珈琲の淹れ方/オリンピックの感動

オリンピックの感動

話題沸騰の
平昌冬季オリンピックも
日後に迫った。
今回の平昌大会が
どんな感動を与えてくれるか
今から愉しみですが、
冬季オリンピックといえば、
なんといっても
長野オリンピックを思い出す。
数多くの感動的な場面がありましたが、
その中で印象に残る
思い出の一こまを振り返ります。

オリンピックは、
スポーツのもつ
あらゆるものが凝縮している気がします。
限りない夢であり、
人生であり、
それゆえの悔しさや
感動がある。
だからこそオリンピックは
ドラマだと思う。
平昌オリンピックが開催され
熱戦が繰り広げられようとしていますが、
オリンピックでは、
これまでも数々の名場面があり、
感動を与えてきました。
その中でも印象に残るのは、
長野オリンピック。
このときの新聞に
こんな記事が載っていました。

500mのショートトラックで
北朝鮮の選手は韓国のコーチに
頑張れ!と声をかけられ、
控室には中国や日本の選手もいる。
国境が融けていくような
温かい気持ちになった
と語ったそうです。
これでこそオリンピック。
個人が国の威信を賭けて
競いあうのではなく、
個人が世界のトップレベルの技を
競いあうことで
人としての融和も、
友情も生まれる。
言葉を超え国境を越えて。

その中でも
人が人としての信頼や尊厳を回復する
さわやかな言動が目を引きました。
500mスピードスケートで
清水選手が金メダルを獲りましたが、
ライバルの堀井選手は
――私の収穫は清水選手の金メダル。
といい、清水選手も
――私のメダルは堀井選手のおかげ。
という。
心がグスンとしました。
そして清水選手は、
――競技の頂点は人としての頂点じゃない。
  競技者である前に、
  人としてやるべきことを
  きちんと見つけなければ、
と語ったそうです。
頂点をきわめてもなおこれが言える。
頭が下がる思いがしました。
清水選手の500mは感動的でした。
日本勝ってよかった!
と身びいきして見ていましたが、
走り終えて、
肩を組み、握手し、抱き合いながら
我がことのように
涙を流して喜んでいる周りの選手や
スタッフを見て
本当に胸が熱くなる想いがしました。

栄光は一瞬にあらず!
この栄光の影に
どれほどの挫折と無念の涙と
辛苦の努力があったことか、
測り知れない思いがします。

あの日、スタンドの後部座席に
しきりにハンカチで涙を拭う
母親の姿がありました。
この母親と清水選手。
彼らのこれまでのエピソードが、
新聞に紹介されていましたが、
これが感動的でした。
二人三脚で息子の
スケートに賭けた父親は数年前に他界。
父親の通夜の夜、
――親父だったら練習を休むな
  と言うに決まってる。
と泣きながら外に飛び出す。
父親の経営していた建設会社は、
ほどなくして倒産し、
母親は生活のため
建設現場の作業員になって働く。
その母親が言うには、
――この方がお金になるし、
  冬は仕事がなくて
  息子の応援に行けるから、と。
生活は苦しく、
遠征の資金は長男や姉たちが
仕送りしても足りず、
海外遠征を諦めたこともあった。
一瞬の栄光の影に
そんな家族の愛情や
勝負への執念といったものが
凝縮している気がします。
だからこそスポーツは感動的で
限りなく人間的なドラマなのだと思う。
それだけに努力が報われてほしいし、
最高の舞台で最高の技を披露してほしい、
と思うのです。

感動の瞬間!!清水選手(日経新聞掲載)

2018.2.4