化を知り、
自然に慈しみ、
それらと共生する時間。
それが旅の魅力であり、
シンガポールは
そうした点が欠けているように思えた。
しかし、行ってみて
そうした先入観が一転した。
シンガポールには、
シンガポールにしかない魅力があった。

このときは娘夫婦と
その子供と5人で出向いた。
6ヶ月の幼な子を抱えての旅。
だから無理はできないし、
ゆったりした旅にしたいと、
少しの観光を挟んで
ホテルライフを愉しむことを優先した。
だから、ラッフルズホテル。
しかし、シンガポールといえば、
有名なマリーナ・ベイ・サンズがある。
屋上に船を浮かべたような
大きなプールがあり、
シンガポールのランドマークというべき
存在になっている。
宿泊者は、
眼下のシンガポールの絶景を愉しみながら、
ひと泳ぎすることができる。
館内には巨大なショッピングモールもある。
常に大勢の観光客であふれ、
初日の夜、ここを訪れたが、
中央には4階まで突き抜ける
大きな吹き抜けがあり、
上から覗くと
世界的なブランドショップが並んで、
その威容は実に壮観だった。
とはいえ、
買いもしないブランド店があるばかりで、
いささか食傷気味。
マリーナ・ベイ・サンズは、
都会の喧騒が雑居して、
どこかしら違和感を覚えました。
それに比べると、
ラッフルズはこれとは対極にある。
コロニアル風の瀟洒な建物が特徴で、
サマセット・モームや、チャップリンが、
常宿の宿として利用したホテルで
全室がスウィート仕様。
このホテルを一言でいえば、
貴婦人のような風雅な佇まい。
都会のオアシスとして
絶好のロケーションにあるといえます。
泊まった部屋の隣の扉には、
サマセット・モーム・スウィート、
という銘板もありました。
館内のショッピングゾーンには、
小粋で洒落た店が並んで
一般客も利用できますが、
宿泊棟に立ち入ることはできない。
だからホテルの中は都会の喧騒を離れて
静かで落ち着いた雰囲気があり、
創業130周年を迎えたばかりの、
伝統のあるホテル。
建物は創業時の建物に手を加えながら、
更に磨かれて
サマセット・モームはこのホテルを称して
東洋の真珠と呼んでいる。
近代的設備を備えた豪華なホテルは
いくらでもあるが、
ラッフルズはそうしたホテルにはない、
風格と不思議な安らぎがあります。
シンガポールの5つ星ホテル。

到着した日は、
チェックイン時間の前だったが、
朝から雨。
荷物を預けて観光するつもりだったが、
前夜は深夜発の便。
時差は1時間ほどでしたが、
やっぱり堪える。
部屋に着いて暫くすると、
観光は後回しでベッドやソファで爆睡した。

午後2時から
ホテルのティフィンルームで
ハイティーを戴く。
シンガポールに行ったら、
これを絶対に愉しまなくちゃ、
と行く前にこのレストランを予約。
実はハイティーなるもの、
シンガポールに行くことになって、
初めて知った。
アフタヌーンティーに似ているが、
イギリス人に言わせれば別物。
アフタヌーンティーやハイティーは、
イギリスが発祥の地で、
シンガポールはかつてイギリス領。
そうした文化の名残が色濃く残っている。
アフタヌーンティーは言わば、
イギリスの上流社会の社交の場。
午後のひとときを、
オペラや観劇を愉しむ前に軽く食事をして、
お茶を飲み、小腹を満たして
優雅に過ごすというのがステイタス。
シンガポールには、
これを提供する店は多いが、
その頂点にあるのが
ラッフルズのティフィンルームのハイティ。
イギリス文化の象徴ともいわれ、
シンガポールを訪れる人の多くが
憧れるという。
コロニアル風の建物の中に、
このレストランがあり、
白を基調にした美しい佇まいで、
清楚にして優美。
お茶や珈琲とともに
三段式の皿の上には
サンドウィッチやケーキが載せられ、
この店では点心などの中華風の食べ物も
並んでいました。
席につくと紅茶や食事が運ばれて、
バイキング方式で
自分好みのメニューを皿に盛る。

ハイティーは、
労働者や農民が広めたもの。
アフタヌーンティーよりも
少し遅い時間帯に食し、
夕食を兼ねていたが、
上流社会の人たちは、
これと混同されるのを嫌った。
ハイティーは下層階級の人のたしなみで、
アフタヌーンティーとは似て非なるもの。
しかし今では当たり前のように
混同されて使われ、
それというのもアメリカ人が
「high」を「formal」と勘違いして
使ったことが発端とされている。
今は呼び方が違うだけで、
見た目の違いは殆どありません。
ハイティーはこの日で終わりましたが、
ティフィンルームではその後、
朝食を戴くことになりました。

2018.10.31

ラッフルズホテル

ティフィンルームの
ハイティー

イギリス紀行-5

◆5月22日(金)
/ロンドン

翌日はロンドン泊。
市内のレストランで夕食後、
ホテルへ向かう。
この日のホテルは、
世界遺産のロンドン塔からも近い。
夜が更けるのが遅いヨーロッパでも、
どっぷりと日が沈む頃だった。

エジンバラから
全てのルートを走り切った

バスの運転手さんは、
この日が最後。

翌日はエジンバラまでバスを走らせる。
北へ北へと800kmの道を戻る。
そんな緊張がほどける瞬間だったのか、
魔がさしたのか、
これまで運転技術を余すことなく
見せてくれた運転手さんだったが、
ホテルの前でバックするとき、
歩道との境のポールに衝突、
倒してしまった。
運転手さんはバスの傷をチェックし、
さほど傷がないことで安心したのか、
両手を広げて、
まっいいか!といった感じで
そのまま走り去った。
あとはロンドン市民が税金で直すのだろう。
運転手さんとの最後のお別れ。
さすがにハグはしなかったが、
バスから最後に降りて、
右手に5ポンド紙幣を握り締め、
握手を交わす瞬間に
さりげなく相手の手の中に押し込んだ。
それが運転手さんにチップを渡す、
上手な作法ですよ、
と添乗員さんに教えてもらったことがある。
5日間のご苦労さまに応えて
感謝のチップを贈りました。

フロント前は広いロビー。
正面ドアの前では、
イギリス風の広縁の黒い帽子に、
制服を着たドアマンが
お客さんを出迎えている。

うやうやしくお辞儀をして、
タクシーのドアに手をかける。
ホテルから歩いてすぐ前に
ライトアップされたロンドン塔や
ロンドン橋を見ることができる。
荷解きはほどほどにして
夜の街へ繰り出す。
ほろ酔い気分の人が千鳥足で歩き、
観光客がカメラ片手に
ロンドン塔を写真におさめていました。

ロンドン塔
ロンドン橋

◇チェルシーフラワーショー

翌日の市内観光の手始めは、
チェルシーフラワーショー。
このショーは、
このツアー限定のプラン。
日本では全くと言っていいほど
知られてはいないが、
イギリスでは超有名なショーらしい。
1週間ほどの短い期間ですが、
ショーの前の数日、
そして当日には、
BBCというイギリスの国営放送で
ショーの見所を紹介するという。
王室の方々もご覧になり、
初日はエリザベス女王も来場された。
世界一の花のショー。
世界中からやって来て、
花の展示の技を競う。

チェルシー・フラワーショー

このショーには、
石原和幸さんという
日本人の庭師さんも参加し、
前年に続いて栄えある特別賞を受賞した。
3年ほど前ですが、
テレビでも紹介されていた。
ともあれその日、
彼の展示場にも足を運んだ。
和風の贅を凝らした庭園に、
日本人らしい和の庭園を演出していた。
イギリス人にとって日本庭園は珍しく、
新鮮に映るのだろう。
会場いっぱいに
花のショーが繰り広げられ、
チケットは早々に売り切れ。
会場の外にはダフ屋も出没して、
このショーを一目見ようと、
イギリス国内だけでなく
ヨーロッパ中からやってくる。
庭作りが好きなイギリス人。
これを見ながら
自宅の庭をイメージして

創造力を膨らませるのだろう。

石橋和幸さん展示

◇ロンドン市内観光

その後は市内観光。
バッキンガム宮殿前は、
怒涛のような人波で、
ロンドン市内は、
どこもかしこも交通渋滞。
大英博物館までの道も思うようにならない。
やっとのことで到着して
ガイドさんが展示物の紹介をこなしていた。
さすがはプロ。
立て板に水を流すような
見事な解説で古代文明を紹介。
エジプトや、ギリシャ、メソポタミアなど、
大きな展示物を前に
歴史の流れを解説していました。

バッキンガム宮殿

大英博物館

発掘されたミイラ

2018.10.24

イギリス紀行-4

◆5月20日(水)
 /コッツウォルズ

コッツウォルズ。
蜂蜜色した石造りの家が並んだ
この辺りをそう呼ぶ。
ロンドンから車で2時間。
羊毛業が盛んだった。
この付近には、
こうした石灰岩の切り出し地があり、
昔からその石で家が造られてきた。
あたり一面には小高い丘に牧草地が広がり、
その合間に森が点在する風光明媚なところ。
今は観光地として広く知られ、
海外から多くの人がやって来る。
しかしロンドンの人はともかく、
イギリス人でも、
コッツウォルズを知らない人がいるという。
ロンドンに住む人にとって、
コッツウォルズに住むことは、
ステータスであり、
憧れでもある。
週末の別荘として、
あるいはリタイア後の生活の場として
此処に住みたいと切に願っている。
コッツウォルズは、
今ではイギリスを代表する観光地。
ブロードウェイ、
ボートン・オン・ザ・ウォーター、
バイブリー、
チッピングカムデンなどの町があり、
数百年を経た今でも、
昔ながらの石造りの家が並んでいる。
それがまた町の人の誇りであり、
ナショナルトラスト運動の
保護地にもなっている。

◇マナーハウス
 /リゴンアームズ

前夜と翌日は、
リゴンアームズという、
マナーハウスに宿泊した。
マナーハウス、
あるいはカントリーハウスは、
日本人には馴染みがないが、
かつての荘園領主や
貴族の住まいをホテルなどに改築したもの。
リゴンアームズもそのひとつで、
ホテルとしてのランクも高い。
けれど、行く前に
NETで宿泊者の口コミを見ると、
ーーこのホテルを見てがっかりした。
  古くて薄暗い、と書き込んでいる。
そんな人は此処に泊まる資格がない。
築後400年を経ても、
その当時の造りを残し、
いかにも古くていかめしい。
しかしその分、貴族がどんな家に住んで、
どんな暮らしをしていたか
垣間見ることができる。
貴重な経験だと思う。
大勢の人を招いたといわれる
シャンデリアのある大広間は、
今はレストランとして使われている。
リビングや部屋に通じる廊下は、
歩く時に軋んで、
ぎしぎし音がするが、
それが却って
この館の歴史を感じさせる。
古い歴史を刻む館。
それがこの日の宿、リゴンアアームズ。
ブロードウェイにある。

宿泊したマナーハウス

◇ボートン・オン・ザ・ウォーター、
 バイブリー、チッピングカムデン

この日は、
コッツウォルズの町を訪ねた。
ボートン・オン・ザ・ウォーターは、
バイブリーと並んで
コッツウォルズを代表する町。
町の中心には小川が流れ、
せせらぎの音を聴きながら
川沿いのベンチに座り
ゆったりとした時間を過ごす。
ベンチは大きな木で陽射しが遮られ、
木漏れ日がさしこんで
心地よい風を運んでくる。

ボートン・オン・ザ・ウォーター

イドさんによれば、
この日、観光客は少ないという。
いつもは川沿いに人があふれ、
ラッシュアワー状態。
とりわけ中国人観光客が多い。
ガイドさんは、
中国人観光客について
こんな話をしていた。
彼らの多くは観光ではなく、
買い物が目的。
土産物店に雪崩れ込んで、
我先にと他の観光客を押しのけて
買い漁るという。
日本人もかつてはそうだったのだろうか。

バイブリーは、
コッツウォルズらしい景観があり、
小さいながら美しい町。
川の流れの中に黒い白鳥がいて、
小さな白い白鳥を嘴で突いて
押しのけていました。

バイブリー

ヒビコット・マナー・ガーデン

◆5月21日(木)
/バース~ストーンヘンジ

南下してバースへ。
バースはイングランド西部にある
世界遺産の町。
日本人には馴染みが少ないが、
イギリスでは、
ロンドンの次に観光客が多い。
バースといえば古代浴場跡が有名。
英語の「bath」の語源にもなっている。
いかにも映画「テルマエ・ロマエ」の
阿部寛が登場しそうなところで、
イギリスに居ながら
ローマ遺跡を見ることができる

市内はバスで巡回したが、
坂が多く、狭い道を曲がりながら
目的地を目指した。
車窓から見る街並みは美しく、
風格のある建物が歴史の重みを感じた。
とりわけ異彩を放っていたのが、
サークルとロイヤルクレッセント。
18世紀に親子二代で造られた建造物で、
今でいう集合住宅。
広々とした芝生に囲まれ、
陽射しがさす昼間は、
街の人たちの憩いの場になっている。
此処で写真撮影。
この日この時この場所に
俺はいたんだという痕跡を残す行動で、
のマーキングに似ている。

ロイヤル・クレッセント

バスは市の中心部に移り、
ローマ浴場跡を目指す。
バースは古い都市。
遡れば紀元前に温泉が信仰の対象として
使われていたという。
しかし、本格的に浴場として
使用したのはローマ人。
西欧の歴史は古い。
イギリスもローマ帝国に
支配されていた時代があり、
彼らは温泉があるのを知って
浴場を造ったらしい。
とは言っても、
古い遺跡は戦争で焼失し、
現在の建物は再建されたもの。
いかにも昔から浴場があったように
建てられている。
遺跡は町の中心の
賑やかな場所にあり、
これがローマ浴場跡ですよ、
と言われなければ
見落としそうな目立たない建物だった。
古い建物が並ぶこの町では、
特別なものではなく、
むしろ隣りにある教会の方が、
存在感を示していた。
しかし一歩その中に足を踏み入れれば、
ローマ時代にタイムスリップしたような
そんな錯覚に陥る。
それは想像をかきたてる。
当時の人たちは、
それを信仰と交流の場としてきた。
ヨーロッパには、
日本のような公衆浴場があるわけではなく、
広い温泉で入浴する習慣も少ない。
そんな国の、そんな時代に、
彼らはこの浴場を
どんな風に利用したのか。
人と人が交わる交流の場として
裸の付き合いがあったのだろうか。

ローマ浴場跡

◇ストーンヘンジ

バスはハンドルを切り、
ストーンヘンジを目指す。
ストーンヘンジは先史時代の遺跡。
イギリスの中でも、
最も有名な風景のひとつで、
建てられたのは紀元前2500年頃。
しかし、この遺跡には謎が多い。
30個以上の巨石群で、
円状に直立して建てられ、
大きな石は40tにもおよぶ。
500km西の遠方から運ばれてきたという。
ではそこまでして、
何のために造られたのか。
どんな風にして建てられたのか、
といった点は今も謎のまま。
ある種の宗教行事のためだろう、
と推測されている。
高い天文学の知識があったのでは?
ともいわれている。
しかし、それを証明する証拠がない。
遺跡から状況証拠を集めながら
紀元前の謎を迫っている。

ストーン・ヘンジ

2018.10.22

イギリス紀行-3

◆5月18日(月)
/湖水地方~

旅を愉しく、
より魅力的にするには、
旅先のイメージを膨らませて
そこに想いを馳せることでしょう。

この日は湖水地方を巡る。
イギリスの田舎は美しく、
とりわけ湖水地方や
コッツウォルズは美しい。
緑一面の牧草地に、
なだらかな丘がうねり、
牛や羊の群れが草を食む。
いかにもイギリスらしい
のどかで美しい風景が広がっていました。

湖水地方

そんな風に
バスから外を見ていると、
こうした風景を遮るものがない。
看板やガードレールがなく、
電信柱もない。
もとある自然の、
そのままの姿がある。
その理由は、
湖水地方に行ったときに知った。
ガイドさんいわく。
イギリスはナショナルトラスト運動に
取り組んでいます。
そしてその先駆者が、
かの有名な「ピーター・ラビッド」の作者、
ビアトリクス・ポターだという。

彼女の生い立ちは、
映画館で観たことがある。
「ミス・ポター」という映画だった。
裕福な家庭に生まれながら、
引っ込み思案で、
家の中に閉じこもり、
絵を描くが大好きで、
昆虫が大好き。
そうした小動物と暮らすことを
夢見ていた。
それが湖水地方の彼女の家、
ヒル・トップだった。
ロンドンという大都会に育ちながら、
自然を慈しみ、
自然とともに生きたいと、
この地を永住の地とした。
彼女の描くピーター・ラビッドは大ヒット。
彼女はやがて巨額の富を得るが、
自然を愛する彼女は、
自然保護のために
広大な土地を
ナショナルトラスト運動のために
提供することにした。
この運動の聖地が、
この日の訪問地、
ウィンダミアーー。
人工物を排除し、
徹底した自然保護活動を行っている。

ウィンダミアは、
美しい自然に恵まれ、
ポターの家もまた、
かつての姿そのままに残されていました。
緑一面の牧草と、
ほんの少しの野菜畑。
のどかで美しく、
人と、動物と、自然が共生する風景。
それが、ヒル・トップ。
いかにも、
いたずらっ子のピーター・ラビッドが
飛び出してきそうな、
そんな自然に恵まれた所です。

ヒルトップ
ポターの家
のどかな風景
ピーター・ラピッド

湖水地方は、
美しい自然を背景に、
遊覧船を湖水に浮かべ、
蒸気機関車がのんびりと走ります。
この日はあいにく朝から雨。
午前中は、
ひたひたと降り続いていました。
バスに乗り、
船着場のレイクサイドから遊覧船に乗って
30分ほどで
蒸気機関車の待つ港に到着。
いかにも『機関車トーマス』と
いった感じの機関車で、
もっぱら観光用。
15分ほどで終着駅に到着しました。

レイクサイド

その後、
カントリーハウスに寄り、
アフタヌーン・ティーで舌鼓・・

アフタヌーンティを

◆5月19日(火)
/ハワース~

この日は移動日。
ハワースから、
ストラスフォード・アポン・エイボンまで
500kmを7時間で走り、
その途上で二つの観光地を巡る。
ひとつがハワースで、
もうひとつが、
ストラスフォード・アポン・エイボン。

ハワースという地名は、
ほとんど耳にしたことがない。
しかし、シャーロット・ブロンテと
エミリー・ブロンテ姉妹が生まれ育った所、
といえばわかるだろうか。
姉のシャーロットは「ジェーンエア」を、
妹のエミリーは「嵐が丘」を執筆した。
嵐が丘はドロドロした復讐劇で、
ヒースクリフという主人公が、
かつて愛した人や、
その家族に復讐を遂げるというもの。
ブロンテ姉妹は、
30歳前後で亡くなりましたが、
この二作はともに、
二人が27歳のときの作品。
凄いと思う。
これほど内容の濃い作品を、
この歳で書いてしまった。

実際に見たハワースは、
イギリスの田舎といった風情で、
嵐が丘のような
惨劇が演じられる印象はなかった。
そこは虚構と現実の世界。
ブロンテ姉妹の繊細な感性と
豊かな創造の賜物でしょう。
もう少し長生きすれば、
さらに優れた作品を世に残したと思う。

ハワース

さらに南下して、
コッツウォルズの北の果て
ストラスフォード・アポン・エイボンへ。
この町はシェイクスピアの生誕地。
彼の活動の拠点はロンドンでしたが、
引退後はこの地に移り、
余生を過ごしたと言います。

アン・ハサウェイの家
シェイクスピアの生家

ストラスフォード・アポン・エイボン

◇シェイクスピア

シェイクスピアに
凝った時期があります。
その当時、
レナード・ホワイティングと
オリビア・ハッシ―主演の
「ロミオとジュリエット」が上映され、
それを観ました。
ワクワクした。
中世のイタリアの古都、
ヴェローナを舞台に
シェイクスピアのめくるめく言葉の渦が、
異次元の世界を見せて、
言葉の持つ魔力に引き込まれました。
その後、シェイクスピアを
貪るように読んだものです。

彼が活動した時期は、
16世紀末から17世紀。
先代のエリザベス女王の時代で、
日本では安土桃山から江戸時代初頭。
彼の生家は今も現存し、
築後400年を経た超レアもので、
木組みの家。
建っていることが不思議なほど
一歩足を踏み入れれば、
壁がきしみ床がうねり、
歩くほどギシギシ音がする。
天井は低く、部屋は薄暗い。
彼が生まれた部屋もありましたが、
世界的な文豪も、
子供の頃はこうした家に住んで、
創造性を蓄え、
俳優を目指して、
やがて劇作家として、
名声を得たわけですが、
名作が生まれる環境とはなんぞや、
と思ったものです。
裏の敷地では、
将来の舞台俳優を目指す人たちが、
シェイクスピア劇を演じていました。

シェイクスピア。
生誕400年余――。
それでもなお
観る人の心にひびき、
人々に新たな価値を生み出している。
シェイクスピアは偉大なり。

2018.10.19

イギリス紀行-2

◆エジンバラの歴史

さてもさてもエジンバラ。
かつてはスコットランドの首都であり、
イギリス金融界の中心地でもある。
人口は50万人ほどで、
それほど大きくはないが、
重厚で魅惑的な都市。
けれど、スコットランドの印象は薄い。
あえていえば、
17世紀初頭に、
イングランドの女王エリザベスが、
スコットランド王に王位を継承した、
ということくらいか。
エリザベスは女王であり、
王位継承のゴタゴタを避けるために、
生涯独身を貫いた。
その当時、誰に王位を継ぐか、
との点で諸々の案があったが、
結局はスコットランド王に王位を継承した。
イングランドとスコットランドは、
これまで幾度となく戦争を繰り返し、
お互いの確執は有名。
スコットランドは、
イギリス本土の北側にあって
独自の文化をもち領土への愛着も強い。
そこにエリザベスが、
王というニンジンをぶら下げて王位を譲ると、
リチャード3世はその後、
エジンバラに戻ることなく
衰亡の一途を辿ることになる。
それこそがエリザベスの狙いで、
イングランドは事実上、
無血でスコットランドを
併合することになった。

この確執は今も続き、
スコットランドの自立心は強い。
先頃、スコットランドの独立は是か非か、
との国民投票が行われたが、
僅差で否決――。
スコットランドにガス油田があるが、
その利権がイングランド圏に
大きく雪崩れ込んで、
それが面白くない。
スコットランドは独自の文化をもち、
国の生い立ちも違う。
それなら独立を!となったが、
スコットランド人の中でも
是々非々の議論があって、
イギリスにとどまるべし、
との意見が強かったようです。
しかし一昨年の国民投票では、
EU離脱が決定。
実行は2019年3月29日で
5ヶ月後に迫る。
しかしスコットランドは、
EUを抜けるべからず、
との意見が強いとされ、
再びイギリス分裂の動きが、
現実味を帯びてくる。
そうなれば、
ユニオンジャックは消えるのだろうか。

エジンバラ城

エジンバラの逸話

ガイドさんによると、
18世紀のエジンバラは、
経済の中心地として飛躍的な成長を遂げ、
それに伴って人口が急激に膨張。
狭い部屋の中に
溢れんばかりの人が押し込められ、
ステータスの高い人たちは、
建物の上へ上へと移り住んで、
反対に低階層の人たちは、
地下へ地下へと潜り込み、
どんどん地下深い所で
生活をするようになった。
部屋の中に光が射すことはなく、
下水もない。
汚物が建物の上から投げ捨てられ、
それが地下へと浸透して、
きわめて不衛生な状態になる。
やがてペストが発生し、
それが広まることを恐れた役人は、
地下室の入口を閉鎖してしまったという。
いわば住民は生き埋め状態になったわけで
最近になって、
そんな風にして閉ざされた、
地下室の入口が発見された。
入口には献花が絶えないという。
エジンバラにも悲しい歴史があった、
ということです。

エジンバラ城から街をのぞむ

◆5月17日(日)
/エジンバラ市内

ジンバラの町は、
期待以上の光景が広がっていました。
エジンバラ市街は、
新市街・旧市街ともに世界遺産で、
エジンバラ城はもとより、
イギリス王のもう一つの居城、
ホリールード宮殿など、
市内には見所が多く、
全てに見ごたえがあります。
荘厳で、重厚、そして優美。
エジンバラ城に至る石畳や、
石造りの家並みなど、
街全体に深い歴史が刻まれて、
スコットランド此処にあり!
との気概を感じました。

一番の見所、
エジンバラ城は、
イギリス最古の古城。
切り立った崖の上にそそり立ち、
三方は崖に囲まれている。
堅牢な城としても有名で、
繰り返された戦争の歴史で
一度も落城したことがないという。

これまでヨーロッパの都市を
いくつも見てきましたが、
歴史を物語る都市の景観としては、
エジンバラは最も風格を感じました。

エジンバラ市街

2018.10.17