生きた言葉――
それを考えることがある。
本を読んで、映画を見て、
ドラマの台詞にさえ、
はっとさせられる言葉がある。
そんな中に「フーテンの寅」がありました。
僕自身は必ずしもこの映画の理解者でも、
熱烈なファンでもありませんが、
この映画は凄いと思う。
勿論、映画のキャスティングは素晴らしい。
それ以上にこの映画のシナリオを書き、
メガホンをとった山田洋次監督の才能が凄い。
単なる映画好きじゃない才能。
それを活かす術を知る達人。
そうしたスキルとセンスを持ちあわせた人だからこそ
この映画ができた。
寅さんの叩き売りの口上も彼のオリジナル。
異才を放って絶妙な仕上りになっている。
NETを引くと、
寅さんの名台詞がいくつも検索できます。
フーテンの寅――
お調子者でひとりよがり、
いつも手前味噌の考えをひけらかし、
事あるごとに周りに迷惑をかける。
それでも憎めない。
人の良さでみんなに愛されている。
彼は「愛」についての第一人者でもある。
ひたすら自らの愛を実践し、
愛を語らせれば哲学の領域におよぶ。
そんな彼が、
愛を研究する大学教授に
恋愛論を説く場面がある。
《寅》愛なんて研究するまでもなく、
もっと簡単なことよ。
常識だよ、いいかい。
あーいい女だな、と思う。
その次には、話してみてえなあと思う。
話しているうちに今度は、
いつまでもそうやっていたいなあ、と思う。
その人の傍にいるだけで、
なにかこう、気持ちがやわらかーくなって、
あーこの人を幸せにしてあげたいな、と思う。
この人の幸せのためなら俺はどうなったっていい、
死んだっていい、
そんなふうに思うようになる。
それが、愛よ。違うかい。
ほのぼのとして説得力がある。
そこには実践で培われた本物の愛があり、
それが活きている。
人の心を共感させるのは、
自ら納得して語る言葉だからでしょう。
◇寅さんが人生を語る場面もある。
青春真っ只中で生きることに悩む甥との会話で。
《甥》人間は何のために生きてんのかな。
《寅》難しいこと聞くな、お前は。
何と言うかな、
あ一生まれてきてよかった。
そう思うことが何遍かあるだろう。
そのために生きてんじゃねえのか。
◇勉強や進学に悩む甥には。
《甥》大学に行くのは何のためかな。
《寅》決まってるだろう、勉強するためじゃねえか。
《甥》何のために勉強するんだ。
《寅》難しいこと聞くなって言っただろう。
……つまり、何と言うか、
人間長い間、生きていりゃ、
色々な面倒なことにあうだろう。
そん時、俺みたいに勉強していない奴は、
いい加減にサイコロを振ったり、
気分で決めたりするしかないんだ。
それが勉強した奴はな、
自分の頭でキヂンと筋道をたてて、
どうすればいいかってことを考えられるんだ。
そのために大学に入るんじゃないか。
寅さんはその場その場の
感情に流されて語り、
決して論理的じゃないが、
それでも物事の本質を直感で捉えて、
人の道を逸れることはない。
寅さんの言葉には、
なにげない言葉に
はっとさせられるものがある。
人は勉強したり、
教養を積むことで成長するが、
それだけじゃない。
自分の意志できちんと生きること。
そのためには情報を吸収し、
知識を身に付けるだけでは駄目で、
自分自身の世界を創るための
知恵が必要だということでしょう。
個性を磨く――。
そのためには情報や知識も必要ですが、
それを活かす術や
自分自身の世界観を創ることが必要で、
そのもとになるのは感性。
どんなことを感じ、
どんな価値観を持つか。
それを表現する術を磨いていく。
それが人の個性や世界観を創ることになります。
サワコの朝というトーク番組で、
ある俳優がこんなことを話していました。
――ある人に訊いたんです。
才能と努力と運のうち、
いちばん大事なものはどれですか、と。
それに答えて、
――才能があるヤツは大勢いる。
けれど、それを活かせるかどうかは、
運と努力だと。
才能があるだけでは、
それを活かすことはできない。
才能を活かすための努力と運。
そこには人との巡りあわせもある。
経験を積むことも大事。
経験もまた努力。
多くの場面でさまざま経験を積んで、
その中で
自分自身の感性のフィルターを通して、
自分なりの考え方、
感じ方を通じて、
自分流の世界観を拡げていく。
同じことを経験しても
アンテナを伸ばして感性を震わせることがなければ、
なにかを感じ取ることはできない。
自分の世界観を拡げていくのは、
結局は自分自身でしょう。
2018.7.9