北の国から

富良野を語るとき
忘れられない人がいる。
脚本家の倉本聰――
かつて「北の国から」という
ドラマが放送され、
その後は特番として組まれて
20年ほど続きました。
黒板五郎一家の物語――
このドラマは見るたびに
心の中に温かいものが流れ、
目頭を熱くする場面がありました。
ドラマの底辺に流れているのは、
人と人との間に流れる情、
家族の絆だったと思います。

黒板家族の家

このシリーズでは
多くの名場面を生んできましたが、
キャストにも恵まれました。
とりわけ黒板五郎を演ずる
田中邦衛がいてこそのドラマでした。
実直だが、不器用。
人のため家族のために一生懸命に生きる。
その生きざまがドラマを通して、
深く、切実に、伝わってきました。
このドラマは脇役にも恵まれました。
6年ほど前、
地井武男さんが亡くなりましたが、
彼はドラマの中のある場面について
そのエピソードを語ったことがあります。
このドラマを撮影する直前、
地井さんは奥さんを癌で亡くされた。
ドラマの中でも彼は、
医者から奥さんが癌であることを告げられ、
余命幾許もないことを知る。
自らの体験を再現するように、
妻が癌で余命宣告を受けたことを
五郎さんに告げていましたが、
それは演技を超えた演技、
迫真に迫る演技でした。
彼自身、自らの体験が重なって、
ドラマの中でも
それが蘇ってしまったと言います。

富良野↓↑

北の国から
/初恋のラストシーンでは、
こんな場面がありました。
息子・純は東京で就職することになり、
旅立ちの朝を迎える。
五郎は東京に向かうトラックの運転手に、
お願いしますと丁寧に頭をさげ、
車が走り出す。
妹は走り去る車を追い、
純は車の窓から大きく手を振る。
そして堪える涙を隠すように、
ウォークマンのスイッチを入れる。
初恋の人との思い出の曲、
尾崎豊の「I LOVE YOU」・・・。

突然、運転車が、
イヤホンを引き抜き、
フロントの封筒をあごで指す。
はっとしてなんのことかと思うと、
しまっとけ、という。
何ですか、と問うと、
金だ――。
いらんっていうのにおやじが置いてった。
いやそれは、と断るが、
いいから記念にとっとけ。
見るとピン札には泥がついていた。
お前のおやじの手についてた泥だろう。
俺は受取れん、お前の宝にしろ。
貴重なピン札だ、一生とっとけ。
純は恐る恐る封筒をとり、
その中から札を抜き出すと
二枚のピン札が出てくる。
ま新しい泥。
純の目からドッと涙があふれた。

純の旅立ちの日。
それは黒板家族が過ごした日々に
終止符を打つ日。
さまざまな想いが脳裏をよぎり、
走馬燈のように浮かんでは消える。
親と子は平坦な道を辿るばかりではない。
苦難の道もあるが、
それでも思う。
子供は自分が愛されていることを
実感できれば、
多少のすれ違いや
紆余曲折があったにせよ、
誤った道に進むことはないと思う。

このドラマの出演者は
20年を超える仲間であり、
そして家族でもある。
彼らはそうした家族と
ドラマを通じて真摯に向き合ってきた。
人と人との間に通い合う情、
家族への想い。
黒板家族は決して恵まれた家族ではない。
北海道開拓農民の末裔で、
その生き方を今も引き継いでいるような
貧しい暮らしをしている。
手作りの家に
川から水を引き込み、
風力発電で灯りをともすなど、
こんな暮らしが今もあるのかという生活。
それこそたくさんの問題を抱え、
苦労があり、
苦悩があり、
悲しみがあって、
それを乗り越えて生きている。
それはかつて
私たち日本人が送って来た
生活の原風景のように思うのです。
家族を中心に
慎ましくも温かく生きる。
そうした生活の、
そんな家族があり、
その家族を守ってこそ、
生きることの意味を見出すことができる。
そんなものを感じるドラマでした。

ドラマの主人公、
黒板五郎は愚直で不器用。
人の愛し方もうまくできない。
息子・純にとっては、
父の家族に対する想いも、
ときに煩わしいものにしか思えない。
しかしドラマの最後に、
そんな愚直な父が
とてもいとしく切いものに思えてくる。
そして語る。
そうした親父の血が
自分の中にも流れているのだと。
それは厭うべきものではなく、
愛すべきものだと悟る。
人の魅力――。
それには色々ある。
仕事人としての魅力や
私的個人の魅力もあるだろう。
人には人それぞれの生き方があり、
そうした中に
一本の柱で貫かれた、
人としての原点と呼べるものがある。
黒板五郎は愚直で不器用。
それでも彼の生涯は、
一本の柱で貫かれ、
それが魅力にもなっている。
家族への深い愛情があり、
いとしく愛すべき人。
人の心の原点を問い続けた人でした。

北の国からは
20年の歳月にわたり
語り続けられたドラマ。
このドラマを見る全ての人が、
ここで生きる人に同調し
共感するわけではありませんが、
人の魅力――、
そして家族のあり方を真摯に見つめ、
語り継いできたドラマだったと思います。

2018.3.26

音の世界

学生時代、
見るからに武骨な友人がいて、
その男が酒を呑みながら、
――フルトベングラーの第5は最高!
  あれを聴いていると涙が出てくる。
と言うのです。
フルトベングラーは当代きっての名指揮者。
そして第5は言わずと知れた
ベートーベンの第5交響曲「運命」。
それはそれとして、
あの武骨な男にこんな繊細な面があることが
なんとも不思議で、
人は見かけによらぬもの、
としみじみ感じたものでした。
僕自身、中学時代から音楽が大好き。
そして高校生になって
少し多めの小遣いの大半を、
レコードと本と映画に費やしていました。
高校時代は標準的な生徒で、
煙草は吸わず酒も呑まず、
ギャンブルをすることもない、
という真面目な生徒で、
不良行為はしない、できない、
ごくごく平凡な生徒でした。
とはいえ親がいる前で酒を呑んでいましたが、
そんなときは、
今日は呑んでもいいぞ!
という酒解禁日の日でした。
親父は根っからの酒好き。
大学時代は一ツ橋の端艇部に籍を置いて、
酒豪と呼ばれ、
酒にまつわる失敗談や
エピソードが尽きない。
そんな親父の持論は、
酒は呑むべし、
しかし煙草は吸うべからず。
百害あって一利なし。
そんな親父はピース党。
死ぬまで煙草はやめませんでしたが。
僕はともあれ
高校時代の愉しみのひとつに
音楽がありました。

テレビを見ることは殆どなく、
朝型の生活をして、
深夜放送を聴きながら、
音楽を聴き、本を読み、
ときに勉強して
自在の時間を愉しんでいました。

音楽は酔狂の世界。
現実の世界から引き離し、
異次元の時空を彷徨いながら
感性の響きあう時間を与えてくれる。
そして音楽は心--
その時々の気分に合わせて聴くのが自分流で
ときに昂る心は
螺旋階段を駆け上がるモーツァルトを、
静謐な重厚さを求めるときはバッハを、
センチメンタルな気分に浸るときはショパンを、
というように、
その時々の気分に合せて
感性を共振し増幅させる。
それが音楽でした。
そして音楽は心--
体で感じ心で聴き、
感性をふるわせる。
そのためには大音響で聴くのがいちばんですが、
我が家では住民の多数決によりいつも却下。
音を絞って静かに聞くべし、
とのことで大音響が叶うことはない。

作家・村上春樹は、
さほど好きな作家ではないが、
彼の創造力の源に音楽があると感じる。
流れるような、
溢れるような感性があって、
言葉がメロディを弾き、
それを文字として紡いでいく。
それは豊穣なる音の世界の賜物でしょう。
村上春樹は作家としてデビューする前、
国分寺でジャズ喫茶のマスターをしていました。
彼の作品はそんな痕跡として
ジャズに関するエピソードが
点在していますが、

ジャズという音楽から
小説の世界に転化した何かがあります。
彼はジャズが好きという枠を超えて、
ジャズに心底惚れていました。
彼の中の、
そんな風に夢中になれるもの、
胸の中に流れる熱いものが、
人としての感性を育み、
作家としての彼自身を
創りあげてきたように思うのです。

かくして作家・村上春樹は、
音楽に啓示を受けて、
小説の世界に村上ワールドの、
独特の作風を築き上げてきました。
音楽の愉しみ方は人それぞれ。
聴いて愉しむだけでなく、
心の冷静さと安らぎ、
あるいは活動の源としての
役割を担っています。

2018.3.16

音のない世界

ビヨンド・サイレンス

感性がLyricalに光る映画は、
何かしら心に余韻を残します。
以前、「ビヨンド・サイレンス」という
ドイツ映画を見たことがあります。
聾唖の両親を持つ娘が、
ふとしたことで音楽に目覚め、
クラリネット奏者を目指す。
けれど父は
そんな娘を快く思わない。
行き違いすれ違いやがて、
――お前が聾唖だったら
  同じ世界に住めたのに、
と言い残して別れる。
音の世界を持たない父と、
音の世界に生きる娘と、
決して同じステージに立つことのない親子が
それでもその境界を越えて
互いに理解しようと努める。
心の触合いと、
そして葛藤と……。
世の中には言葉を介して、
いろいろな諺がありますが、
学生時代に読んだ本の中に
こんなものもありました。

愛には多くの沈黙が含まれる。
――黙って、あなたの愛が聞えるように!
この映画ではこんな場面もありました。
父親はしんしんと降る雪を見ながら、
手話で

――とてもきれいだ、と呟く。
そして娘に
――雪はどんな音がするの、
と訊く。
それに娘は、
――雪には音がない。
  全ての音を消すのよ、と言う……
心のふれあう音が聞こえるような、
そんな不思議な余韻の残るシーンでした。

何かを感じることは
この情景に似ている。
人と人の間には境界があって、
人と人との心の狭間で揺れ動いて、
見えない垣根を作ることがある。
しかし芸術はそうした境界を越えてゆく。
言葉の壁を越え、
お互いの感性の間に
不思議な共感の光を灯す。
なにかが聞こえ、
なにかが響きあう…。
それでこそ感性が触れ合う
音の聴こえる瞬間でしょう。
感性が震え、
響きあう音が。
芸術はそうした世界の中にあります。

フランス、パリ。
パリは芸術の都。
パリのモンマルトルの丘に
白亜の殿堂・サクレクール寺院が聳える。
その隣にはテルトル広場、
そしてさらにはムーランルージュ。
7年ほど前、
パリに訪れたとき、
メトロに乗って真っ先に此処を訪れました。
夏のパリは夜の更けるのが遅い。
9時を過ぎても明るい陽射しが射して、
あぁヨーロッパだな、
と感じたものでした。
サクレクール寺院の隣りはテルトル広場。
此処はいわば
芸術家の溜まり場ですが、
訪れたそのときは
広場の真ん中に大きなカフェがあり、
その周りでは似顔絵画家たちが出番を待つ。
これもまたパリの風景。

かつてのテルトㇽ広場(絵葉書)

こんな話を聞いたことがある。
かつてパリは人が集まり、
集まるほど
無造作に町が造り上げられ、
雑然として道路も狭く2mにも満たない。
だから建物が密集して
空気も澱んで光が射すこともない。

そんな町だったそうです。
その当時、
家の中にはトイレはなく、
家に溜った汚物は
中庭にうず高く積みあげられ、

階上の窓から声をかけて
上から投げ捨てる。
それだけに当時のパリは
きわめて不衛生で、
悪臭が漂い、
コレラが発生して
多くのパリ市民が命を落としました。
だからこそ町の大改造にも
市民は応じたのでしょう。
パリに香水が流行したのも
そうした匂い消しのためだったようです。
それでもなおパリは
芸術家たちの憧れの都市でした。
印象派の画家たちも
大改造が進むパリの町に集まり、
芸術談義を交わしたと言います。
そして南フランスのコートダジュールも
画家たちの聖地。

降り注ぐ陽の光を求めて、
此処に集い、
数多くの傑作を世に残しました。
美しい風景、美しい光、
そして美しい村。
それらが美しい絵として紡ぎ出され、
後世に遺すことになりました。
2018.3.14

 

7年目の東日本大震災

駅舎に併設された珈琲店で、
太平洋に突き出すようにある。
店に入ったその日は天気も良く、
海に面したカウンターに座って、
本を読みながら
小一時間ほど過ごした。
目の前に海の上を走るバイパスがあり、
その向こうには海が広がっている。
本を読む合間に視線を落として、
通り過ぎる車や海を見ていていた。
朝の光が斜めに射しこんで、
揺れる波間に反射し、
光の帯が輝いてとても綺麗でした。

2011年3月11日――
あれから7年。
今年もその日が訪れた。
深い哀悼と反省のもとに、
この日の経験を風化させてはならない、
との言葉が流れていましたが、
時がたてばやがては過去になる。
少しずつ記憶が薄れていくのは、
仕方のないこと。

それでも震災の衝撃は、
振り返れば今でも胸を衝かれます。
この辺りは震度6強。
凄まじい揺れでした。
事務所のロッカーが激しく揺れ、
棚から書類が雪崩落ちる。
避難訓練は会社の定例行事で、
避難するのは慣れっこでも、
それを実行することはない。
ましてあの激しい揺れを体験して、
地震の凄まじさ驚いた。
建物が激しく揺れて軋み、
ロッカーは音をたてて倒れ、
本や書類が四散して飛び散ってゆく。

震災のあった後、
テレビで津波情報を見ていました。
隣県の海岸に設置された監視カメラが、
海沿いの道路の映像を追っていた。
どす黒いうねりが少しずつせりあがり、
波が道路の際まで押し寄せ、
通り過ぎようとする車に襲い掛かる。
車はあわててブレーキを踏み、
ハンドルを切り返してUターンしていった。
関東大震災ほどではないが、
東日本大震災による死者・行方不明は
2万人弱、

建物の全半壊40万戸。
それとともに福島原発事故による
避難者も大勢いて、

その影響は今も続いている。
あの当時、繰り返し流れていた
津波被害の映像。

それを見ると心が痛む。
津波が押し寄せて家が流され、
どす黒いうねりに町が吞み込まれていく。

毎年3月11日には
駅舎の硝子窓越しに
海に向かって祈りを捧げる人がいる。
家族が亡くした人だろうか。
悲しみを背負う人の後ろ姿が、
なんともやりきれない思いにさせられる。

震災の日の夕方、
帰路を辿る。
家まで車で10km。
車を走らせて家路を急ぐ。
しかし通りに出ても車が動かない。
仕方なく大通りに
ハンドルを切り返した。

幹線道路なら走るだろうと思ったが、
交差点の信号は何度も変わるが、
渋滞する車の列は微動だにしない。
そんなことが延々と続いて、
車で帰るのを諦め、
近くの駐車場に停めて
家まで歩くことにした。

それまで2kmほどの距離を2時間余。
そこから家まで8km。
道路には車が数珠繋ぎに並んでいるが、
あたりは真っ暗。
夜の闇が迫る頃には停電になり、
全く動かない車の列にあきらめて、
運転手も照明を落とし、
ひたすら待ち続けている。
街灯も消え信号も消え、
家の光も消えて周りは真っ暗。
空を見上げれば、
満天の空に星が瞬いでいる。

車の列を横目にひたすら歩く。
歩道と車道との段差も見えず、
あろうことか、
敷石に蹟いて
けがをしたてしまった。

長男の嫁さんは実家で出産し、
その日この家で震災に遭った。
激しく揺れる家。
棚から食器が崩れ落ちて、
書斎の本棚は音をたてて崩れ、
足の踏み場もないほど散乱した。
家の壁や天井、
風呂場のタイルにも亀裂が入った。

震災直後は携帯も通じていたが、
やがてそれも通じなくなった。
安否確認もままならず、
電気も止まり、
水道も止まり、

とりあえずソーラーの水を風呂に貯めたが、
ライフラインは止まった。
家に辿り着いたのは夜9時過ぎだった。
灯りもなく暖房もなく、
非常用の懐中電灯を頼りに
暗い夜を過ごした。

長男はその夜、
嫁さんや生まれたばかりの子供が
心配になったのだろう。

バイクを走らせて家に向かった。
携帯は通じないし連絡もできない。
だからこそ心配で、
夜通し一般道路を走らせて来たという。
まだ暗いうちに
玄関のドアを叩く音がした。

東京近辺は道路が混乱していたという。
渋滞する車の列をすり抜けて
走ってきたという。

寒い中を走って体は冷え切り、
寒さで身体を震わせた。

その後はライフラインとの格闘の日々。
電気は二日ほどで通じた。
3月とはいえ朝はまだ冷える。
寒さに耐えた。

それより困ったのは、
ガソリンと水一一
その頃、この辺りは、
どこも似たようなものだった。

飲料用の水は少しでも足りるが、
トイレの水には困った。
近所に給水車が来れば並んで待つ。
しかし考えてみれば,
水は水であればよいわけで、

飲むための飲料水である必要はない。
川の水でもいい・・。
そのことに
4、5日ほど過ぎて気が付いて、

ペットボトルを抱えて
水を汲みに車を走らせた。

ガソリン確保はさらに苦労した。
今ではライフラインの要。
どこに行くにも車は必要で
ガソリンは不可欠。

ガソリンスタンドの前には、
長い行列ができていた。

1時間待ち2時間待ちは当たり前。
あるとき,
予備タンクのガソリンが切れそうになり、

早朝からガソリン待ちの列に並んだ。
待つのは慣れっこだった。
仕方がないと辛抱強く待ったが、
その日は車の列が動かない。
車の列は端切れのように、
1台また1台と抜けて、
スタンドまでもう少しというときに
車の窓を叩く人がいた。

あけると「スタンドは休みですよ」という、
えーっ、というと、
店のガソリンが切れたという。

それなら早く言ってくれよ、
とは思ったが、
勝手に並んだのが悪いのか、
とんだくたびれもうけだった。
震災では本当に色々なことがありました。

2018.3.12

子育ての時代

小さな子供を見ていると
子供の成長が手に取るようにわかる。
たとえ1週間であっても
少しではあるけれど確実に変わっている。
その姿を目を細めながら見ている。
長女の娘、2歳6ヶ月。
3ヶ月ほど前、
こんなことがあった。
テーブルにジャムが並んでいる。
小さな子が、
コレ、なぁに? と訊くので
ジャム!と答えると
ブ―、と言い
じゃあブルーベリージャム?⤴と言うと
ピンポーン!
さらに隣の瓶を指して、
コレは?と訊くので
ラベルを見て、
あん のジャム?? と答えると
暫く考えて、ピンポーン!!
本当に驚きました。
いつの間にかこんなことも言えるように
なっていました。

今は可愛いばかりの子供。
この子もやがては、
親を手こずらせる時期がくるかもしれない。
子供たちが子育てする姿を見ながら思う。
甘えさせる、と甘やかすは違う。
その線引きは親がすべきことだけれども、
必ずしもうまくいっていないな、
と思うことがある。
叱るべきところはしっかり叱る。
それを中途半端にしていると、
子供は同じ過ちを繰り返すことになる。
子供を叱る。
このときにどんな風になにを教えるのか、
それが大事。
教え、諭し、その上で納得させる。
最初から全てうまくいくわけじゃないが、
噛んで含めてしっかり納得させる。
とある家では叱るときの最後の切り札は、
――言うこときかなきや、お外に出すよ・・
今はこれ以上に
威力を発揮する言葉はないらしく、

どこか中途だなと思う。
かくして子供は外に放り出される。
大声で泣く、
周りに聞こえるように大声で泣く。
放り出された子は、
これで反省するだろうと
泣くままに寒空の暗闇に放り出しておく。
暫くすると泣き声が小さくなり、
やがて聞こえなくなって心配になる。
ドアの隙間の向こうでは、
膝を抱えてうずくまりながら眠っていた。

そんな話を聞いて
長男と長女の小さい頃を思い出した。
奥の手はやっぱり玄関前に立たせること。
長女の場合は、泣く、
玄関の前を人が横切るたびに
声を張り上げて泣く。
通る人に聞こえるように泣く。
そして待つ。
ひたすら待つ。
親がもういいよというまで。
その辺りは長男は違ってた。
上の子が叱られる姿を
見ているからかもしれない。

外に放りだされれば泣く。
とにかく大声で泣く。
暫くすると静かになったので、
玄関の覗き窓から見ると姿が見えない。
ドアをあけて名前を呼ぶ。
いない、心配になる。
けれど当の本人は隣の家に上がりこんで、
ちゃっかり遊んでいた、
ということがたびたびあった。
親と子の知恵比べ。
子供は子供なりに考えて急場をしのぐ。
思い返せば、
親はその場その場で格闘している。
子育てと言う格闘を。
どうしたら学び、学ばせ、
教え諭すことができるのか、と。
こうしたことも今では笑い話だが、
親はいつだって大真面目で
子供と向き合っている。
それが子育てで、
けれど、愉しい時代だった。

2018.3.5

親の目線、子の目線

親の目線、子の目線--
ときどきそんなことを考える。
僕自身は親として
合格点をもらえるとは思わないが、
それでも子供の目線を経験して
親の立場に立つと、
それまで見えなかったものが見えてくる。
子供は受ける立場。
与えられるものを受けることで
生命を紡いでいく立場。
自分のしたいこと、
自分の望むものがあって、
それを中心に世界は巡り巡る。
我が侭で自由奔放。
その一方で親は子供に与える立場。
子供が望むことを知り、
それを満たしてあげたいと願い、
子供のために何ができるかと考える。
親と子では目線の位置は
180度違うものだ。

そしてそれを知るのは、
子供をもってからだろう。
だからこそ、
子をもって知る親の恩との諺もある。

子供にとって
与えられることは当たり前で、
他方、親は子供に恩を売ることはしない。
それが無償の愛、
見返りを求めない愛。
それが恋する愛と親の愛の違い。
親はそれをことも無げにやり遂げ、
それを本能のように振る舞う。
そして親は子供が
一人前に成長することで、

なにものにも代え難い
代償を得ることになる。

そこには貸借対照表の関係はないし、
物品の相互供与があるわけでもない。
親から子へ、子からまたその子へ。
それが家族の伝承で、
永遠に営み続けられる
行為であるように思う。

思い返すと母親は因果なものだなと思う。
何がしかの自己犠牲を強いても、
それを歓びとすら感じて
子供に愛情を注ぐ。

子供の喜ぶ顔さえ見れば、
それが幸せで、
自分の母親がしていたことを重ね合わせ
そういえばお母さんもそうだったよね、
と思い返す。
親は目の前に子供がいれば、
子供のことを考え、
子供を優先して、
なにはともあれ子供基準で物事は動いて
子供目線で考える。
それが親というもの。
子供が泣けばなにが不満か、
なにが足りないのか、
なにを望んでいるのか、
それを考える。
そして親は子供目線で考えることで
子供を理解し成長していく。
親から子への愛は、
純粋な伝承経路を辿っていく。

こんなことがあった。
僕の両親は学生時代、
ほとんど同じ時期に亡くなった。
その母親の遺品を整理しているとき、
鏡台の小引き出しの奥に
小さな紙片があった。

見るとそれは短いメッセージで、
それに添えて
「お母さん、いつもありがとう」とあった。

それは僕が小学生のときに先生から
――あしたは母の日ですね。
  日頃の感謝をこめて
お母さんにお紙を書きましょう。

と言われて書いたもの。
書かされたといってもよい。
それをみたとき、
なにを今さら後生大事にと思い、
なんともやりきれない気持ちになった。
母親とはかくもそうしたもの。
そんなささいなことが嬉しいのかとも思う。
我が家でも冷蔵庫の横には少し前まで、
有効期限切れとも思える娘からの
「肩たたき100回券」なるものが
貼ってあった。

無償の愛、見返りを求めない愛――。
本能として母親には
備わっているように思うが、

今では十分すぎるほどの見返りを
子供から受けていることに気付く。

学生時代にはこんなこともあった。
クラスの友人4人で九州旅行に行った。
当時、我が家には2台の車があった。
一台は仕事用で、
もう一台は普段使いのボロ車。
友達への見得もある。
だから親父に頼んだ。
車を貸してほしいんだけど。
しかし言下に、駄目だ!の一言。
遊びに仕事の車を使うなんて、
というわけだ。
傍らでお袋は黙って見ていた。
諦めるしかないと思った。
暫くしてお袋が来て
――車、大丈夫だからね、と言った。

お袋は楽しみにしている友達との旅行だから
と親父をなだめ説得してくれたのだろう。
そんな風にして
20日間の旅行に行くことができた。
親父の立場とお袋の想い。
そんなものを感じていた。

2018.3.2

昔日の面影

子供たちが小さい頃、
どんな子に育っていくのか考えました。
しかし、振り返ってみても、
その当時、想像していたことと
大きな違いはないように思います。

子は親の背中を見て育つ。
我が身を振り返って鏡に映してみれば
誇れるほどの親ではないし、
それほどの人物でもありませんが、
人並みの親であったのではないか
と思います。
長男が幼い頃、
こんなことがありました。
当時、長男は母親とともに
姉を幼稚園まで送り迎えしていた。

幼稚園は近くにある市立の幼稚園で
畑の中の小道をとぼとぼ歩いて1kmほど。
ある日、長男は私と留守番をしていた。
小一時間ほどして
母親が外出から帰って来ると
居間の掃き出しの戸が開いていて
カーテンが風に揺れている。

私はすっかり寝てしまい、
--**はどこに行ったの?、
との声で目を覚ます。
家の中を探してもいないし、
母親は慌てて近所を探しまわるが
見つからない。
心配になって警察に届けようかと思った。
暫くして知り合いの人から電話がきた。
—―お宅のお子さんが
  幼稚園にいますよ、と。
母親が急いで駆けつけると、
長男は幼稚園の前でしょんぼり立っている。
見ると幼稚園の黄色い帽子をかぶり、
姉の幼稚園バックをぶら下げて、
その中にはミニカーが一杯詰まっている。
多分、長男にとって幼稚園は夢の国、
憧れの国だったのだろう。
夢の国で大好きなミニカーで遊びたい。
お母さんとお姉ちゃんは
幼稚園に行っているに違いない。
幼稚園に続く道を
ワクワクして歩いたと思う。
そのとき長男は2歳。

長男はその後、
車で10分ほどの
私立幼稚園に通うことになった。

そこでは卒園時に父兄が卒業文集を書く。
そして、あすが原稿の締め切りという日に
夜中に起こされた。
最初は家内が書くつもりだった、
ーー思うように書けない、と、
助けを求めてきた。
そんなわけで夜中に書くことになった。
そのときの短文。

***

二十一世紀へ旅する子供たちへ

お前たちの未来は
どれほど明るく
どれほど輝きに充ちていることだろう。
二十世紀の恩讐と悔恨を
希望のバックに詰め替えて、
お前たちは二十一世紀へと旅立つ。
喧騒と晦渋と、
余りに激しき二十世紀の世界を踏み越えて
未来永劫へと続く
スポットライトを浴びるために。

果たして
お前たちのこれからの道程に
何が待ち受けているのか、
それは誰にもわからない。
しかし、は人として生きていく限り、
限りない充実と
果てることのない充足を求め、
日々、人生を旅する。
そしてそこに強い信念があればこそ
お前たちの未来は必ず拓ける。
憎悪や嫉妬、
さまざまな人生の狭間に
苦しむこともあるだろう。
悩み、悲しむ日々もあるに違いない。
しかし、
それは踏み越えるべき障壁として
お前たちの前にある。
そしてそれを乗り越えてこそ、
人生の「糧」としての
実りを得ることができる。

二十一世紀へ旅する子らの、
新しい明日が待っている。
そしてお前たちにとって
生きていることは素晴らしい――
と感じられる人生を
歩んでいくことを望む。

2018.2.28

スティーブ・ジョブズ

Appleは
最先端のIT情報技術を
開発した企業として、
今もなお健在です。
そしてその旗振り役をしたのが、
その当時ときの人となった
スティーブ・ジョブス。

彼は6年ほど前に亡くなりましたが、
i-Phone、i-Pod、i-Pad などを世に広め、
Appleを一躍業界のスターダムに
押し上げました。

彼はカリスマ性を備えた優れた経営者。
彼の最大の功績は、
企業発展の創造的発想を
世に示したことではないでしょうか。
そんなこともあって、
その当時彼の本を立ち読みし、
しっかり読もうと
買い求めたことがありました。

彼はAppleの共同創業者でしたが、
社を業界のトップに導くまでには、
様々な紆余曲折がありました。
彼は一時、会社を追われ、
再び戻ると破綻寸前の会社を建て直し、
世界のトップ企業に押し上げましたが、
それだけでなく
この著書の中には
企業成功の鍵としてだからAppleは
世界のトップ企業になることができた、
と思わせるエッセンスが詰まっていました。
なによりも発想が違う。
考え方の視点が違う。
当たり前の視点ではなく、
思考過程の原点に立ち返って、
なにがいちばん大切か、
なにが必要かそれを常に考えた。
シンプルにして使いやすく。
それは改善を重ねて得られるのではなく、
まず初めに使う人の視点、
使う側の目線で考える。
今あるものの延長線に置くのではなく、
絶えずガラガラポンで
ゼロスタートで考える。

そして使う人の目線で、
なにがいちばん便利で、
なにが必要か。
それを徹底的に考え抜く。
その思考の過程には一切の妥協を許さない。
最も望ましいものをカタチにする。
まずはシンプルであれ。
あらゆる無駄は切り捨てよ。
i-Phone、i-Pod、i-Pad。
それらはそうした思考の中から
創り上げたもので、

だからこそ単なる改善ではなく、
まさしく革新そして新鮮。

ステーブ・ジョブズ

例えば、
キーボードは必要か

との疑問があるとする。
PCなどのIT機器に
キーボードがあるのは当たり前で、

使い手はそれを通じて操作する。
そんな当たり前のことに
疑問を抱く人はいない。
けれど彼はキーボードがあるために
使い勝手が悪いと考える。
キーボードなしで文字を打ち込めないか。
全てを操作することができないかと問う。
それがマルチタッチパネル方式。
これをPCの画面上だけでなく、
なんと携帯の小さな画面の上でも
実現してしまう。

それだけでなくより美しく
と考えるのは彼の美意識の賜物。
どんなIT機器であれ、
最高に美しく。
それはSimple is Bestとの
考え方で貫かれている。
だからこそAppleの出す商品は
限りなく美しい。

なにかに絞りこむということは、
イエスではなくノーということだ。

彼の言葉の中にそんな言葉がある。
Appleは彼がCEOに着任した当時、
さまざまな膿に悩まされていた。
さまざまな才能が、
さまざまな商品を生み出し、
可能性を探って大海を漂流していた。
それを再生するために
40種類におよぶ製品の中から、

4つの製品に絞りこむという荒療治を実行し、
そのときに述べた言葉がこれだった。
ジョブズ氏の功績は、
徹底した選択と集中。
コアコンピタンスに絞りこむことだった。

水道からいくらでもタダの水が出るけど
みんなお金を出してミネラルウォーターを
買ってるじゃないか。

音楽は無料でインストールするもの。
その中で彼はあえて
有料で楽曲をやりとりする
ネットストアを提案したが、

これには当然のこと、
多くの批判的意見が出た。
しかし彼はこのような返事をして、
iStoreを通じた音楽販売を実行し、
それが一大旋風を引き起こした。
今では音楽をNETで買うことが
当たり前になって、

世界最大の音楽販売企業に成長した。
お金を払っても欲しい
と思わせる価値があれば

必然的に人は集まる、
との戒めになった。

One more thing.

彼のプレゼンの常套句だった。
彼のプレゼンテーションには説得力があり、
有名でしたが、
この言葉には
微妙なニュアンスが含まれている。

自らの思考パターンに
なんらかの付加価値を加える。
そのためには
改善の延長線にあるなにかではなく、

なにが望ましいのかを考える。
One more thing。
ワクワクするようななにか。
それがコレです。

 

 

 

2018.2.23

St.Valentine’s Day

いつか見たドラマの中で、
――過去は変えられないけれど、
未来は変えることができる――
という台詞がありました。
フゥ~ン、ナルホド、と見ていましたが、ドラマの中のこんな台詞、そして映画のワンフレーズ、結構、泣かせる言葉や記憶に残るシーンがあるものです。
ともあれ、そんなことを考えながら某女流脚本家と某作家の恋愛談義を思い出しました。女流脚本家はシナリオ書きの極意を、
―― 結局は、自分自身の恋愛を
切り売りしていくしかないんですよね……、と。
フムフム、するとあれは、と思いつくものがあります。それにしても脚本の中に散りばめられた軽妙な言葉、それを登場人物に託していく感性。それは見事ですが、自分の恋愛を切り売りしていく、との言葉にはなにかしら哀しい響きがあります。

2月14日。
St.Valentine’s Day――。
今年もその日が来ました。とは言え年毎に無縁になりつつあるその日を、一種のはかなさをもって迎えることになりそうです。
それはそれとして、コレも所変われば品変わる。この日を待ちわびて恋人たちの祭典になることもあれば、淡いレモン色の恋模様に染められる日もある。さまざまな色に染められ綴られる恋模様。世に言う恋愛論も数々あれど、そのどれもがほんの少し恋愛の素顔がわかる程度で、さほど恋のてほどきになることもないでしょう。こればかりは当人の気持ち次第。相手をどれほど想い、それをどう伝えるかということに行き着く。人が恋の後押しをしても、おそらくはなんの役にも立たないし、恋心は他人には容易には踏み込めない神聖な領域があるように思うのです。だから、百人に百通りの恋愛があって、結局は自分で自分流のスタイルを作っていくしかない。
それでもこれだけは言えるでしょう。なによりも大切なことは、常に新鮮さを失わないこと。そして、お互いの向上心を大切にすること。それは相手に求めるのではなく、自分自身で日々切磋琢磨し、それを通してお互いの中に新しい何かを発見していくこと。単なる日々の繰返しでは、いつしか新鮮さは失われほんの少しのボタンの掛け違いも、それが取り返しのつかない溝に発展していきます。
そして真実の愛は、決して見返りを求めないこと。
かつて読んだ小説の中に、
――愛とは決して後悔しないこと。
とのフレーズがありました。この主人公にとっては、人を愛し、その結末がどうあろうとも、愛を貫いたことに決して悔いはない、ということなのでしょう。無償の愛、見返りを求めることのない愛。
コレは「Love story」の中の一節。この小説では、主人公の相手は、病に伏して死んでしまいますが、それでも、後悔しない、と言えるのは愛の力であるのかもしれません。
とりとめのない話しになりました。
2018.2.14

映画「ある愛の詩」

銀河系宇宙発(ウルルから)

銀河系伝説――。
ある宇宙飛行士が語った言葉に、
こんなものがありました。
この世でいちばん美しいもの、
それは地球。
漆黒の闇に浮かぶ地球は、
喩えようのない美しさで、
スペースシャトルの窓から
地球を見たとき、
その存在の圧倒的な大きさと、
余りの美しさに心を奪われた、
と言います。
それは写真では体感し得ないもの、
実際に目にした者だけが
実感できる美しさだとあります。
青く、美しく、
銀河系に浮かぶ極上の至宝――、
それが地球です。

そんなことを思いながら、
オーストラリアのエアーズロックで見た
満天の星空を思い出しました。
エアーズロックを訪れたのは
20年以上も前のこと。
西海岸のパースから
エアーズロックに行き、
オプショナルツアーの
星空観測に参加しました。
ホテルからワゴン車に乗り込んで
10分ほど走ると、
真っ暗な闇に呑みこまれる。
しかし、車を降りて空を見上げると
満天の空を覆い尽くす星。
砂をまぶしたように
漆黒の闇に星がまたたき、
中央には白いペンキを塗ったように
天の川が横たわる。
世界の臍と呼ばれる
エアーズロック。
赤茶けた岩肌を持つ
世界一大きな一枚岩で、
周りは荒涼とした大地が広がるばかり。
そんな所だからこそ、
空気が澄みわたり、
煌く星空を
見ることができるのでしょう。
夜空の中央にはくっきりと天の川が流れ、
この空に、この宇宙に、
これほどの星があるのか
と思えるほどの満天の星。
それは感動そのものでした。

壮大無限なる宇宙。
日本では見ることのない
地球のなかの宇宙――。
その迫力と感動は、
生涯胸に刻んで
忘れることのない風景となりました。
南十字星をご存じでしょうか。
南半球の空に
十字を切って浮かぶ4つの星。
それがひときわ美しく光るのは、
その蒼い光が
人の心にも十字を切って
神秘的に光り輝くからでしょう。

Southern cross(南十字星)――
夜空に浮かぶ無数の星の中でも、
それは特別な星。
美しい星です。
その星がいつまでも
人の心に光り輝く星であってほしい、
と願っています。

天空の浪漫――。
人はどれほど、
限りない宇宙に想いをはせたことか。
人はそれに浪漫を感じ、
無限なる宇宙に神を見たのです。
しかし今では、
星の光は街のあかりに消されて、
淡く、か細く、儚い。
それでも小さい頃は、
この辺りも星が輝く夜がありました。
真夏の宵――。
幼いころ、
近くの広場では白い天幕を張って、
ひと夜限りの映画館が上映されました。
そんな日の宵、
兄の手に引かれて、
とぼとぼと夜道を歩く。
そんなときふと空を見上げれば、
天の川が輝いて、
たくさんの星が瞬いている。
その星空を眺めながら、
兄は織姫と彦星の
哀しくも切ない物語を語ってくれました。
あれが織姫、あれが彦星・・、
それは機を織る織姫と彦星が
別れることになった
神様のお導きによる哀しい物語で、
そうした七夕伝説の話に浸りながら、
小さく頷いて夜空を見上げました。
その後も夜空を見れば、
そんな幼い頃の
流星の思い出、星降る夜――――。

これも大分前のことですが、
獅子座流星群が見られるというので、
夜中に起きて星空を見たことがあります。
11月――、
冷え冷えとして、
夜の闇も深まる2時頃でした。
空には暗い闇に包まれた星が瞬き、
南の空に眼を移すと
幾筋もの星が空から地上へ舞い降りる。
それが次から次へと、
流れては消え、
消えては流れ、
幻想的な風景でした。
――流れ星に願いごとをすると叶うよ。
と小さいころ、
言われたことがあります。
そんなとき、
そのつもりで星空を見ても
流れ星は見えない。
流れ星を見た記憶もない。
しかしその夜は、
流れ星が漆黒の闇から、
幾筋もの光として降ってきて、
天空の浪漫を感じたものでした。

2018.2.12