学生時代は一人合点して、
自らを「趣味人」と称し、
こだわりと本物志向を求めていました。
単に表面をなぞるだけでは得られない、
ホンマモンの世界。
それに憧れていました。
かといって、
さほど多くない小遣いでは、
旅に出るほどの金があるわけでなく、
グルメを目指すには、
情報も先立つものもない。
とりあえず出来ることから、
と辿りついたのが、
珈琲通を自認することでした。
気に入った店で、
珈琲を飲み、
店の雰囲気を知り、
味を極める。
出先にこれはと思う店があれば、
新規開拓と称して店に入り、
珈琲と店の品定めをする。
そんな店が、渋谷や、新宿、
原宿、銀座などどこにでもありました。
学生時代の一時期、
赤坂に住んだことがあります。
赤坂は、新宿や、渋谷、池袋のような
ハブ拠点の大衆歓楽街ではなく、
かといって六本木や自由が丘のような、
その道の通を気取る街でもない。
日比谷や国会議事堂などを背に、
老舗の高級料亭が並ぶ
上流社会の裏の顔と言うべき街。
言葉を換えれば、
財界人やお偉方の夜の社交場とも言えます。
と言っても、
昼間歩けば赤坂は普通の街。
なんの変哲もない、
魅力の乏しい街に映ります。
その当時の住まいは、
メトロの赤坂見付から
霞ヶ関方面に歩いて7分ほどの所。
少し遠回りすれば赤坂の一ツ木通りが並行して、
その先にTBSがある。
赤坂はシンデレラタイムを廻れば、
豹変して俄然活気を帯びる街。
駅に向かう通りには、
日本を代表する「ミカド」というキャバレーがあり、
その前に並ぶ車は、
キャデラックやロールスロイスなど、
今で言うスーパーカーが勢ぞろい。
友達と「凄い!」、
と言いながら歩いたものでした。
そして夜ともなれば煌びやかに光輝くネオン。
昼と夜の顔――。
これほど落差があって、
これほど表情の違う街は、
他にはなかったと思います。
赤坂は学生が歩くような街ではない。
それでも時おり思い立って、
ここはと思う店に飛び込みました。
赤坂は他の街とはいささか雰囲気が違い、
ギターの弾き語りを聴かせる店、
王侯貴族がご利用賜るような
ゴージャスな店もありましたが、
お気に入りの店は、
TBSの前の地下にある喫茶店でした。
白を基調にした店で、
清楚でお洒落な店。
店の奥には白いグランドピアノがあり、
それを女性ピアニストが弾くのを聴きながら
珈琲を飲むのが好きでした。
そんなわけで赤坂では、
通学の行き帰りに、
ひとりで喫茶店に入り、
のんびりと本を読むこともありました。
とある日、
赤坂見附の前の喫茶店で、
二人の若い女性が、
賑やかにおしゃべりしていました。
――私ね、家を建てたら、
家じゅうのドアというドアをあけて、
音楽をがんがん鳴らしてお掃除をするの。
それが夢!
という声が聞こえました。
他愛のない夢の話でしたが、
どこかしら共感するものを感じて
今でも記憶に残っています。
赤坂のことを書いていたら、
赤坂離宮――、
今の迎賓館を思い出しました。
迎賓館は今は一般公開されていますが、
これまでは国賓級の客をもてなす場、
我々には無縁の世界でしたが、
それが見学できるようになりました。
赤坂離宮という所を知ったのは、
高校生のとき。
その当時、好きだった女優がいて、
彼女が出演する映画の中で、
彼との待ち合わせに
赤坂離宮の正門前が使われていました。
映像を通して見る赤坂離宮は、
まるで別世界、
一度それを見たいと思っていました。
赤坂に住むようになってそれを思い出して、
赤坂離宮に行こうと思い立ちました。
しかし、目指す先は遠い。
同じ赤坂でも東と西の果て。
赤坂見附の駅から反対方向で、
紀尾井町の坂を昇り、
ホテルニューオータニの前を通って、
大通りに突き当たり、
これを右折する。
大通りの左側には石垣が延々と続いて、
どこまで続くともしれない長い道を歩いて、
やっとのことで石垣が途切れる。
その左手に豪華な門が見え、
その前に立ったときの衝撃は驚くばかりでした。
10mはあろうかという背の高い門は、
西欧風の瀟洒な造り。
その門を透かして中を覗くと、
広々とした芝生が広がって、
遥か彼方には宮殿風の建物が聳え建っている。
えっこれが東京!、
東京にこんな所があるの、
と圧倒されました。
その威容はとても、
東京のど真ん中とは思えない、
日本とは違う異次元の世界を見ているようでした。

そんなこんなの記憶の中の赤坂、
心象風景としての赤坂。
赤坂は東京を離れてから殆ど訪れることはなく、
記憶の底に埋もれていました。
しかし15年以上前ですが、
本場のブロードウェイミュージカル「CICAGO」が、
赤坂ACTシアターで上演され、
それを観たことがあります。
そのときは家族で観に行きましたが、
大学卒業後、殆ど初めての赤坂でした。
赤坂は住み慣れた街。
ほんの庭先の、
よく知っているはずの街でしたが、
これがわからない。
そのときは車で行きましたが、
右往左往して、
あそこにはあれが、
と思う通りや建物が見当たらない。
まるで浦島太郎症候群でした。
車から降りて街の中を歩き、
辛うじて一ツ木通りは判別しましたが、
別世界に迷い込んだようでした。
その当時の赤坂は今は昔。
全く原型をとどめないほど風景は変わり、
街は変わり、
住む人も大きく変わったのでしょう。
それでも記憶の中の赤坂は懐かしい。
思い出が蘇り、
どことなく郷愁を誘う
心洗われる風景が、
今でも記憶の片隅にあります。


2018.8.26