朝の来ない夜はない

朝が来ない夜はない――
今では使い古された言葉ですが、
以前見たドラマの中で
初めてこのフレーズを耳にしたとき、
新鮮な感動を覚えたものでした。
しかしその後も
このフレーズを耳にするようになり、
当時の新鮮な感覚は薄れましたが、
それでも人の世の無常に光を灯す言葉として
今もなお心の中に生き続けています。

この言葉は、
一説によると
「新平家物語」に何度か登場し、
作家・吉川英治は、
この言葉を座右の銘にしたと言います。
嵐が吹く夜も、
やがて風はやみ朝を迎える。
夜から朝へ。
昨日から明日へ。
人の世の流転は繰り返し、
逆境のときも、
明日を迎えれば、
新鮮な気持に向き合うことができる。
希望とはそうしたもの。
人の気持が頓挫し、
停滞し、
行き詰ったとき、
朝が来ることを信じて待つ。
そのときに必ず
新鮮な自分に出逢うことができる。
朝の来ない夜はない。

ちなみに親父は
もともと地上に道はない、
みんなが歩けば道になる。
という言葉を座右の銘にして、
それを時折、色紙に書いていた。
これは作家・魯迅の短編小説
『故郷』の中にある一節で、
希望とは、
もともとあるものとはいえないし、
ないともいえない。
それは地上の道のようなもの。
この世にはもともと道はない。
歩く人が多くなれば、
それがやがて道になる――
そんな風に記してありました。
それを魯迅の小説を読んでいたときに、
偶然目にしました。
親父の座右の銘が
こんなところにあったのかと。
それは感動ものでしたが、
それを親父に確かめたわけでもない。

僕自身に座右の銘はない。
けれど自分自身が
これまで辿ってきたところに、
なにか感じたもの、
ひびき合うものがあり、
それが自分自身に通じるなにか、
として感じてきたように思います。
そのひとつは、
新鮮な気持に向き合うこと。
言葉を換えれば、
日々新たなり、進歩より進化。
旧態依然の場面から抜け出して
絶えず半歩前に踏み出すこと。
ひとりの人間のプレイクスルーは、
新鮮な気持に向き合うことで始まる。
自分自身の中の新しいなにか。
そうしたものがあったかどうか。
そしてこれからあるかどうか。
いくつもの疑間符が付きますが、
自分が共感し、
感動することがなければ、
人を共感させることはできないし、
心に響くメッセージとして
伝えることもできない。
書くことも同じ。
そのためには、
自らの感性に耳を澄ませることが大事で、
それは単に感じることではなく、
どう感じるのか。
それをどんな風に伝えるのか。
その先に表現力があります。

旅日記も珈琲の淹れ方も、
手前味噌ながら
色々なことを書かせて戴きましたが、
時がたてば、
書くことも伝えようとするメッセージも
少なくなります。
旅日記は旅をしなければ書けないし、
思い出は辿る記憶が尽きれば失われてゆく。
日々の中に伝えることはあるのか、
と問われれば、
それほどたくさんあるはずもない。
日々の中にそれほど
劇的なシーンがあるはずもないので、
ネタが尽きたかな、
と思うことが多くなりました。
作家ではないので
経験を辿ってメッセージを送るしか
手立てがないし、
単に文字を並べるだけでも意味がない。
マンネリになれば、
読み手の時間の無駄になるだけ。
最近はそうなっているのではないか、
と感じています。
そして12月31日。
1年の区切り。
キリのいいところかなとも思う。
2018.12.31

サンタクロース物語

冬は足早にやって来る。
そして間もなくクリスマス。
クリスチャンでもないのに、
なぜクリスマスなの?
と思うこともありましたが、
今では日本人は、
ハロウィンさえ取り込んでいる。
ハロウィンは古代ケルト人の
秋の収穫祭が起源とされ、
悪霊を追い払う行事。
なんでそれでハロウィンなのかなぁ
とも思いますが、
クリスマスにせよ、
バレンタインデーにせよ、
日本人は商魂逞しく取り入れて、
みんなで楽しんじゃえ!
ということなんでしょうねぇ。

そんなわけで
東京の街を歩けば、
ジングルベルや
クリスマスソングが流れて
年末商戦がスタートし、
気忙しい季節とともに
懐かしい思い出が蘇る。

子供の頃の思い出といえば、
クリスマスや正月を迎える今頃の季節。
そんなこともあって
子供たちがクリスマスの思い出を
披露したことがありました。
クリスマス・イヴと言えば、
愉しい思い出がいっぱい。
とりわけ子供にとって、
イヴの夜は指折り数えて待ちわびる日。
お目当てはサンタの贈り物。
我が家の子供たちも、
その夜は興奮して
なかなか寝つかれなかった、
と話していましたが、
長男は小学4年生まで
サンタクロースを信じていました。
しかし長女は、
サンタはお父さんと
お母さんだって知ってたよ――、
と醒めた話を披露し、
その一方でサンタを信じる長男は、
朝、目が醒めて、
ベッドの横に何もないことがあって、
それに大ショック!
どうしてサンタがこないんだ!?
と本当に悲しい思いをしたことが
あるんだそうな。
プレゼントの準備は
大体はママサンタの役目。
ねぇなにがほしいのかなぁ、
と探りを入れても、
ナイショ、ナイショで、
なにが欲しいのかわからず、
アトで、となってしまった。
そんなことを知らない長男は健気にも、
ボクにはサンタさんが来ない!!
と大いに嘆き悲しんだという。
しかし長女は、
弟の純粋な夢を壊しちゃいけない、
と思ったのか、
クリスマスの真実は明かしませんでした。

1、2年後のクリスマスのこと。
例によって
サンタを待ちわびる長男。
そしてサンタは、
二人の枕元にプレゼントを置きましたが、
長男はその夜、
枕元で音がするのに気が付いて、
あれっ、と思い、
パパだ!と思ったそうだ。
長女は長女で、
パパサンタが来た!と思ったそうですが、
薄目をあけて、
サンタの仕事ぶりをしっかりと観察。
翌朝、贈り物を見て喜ぶ弟に、
サンタは本当は、
お父さんとお母さんなんだよ――、
と話してしまいました。
幼い子供の夢を叶えようと
夜中に奮闘する
ひと夜限りのサンタ稼業ですが、
その役目を終えて
翌年からプレゼントの希望は
事前公開制度に踏み切られて、
サンタ稼業がほんのちょっぴり
楽になりました、とさ。

以前、新聞で、
小学6年生が、
どれ位サンタを信じているか、
とのアンケートの結果が載っていました。
おおよそ15%。
それが多いかどうかわかりませんが、
サンタはやっぱり
子供たちの夢でありたい。
誰でもサンタを信じる子供時代があり、
枕元の靴下を見ながら、
これは大きい方がいいよね、
その方がいっぱいもらえるよね、
と話したものでした。
学校で友達から、
サンタはお父さんなんだぞと言われて、
それを母親に話すと、
サンタさんも
一度にたくさんの子供に
贈り物をするのは大変でしょう。
だから、サンタさんに頼まれたの
と話していました。
こんな話もあります。
サンタなんていないよ、
という友達の声にその母親は、
サンタさんはね、
それを信じる人の所にだけ来るの。
と話したそうですが、
サンタは信じる人の所にだけやってくる、
という話には思わず、
そうそう!
と頷いてしまいそうです。
信じる心にサンタは棲んでいる・・・?
そうなんだよなぁ。
2018.12.19

偉人・福沢諭吉

福沢諭吉――
彼は慶応義塾の創始者でり、
幕末から明治に至る激動期において
時代を切り拓く
オピニオンリーダーでした。

彼を1万円札で目にすれば、
その姿は凛々しく、
知性にあふれていますが、
彼の半生を綴る自叙伝、
「福翁自伝」を読むと、
彼はある意味で、
実に人間的で、

茶目っ気のある人だと知る。
彼が大坂の緒方洪庵塾にいたときは、
素っ裸で塾を歩き回り、
酒のためにはいたずらもして、
数々の失敗を重ねたという。
また、武士でありながら争いごとを嫌う。
江戸が火の海の中にあっても、
刀は不要と売り払い、
戦争になったら逃げるに限る、
と言ってはばからない。

福沢諭吉の素顔には、
その一方で、
気骨あふれる横顔がある。
彼の生き方の根底に向学心がある。
常に現状に甘んじることなく、
将来を見据えながら、
知識と知性を重んじて
向学心を絶やさない。
彼が郷里の中津を去り、
長崎に向かうときも、
二度と中津には戻るまい、
と意を決して旅立ったと言う。

彼の原点は漢学。
しかし西欧の知識を学ぶには、
オランダ語を学ぶに限る、
と蘭学を学び、
大坂時代には、
これからの時代は英語が必須、
と英語に目覚め、
その旺盛な学習意欲で
忽ちそれを身につけました。
現在の日本語の中には、
彼と彼の仲間が翻訳した言葉がたくさんある。
例えば、政治、行政、
思想、哲学、法律、経済、
資本、会社、演説、討論、競争などは、
福沢諭吉の翻訳造語ですが、
彼はその道の達人でした。
その頃の日本に「政治」はない。
とすれば新しい言葉を作るしかない。
そんな風にして
新しい日本語が次々に誕生したのです。

福沢諭吉の視点は、
常に時代を読み、
時代の風を感じる感性にありました。
それは彼の基本的なスタンス。
時代を凌駕する世論が、
攘夷に走るときも、
幕府も上方も互いに争っているが、
その覇権をどちらが握るか、
という攘夷論争でしかないと喝破する。
そして幕府の開鎖論も
実態は攘夷のしがらみから逃れられない、
と言い放つ。
彼は異国を排斥する攘夷が大嫌い。
新しい日本を築くには、
西欧に学び、
新しい知識を導入しなければならない、
と強く感じる。
彼のそうした視点は、
彼自身の深い知性と、
何度かの渡米や西欧渡航によって
裏付けられた
時代を読み解く感性でした。

さらに彼には、
当たり前のことを当たり前と感じる
天性の目がありました。
彼の著書の冒頭にある
――天は人の上に人を作らず、
  人の下に人を作らず、
との有名な一節がある「学問ススメ」でも
その片鱗を見せました。
彼は士農工商の士族の身分にありながら、
人をへつらい、身分を差別し、
それによる言葉遣いを嫌いました。
人は平等に学び、
それによって日本を導くことができる、
との姿勢で貫かれていました。
とりわけ本書の次の一節は
印象深いものがありました。
福沢諭吉が新銭座に
慶応義塾を創設した当時、
江戸は戦乱に塗れて戦争状態でした。
しかし彼は、
戦乱を目にして
浮き足立つ学生を前にして
――慶応義塾は日本の洋学のために
  世の中にいかなる騒動があっても、
  変乱があっても、
  未だかつて洋学の命脈を
  絶やしたことはない。
  この塾ある限り日本は文明国である。
  世間に頓着するな、
と言って励ましたという。

福澤諭吉の精神は、
独立自尊の言葉に象徴されますが、
それは彼自身の
生き方そのものでした。
彼は19歳で郷里を去り、
長崎から大坂、
江戸へと渡りましたが、
最初から独立の精神が
あったわけでもありません。
それは己の理想、
知的好奇心を追い求めた結果でした。
それが一転して、
人を想い、
人としての幸福を考え、
国家のあるべき姿として
独立の精神を説くようになったのは、
江戸に訪れた後のことでした。
彼の視点は、
多くの学問を経て、
海外に向けられるようになりました。
彼の長崎への遊学をきっかけに
ペルリの来航があります。
西洋の砲術は日本を遥かに凌いでいる。
ならばオランダの砲術を学ぼう。
その後、長崎を経て、
大坂の緒方洪庵塾で学び、
オランダ語を会得して、
少ない資料から洋学を学ぶにおよんで
西洋文化のレベルの高さに圧倒されます。
その後、福澤諭吉は、
咸臨丸で渡米する幸運に恵まれましたが、
それは偶然ではありません。
彼自身の、
海外へ目を開こうとする強い欲求が、
彼をして海外へ向かわせる
きっかけになりました。
そしてその後も
渡米し、渡欧し、
3度の海外渡航を得て、
それを「西洋事情」に著しましたが、
それは彼にとっても、
日本にとっても幸運な出来事でした。
もし彼に海外渡航の経験が与えられなければ
「西洋事情」の誕生はなく、
政府の要人、
そして一般人を含めて、
海外を知る好個の書が、
誕生することはありませんでした。

彼は幕末の混乱期に
外国の学問に接し、
海外の知識や
文化レベルの高さに圧倒され、
何としてもこれを得たい、
と願いました。
国を挙げての攘夷の時代。
しかし日本の将来を考えれば、
攘夷はありえない。
その一方で外人と接し、
オランダ語が通じない現実に落胆しました。
しかしその後は彼の真骨頂。
これからは英語の時代、
と気を取り直し、
オランダ語を学んでいれば、
英語も易しいだろう、
と忽ちそれを習得しました。

福澤諭吉の独立の精神。
それはまず己の独立であり、
唯我独尊――。
それが起点でした。
しかし彼は、
海外の見聞を広め、
海外の知識を会得し、
渡航先から多くの洋書を持ち帰って
それを解読すると、
ますます海外の文化との落差を痛感して
日本の将来を危惧しました。
日本の将来に何が必要か。
国家としてあるべき姿とは何か。
福澤諭吉はそれを考え続けました。
そしてその根底に、
独立の精神がありました。
それは一般民衆の「個」としての独立であり
それが「国家」としての
独立の系譜を辿ることになる。

ともあれ、
幕末から明治初期にあって、
福澤諭吉が唱え、
著した書物は驚嘆に値します。
「西洋事情」は、
一般人に世界に目を開かせた書物として
大きな衝撃を与えました。
そして「学問のすヽめ」は更に衝撃でした。
本著の序説に
――22万冊売れ、
  160人に一人が読んだ、
とありますが、
当時の日本の人口は3千5百万人。
その中に字の読めない人もいる。
明治5年の、
幕末の混乱期を終えたばかりの
封建色の強い時代に、
圧倒的な支持を得て、
衝撃的な影響を与えた本でした。
本書では随所に
彼自身の独立の精神が脈打っています。
その冒頭は先ほども述べたとおり、
あの有名な一節ですが、続いて、
――人は生まれながら
  貴賎の上下の差別なく・・
  しかるに・その有様に雲と泥との
  相違あるに似たるは何ぞや、
との言葉が続きます。
――人を人たらしめるもの、
  それは生まれながらの境遇や身分ではなく
  学ぶと学ばざるにある。
  しかもその学びの精神は、
  机上の空論や空疎な言葉の羅列ではなく
  必要なのは実学にあり。
  人は学ばなければ智はなく、
  智なき者は愚人なり。
  ならば賢人と愚人の別は、
  学ぶと学ばざるとによるもの、
と説いている。
時代を生き抜くための学びの大切さ、
それを訴えました。
さらに彼は、
個人の幸福を案じて
学問をすすめるのではなく、
日本の国家大計の一助として、
どうしてもそれが必要、
との大所高所からの見方によるものでした。
日本は長い鎖国で、
西欧文化から大きく立ち遅れ、
それを回復させるには、
政治家ひとりが日本を作るのではなく、
庶民の一人ひとりが、
学問に目覚め、
文化に目覚め、
西欧諸国に追いつき、
日本の国家を作るとの気概が必要だ、
と論じていたのです。
一人ひとりの個人の独立精神、
それがまた国家存亡の
鍵を握る原点でもありました。
しかるに民を見て福澤は危惧しました。
民はお上をへつらい、媚び、
彼らを見れば深く頭を垂れる。
これではいつまでたっても、
下にある者との意識が抜けない。
新生日本国家にあっては、
全ての国民は平等。
その意識を深く植え付けなければ、
個々人の学問の熱意も損なわれる、
と感じました。
平等を唱えるだけでなく、
彼らがそれを自覚し、
学問さえ身につければ、
雲の上の存在になることができる。
新しい時代は、
個々人にそうした機会を均等に与え、
人に生きる希望と熱意を喚び覚ますこと。
そしてそれこそが、
福澤諭吉の唱える独立の精神の原点でした。
幕末を駆け抜けた風雲児、
坂本龍馬がいて、
その後の日本を支えた思想家に
福沢諭吉がいる。
この二人なくして今の日本は語れない。


2018.12.17

Wedding

Wedding――
新たな一歩を踏み出す
人生最大のイベントが、
結婚という儀式かもしれない。
とは言っても、
結婚なんて成行きでする人もいれば、
しがらみを振り切れずに
やむなく結婚する人もいる。
結婚までの道はそれこそ、
人それぞれ色々な事情があるでしょう。

結婚事情について
ある本を読んでいたら、
フランス人の子供は二人に一人が
非婚者から生まれた子供、
つまり婚外子だという。
これには驚いた。
スェーデンはその上をいく60%で、
モラルもそこまで地に堕ちたか、
と思うのですが、
それもお国柄いうべきなのか。
最近はそうした傾向に
拍車が掛かっているらしい。
それって自由恋愛?
結婚観の違い?
けれど生まれてくる子供のことを考えれば、
二人がよければ、
今さえよければ、
なんて言えないはずですが。

離婚率もどんどんあがる。
日本でも離婚率は上昇傾向にあり、
離婚を恥と思わない風潮が定着してきた。
それもヘン。
お隣の国、韓国では、
最早50%が離婚して、
手っ取り早く結婚して、
うまくいかなければ再婚すればいいなんて
結婚はそれほどお手軽なものでしょうか。
結婚は本来、
ひそやかで華やかながら
厳粛なもの。
将来を誓い合い、
この人と思う人と契りを交して、
生涯にわたり家庭を紡いでいくもの。
だからこそもっと慎重でありたい。

出会いはさまざま、
けれど、結婚は縁。
ドンファンじゃないが、
いくらでも相手の見つかる人もいれば、
巡りあいのチャンスに恵まれない人もいる。
しかしそれを嘆く必要はない。
その多寡が人の価値を決める尺度ではない。
出会いの少ないことを嘆くより、
まずは自分を磨くことに
心を注ぐべきでしょう。

縁は人と人との出逢い。
その引き合う力の向こうに
鏡に映る自分の姿がある。
自分を押し売りするよりも、
相手に惹かれる自分でありたい。
それが大切だと思うのですが。
そこに人として、
男として女としての魅力も見えてくる。
相手を好きという前に、
相手に相応しい人であること。
そうすれば、
たった一つの出逢いも意のままに、
神はそうした縁を
見捨てることはないでしょう。
縁結びの神さま、
出雲大社に、礼!――

ひとめぼれがある。
これを縁に結ばれた人は、
幸せといえるでしょう。
劇的な出逢いの瞬間。
ひと目で運命の出逢いを感じ、
1週間で結婚を決める。
それは理想かもしれない。
それでも男と女は求める視点が違う。
それは多分、
男と女の置かれた
社会的立場の違いもあるように思う。
男の視点では、
男はひたすら女性に対し、
女としての魅力を求める。
自分にとって魅力ある女性なら、
それがいちばんだと思う。
そこには社会的地位や能力、
経済力を求めてはいない。
その人の社会的将来像を描くことも少ない。
けれど女性の視点では、
結婚を前提にすれば、
多かれ少なかれ、
その人の社会的将来像を描いている。
この人と一緒になれば、
どんな家庭を築き、
どんな生活が得られるのか。
それを考えない人はいない。
好きであれば、
愛さえあればなんて絵空事。
得てして恋愛と結婚は違うのよ、
というのは、
女性の立場の言葉であるように思うのです。
要は自分の描く将来の設計図に
ちゃんと自分の思う姿が見えるかどうか。
もし万が一、
自分の思う姿が見えないときは、
それを超えても
魅力ある人といえるかどうか。
そんなことを考える。
どんな場面であれ、
どんな人であれ、
そうしたことを考えて
自分の将来を描いていくものでしょう。
それが結婚の現実です。

結婚は、
二人で支えあい、
生活を営みながら、
お互いが育てあげるもの。
それとともに忘れてならないのは、
家族をもつということ。
結婚すればやがて子供が生まれ、
その子供が新しい世代に
家族を引き継いでいく。
その過程では、
大変なことや苦労もあるかもしれないが、
子育てという営みを通じて得られる歓びは
測り知れないものがある。
親は子に見返りを求めないが、
それでも多くの得難い歓びや感動、
子供への感謝の心が生まれてくる。
周りには結婚しながら
子供に恵まれない人もいるが、
家庭を築き、
子育てを通じて得られる幸せを
経験できないことは、
やはり淋しいものがある。
当たり前の結婚、
ありふれた家族でも、
家庭を築いて、
それを通じて得られるものは大きい。
結婚はその意味で、
新しい価値観を実感できる
スタートラインでもある。
2018.12.14

蔦屋書店

蔦屋書店―
初めて代官山の蔦屋書店を
訪れた時の衝撃が忘れられない。
4年ほど前
娘に「代官山にお洒落な本屋があるよ」
と教えられ、
一歩足を踏み入れ、
ひと目見た瞬間、
これが本屋!!と驚いた。
今までの本屋とは似て非なるもの、
全くの別物で、
ある種のカルチャーショックだった。
本屋といえば、
たくさんの本があって、
手にした瞬間、
欲しい、読んでみたい、
と思う本があるかどうか。
そんなところに
本屋の価値基準がある。
そのためには整然としてシンプル、
それが望ましい。
できるだけ凸凹のないように
整然と並んでいれば、
見栄えもよく、
視覚的な心地良さもあり、
なにがどこにあるか探しやすい。
ところが蔦屋書店はそうした常識を覆す。
一見、雑然として不揃いだが、
それが狙いで、
全てが挑戦的で、
全ての面で新しいカタチを提案し、
ガラガラポンのゼロから
本屋という業態を目指している。
代官山の蔦屋書店は、
旧い先入観の価値観を覆し、
新しい時代に相応しい、
新しい本屋とはなにか。
そうした先進性と未来形の中で、
蔦屋としてのスタイルを模索している。

代官山の蔦屋書店は、
東横線の代官山から歩いて5分。
外観は硝子張りで、
店の入口には「TSUTAYA」ではなく、
「蔦屋書店」との看板がある。
従来のローマ字ではなく、
あえて漢字表記。
時代に逆行しているようで、
どこかしら違和感を覚えるが、
狙いは別にあるのだろう。
高級感と斬新さを打ち出そうとしている。

代官山は江戸時代、
水戸徳川家の武家屋敷のあった辺り。
閑静な住宅地で、
セレヴが住むところだが、
学生時代の代官山のイメージは、
東横線の渋谷からひとつ目の
特急も急行も止まらない貧相な駅。
しかし時を経て
代官山の評価は高まり、
新しいファッションリーダーとして、
若者が集う街としての
評価が急上昇しているが、
学生時代は一度も訪れたことがない。

代官山の蔦屋書店の狙いは、
大人の知性を刺激する創造的空間。
蔦屋はもともと、
本と音楽と映画の3つのジャンルで
新しい世界を切り拓き、
代官山はその上に、
新たなコンセプトを上乗せした。
それは利用する人の利便性を
最大限に活かして、
消費者に新たな価値観を提供すること。
音楽CDは喩えていうと
5%の商品で95%の売上を網羅する。
経営的にいえば、
その5%に集中的に投資すれば
経営効率はすこぶるよい。
しかし蔦屋の社長はそうは考えない。
新しい価値の創造は、
95%を犠牲にして一点に集中し、
効率をあげることではなく、
色々な人の価値観を拡散してゆくこと。
言い方を換えれば、
価値観の多様性を受け入れて
それを共有し、
真に利用者の利便性を図ること。
代官山はその集大成ともいうべきもので、
それでもなお進化形の発展途上にすぎない、
と考えているらしい。

代官山の蔦屋書店は、
当たり前を覆す仕掛けもある。
店はT字状の建物。
それぞれ違った店構えで、
レイアウトやインテリアにしても
新しいコンセプトのもとで組まれている。
例えば、書店の中に
6畳ほどの広さの仕切りをつくり、
そこを旅の本のコーナーにする。
本来なら「地球の歩き方」といった
ガイドブックを順序良く整然と並べる。
しかし蔦屋はテーマ別。
四方の壁いっぱいに、
イギリス、フランス、イタリアなど、
方面別に本が並べられ、
フィンランドにはムーミンの本、
イギリスはピーターラビットの絵本や
コッツウォルズの写真集など、
その国の魅力を引き出す
スパイスが添えられている。
店の中には本のコンシェルジュがいて、
本を読むためのテーブルや椅子があり、
店内にはスタバがあって、
店内の本を手にして、
コーヒーを飲みながら読むこともできる。
最初にそれを見たとき、
それって売り物でしょ!と思った。
常識では考えられないこと。
それをやってのけたのは、蔦屋。

店内には、
レンタルビデオのコーナーもあるが、
蔦屋書店には
此処にしかないCDやDVDが置かれているし、
視聴覚コーナーがあって、
借りたいCDを試聴することもできる。
ラウンジもあり、
広々とした空間で
ゆったりとしたソファに身を沈め、
そこで寛いで本を読むこともできる。
森の中のカフェ&本屋。
創造性と癒しの空間。
それが蔦屋の目指す、
コンセプトでもあるらしい。
だから本屋の他にも、
落ち着いた雰囲気のレストランがあり、
お洒落な小売店もある。
蔦屋書店は時代の新しい風を呼んで、
新しい価値を創造する。
そんなものを感じました。

そんな話を、
いつも行っている
原宿の美容室で話したら、
――だったら蔦屋家電に行ったらいいですよ、
と教えられた。
ニコタマの蔦屋家電が面白いと言う。
かつては本が好きで
本屋に興味があった。
いつか行ってみたいと思いつつ、
その念願が叶ったのは2年ほど前。

蔦屋家電は、
代官山の進化形ともいえる。
店の中央にはやはりスタバがあり、
それを囲むように円形状に本屋がある。
本は整然とではなく、
自由奔放に並べられ、
それが却って新鮮に映る。
並べられた本も目新しい本がたくさんあって
訪れる人の感性を刺激する。
店内にはテーブルがあって、
椅子やソファもあり、
本を手にして、
どうぞ自由にご覧ください、
という風になっている。
本は粗末に扱わないでくださいね、
と言うんじゃなく、
本を読むことを通じて、
本に親しみ、
本を買って戴く。
そんな風に考えているんだろうか。
こんなところは、
音楽をNETで買う、
というスタイルを提案した
スティーブ・ジョブスに似ている。
常識の壁を覆す。
蔦屋は彼に影響を受けたように見える。

GINZA SIXの蔦屋も面白い。
芸術のジャンルに力を入れ、
マニアックで、
スピリチュアルな本が揃っている。
蔦屋書店のコンセプトは、
本・映画・音楽を通して、
若者に新しいライフスタイルを提案することとあり、
見るほどに納得する。
蔦屋は革新を超えて、
革命を起こそうとしているように見える。
とはいえ、
百聞は一見に如かず。
新しい本屋のスタイルはなにかとの点は
実際に目にしなければわからない。

本屋は通販のamazonに押されて、
今や衰退業界のように見えるが、
蔦屋はどうしてどうして。
こうした新しい価値観や発想が
元気を創りあげている。
2018.12.5

代官山「蔦屋書店」
二子玉川「蔦屋家電」
GINZA SIX「蔦屋書店」

バレーの感動-4/頂点目指して

その2年後、
念願だった1部復帰。
**
各位
◆入替戦/1部昇格

悲願の1部昇格
本当におめでとうございます。
それにしても入替戦の勝利は痺れました。
相手チームは力を落としている、
とはいうものの、
3年前まではT大とともに、
学生バレー界の覇権を握っていたチーム。
そんなチームに勝って
1部に昇格してしまうとは!
風が吹いて
奇跡が起きたとしか思えません。

1部昇格は選手やOB、
チームを応援する全ての人が
願っていること。

それでも正直なところ
1部昇格の可能性は、
10%に満たないのではないか、
とすら感じました。
チームが勝てるとすれば・・。
少なくても正攻法では難しい。
試合前の練習を見ても
体格の差は圧倒的。

パワーの差を感じて、
これでは勝てないと感じました。

しかし蓋をあけてみれば、
チームは拾って、拾いまくり、
コンビで相手を翻弄して
ポイントを重ねる。
そして遂には勝利の女神が、
チームに味方する。
最終セットで劣勢に焦った対戦相手が
イエローカードで差を縮め、
それが結果として
逆転の誘い水になった。

歓喜の渦に包まれた観客席は、
私と同じ思いだったと思います。
勝利に微かな望みを託しながらも
不可能と感じ、
それを可能にした、
チームの健闘を称える歓声。
奇跡の勝利を迎えた瞬間、
慌てて長男に勝利を伝えました。
長男はこの日、
応援に参加できず、
試合の経過をメールで伝えましたが、
さすがにこの瞬間は、
メールを打つ手が震えました。
信じられないことが起きた。
奇跡が起きた!

チームは学生スポーツの
王道を歩みながら、

新たな一歩を踏み出した。
学生は学業が優先。
二束の草鞋を履きながら
強いチームを目指してゆく。
それがチームのスタンスであり、
プライドであり、
理想とするチーム創りだと思います。
優秀な学生にして有能な選手。
そうした選手が集まり、
頂点を目指してゆく。
それこそが学生スポーツの王道だといえます。
1部昇格、
心よりおめでとうございます。

2018.12.3

バレーの感動-3/入替戦勝利の瞬間

受験生各位
◆入替戦/2部昇格

胸を熱くする勝利、
それは入替戦の勝利でした。
対戦するはY大学。
2部の最下位とはいえ、
さすが2部と感じさせました。
そこには2部チームとしての
プライドと底力それがありました。
レシーブに優れ、
半端なスパイクでは拾われて
ブロックされてしまう。
そうした試合を見て、
2部に昇格しても
2部で通用するチームを作るのは
大変なことだなと感じました。

1セット目は、
優勢に試合を進めるも、
終盤で逆転されて25-27。
そして2セット目は、
チームの持ち味を発揮して25-20。
このまま行くのかと思いきや、
3セット中盤から大崩れで17-25。
嫌な雰囲気が漂いました。
チームは3部で10連勝して
得失セットも30-3と
圧倒的な強さを見せてきた。
それが、よもや負けはしないだろう、
との奢りもあったと思う。
しかし4セット目から
コンビバレーが復活し、
そのセットを25-14と封じ込めると、
最終セットもその勢いのままに
15-9と圧勝。
その瞬間、
選手と観客席が、
大歓声に包まれる。
観客は総立ちして
勝利を呼んだ選手を讃え、
拍手や歓声が鳴り止まない。
選手の顔が紅潮して、
観客席の応援団も歓喜に包まれ、
涙目になってる人もいる。

この日、このときの1勝。
それは単なる1勝ではなく、
色々な想いが詰まった1勝でしょう。
思えば7年ほど前、
バレー部は選手が集まらず、
廃部寸前でした。
チームはインカレで優勝したこともある
実績のあるチーム。
伝統と強さを誇っていましたが、
しかしいつの頃からか、
頂点から転げるように落ちていく。
関東学生バレーリーグは、
15部あるとはいえ、
優勝の栄冠を手にしたチームとしては、
転落の軌跡でもある。
4部から5部へと転げ落ち、
3部復帰後も鳴かず飛ばず。
3部の底辺を徘徊して、
2年前には4部に降格する憂き目にも
あいました。
そんなチームが強いバレー部を復活させて
3部を全勝で飾る。
そして2部へ返り咲くというのは、
選手だけでなく
OBにとっても感慨深いものでしょう。
2部から降格したのは31年前。
そうした積年の想いが、
凝縮した1勝だといえます。
優勝の歓び――、
それは掛け替えのないものに
違いありませんが、
それ以上に入替戦の勝利は、
言葉では語り尽くせない重いものがある。
それを成し遂げた選手の感激、
それを支えた選手仲間、
そして勿論、
監督やコーチの貢献も忘れられない。
そうした積み重ねがあればこそ、
此処まで来ることができた。
そうした感動は、
なにものにも勝る1勝で、
生涯忘れることはないと思う。
そして私は一選手の父兄。
彼は今年がラストシーズンで、
バレー部の門をひらいたとき、
2部への復帰、
やがては1部へとの夢を抱きましたが、
4部に降格する経験も経た。
そしてこの日の1勝。
ラストシーズンの、
最後を締める舞台で、
有終の美を飾ることができたのは、
彼にとっても、
彼の想いがあり、
生涯の財産になるように思います。
そしてなによりも、
塾生としての誇りを持ちうる、
チームでプレーし、
多くの仲間を得ることができた。
それもまた財産に違いません。

そうした感動を、
君たちもまた、
君たちの手で勝ち取って下さい。
スポーツをする人間の、
熱く、深い想い。
日々の練習に励み、
その感動を君たち自身の手で
勝ちとってほしいと強く願っています。

2018.11.30

バレーの感動-2/スポットライトの光と影

オリンピックあれ、
どんなスポーツであれ、
それらを見て思うことは、
スポットライトを浴びる
選手の後ろには影がある。
だからこそスポットライトは、
眩いばかりに光り輝く。
光と影―――。
それは表舞台と舞台裏、
と言い換えてもいいかも知れない。
ほんの一瞬の栄光に
長い歳月の努力があり、
そうした努力が報われない人たちもいる。
僕自身はそうした
スポットライトの影に潜んだものが見たい、
と思うのです。

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To.バレー部OB、監督殿

はしかが流行して
リーグ戦も思わぬ影響が出ました。
現在8チーム総当りの
前半戦を終えて5勝2敗。
入替戦を視野に入れて
リーグ戦の後半にのぞみましたが、
はしかが蔓延して
試合も危ぶまれる状況に追い込まれました。
そして昨日および一昨日のリーグ戦では、
当初のスタメンの3人が
入れ替わる事態に追い込まれ、
果たして試合になるのだろうか、
との不安を抱かせました。
チームはパワーがない分、
コンビネーションを活かす必要がある。
選手個々人に力はあっても、
連携プレーの善し悪しで
試合の流れは変わる。
それには練習で培った、
あうんの呼吸が必要です。
正直なところ、
試合にならないんじゃないかと感じましたが、
どうしてどうして頑張っていました。
リーグ1位と対戦した試合は、
1セット目は俄か仕立てのチームながら
互角の試合運びで、
なかなかやるなぁと感じさせました。
結局は大事なところで、
ミスが出て1セットもとれずに敗退。
そして翌日も、
見せ場を作りながらも
緒戦で退けたチームに敗退。
チームはなんとなく、
仕方ないなぁ、
という雰囲気もあったように思います。

しかし一方で、
良い面もありました。
最後の3試合で、
公式戦出場のなかった選手が
続々と登場。
先発の駒を欠いているので、
当然といえば当然ですが、
そもそもこのリーグ戦、
はしか蔓延の影響が出たときは
リーグ戦の大勢は決まっていました。
上位への入替戦の望みは絶たれ、
既に3位か4位という位置は確定していた。
ならば、と思い切った布陣を張って、
どれ位の力が発揮できるのか、
それを見るのも愉しいし、
先発陣以外の選手が、
どんなプレーをするのか、
それにも期待がかかりました。
今年の新人のS君、F君、
これまで出場機会のなかった、
G君、U君、M君など、
あっと驚くような選手起用。
Y君は前衛も経験して
新鮮な驚きがありました。
そして何よりも選手個々人が、
のびのびと、
そして愉しそうにプレーしているのが、
印象的でした。
それを見ながら、
はしかの功罪を解いて、
プラス面の方が大きかったのでは、
と感じました。

選手ひとりひとりは、
バレーをする限り、
公の舞台でプレーしたい、
と思うのが当然でしょう。
熱い視線が集まるコートで
自分のプレーを見せる。
それこそが、
スポーツをする人間にとっての
醍醐味だと思うのです。
スパイクが決まって、
得点した瞬間の快感、
ブロックで相手の攻撃を
封じ込めたときの歓び、
それを迎え入れる、
チームの仲間や観客席の歓声。
それらのどれもが、
スポーツをする愉しさであり、
歓びだと思います。
そして大学生活の中で
一度も公式戦の舞台を
踏むことなく終わるより、
あのとき、あの場所でプレーした。
たとえそれがサーブミスであったにせよ、
何にも代え難い思い出になるのではないか、
と感じました。
苦い思い出も、
懐かしい思い出に変わることもあるし、
公式戦の初舞台は、
一生の思い出になると思います。

2018.11.28

バレーの感動-1/夢をカタチに

スポーツの感動は、
さまざまな場面で出会います。
その中でも
自身のプレーではないが、
僕自身のスポーツの原点はバレーボール。
長男は中学に入学して
友達になった5人ほどで
バレーを始め、
その後、中学では、
ソコソコの成績でスタートし、
中学時代にはなぜか
県の選抜選手になって全国大会に出場して、
それから色々なことがありました。
それとともに大学では、
同じバレー部に入部した仲間が3人、
1年後輩が2人で、
同級生の仲間は10年以上、
同じチームに所属していた。
バレーの強豪校でもないのに
不思議な縁だった。
そして大学でも
良き仲間に巡りあい、
悔しい思いもしたが、
それ以上の感動も得て
実りあるバレー人生を
歩むことができたと思う。
その後、僕自身も
長男の応援を通じて

バレー部OBとの付き合いができ、
受験生の受験指導もするようになって、
色々な縁ができた。
受験準備のひとときの、
そんなあれこれを紹介します。

********************

To.受験生各位

先日はご苦労さまでした。
そのときに同席した**です。
憧れを熱意に、
熱意を力に――。

それが大事です。
先日、S君とH君は
大学のキャンパスを訪れ、
その感想が転送されてきましたが、
大学のキャンパスに新鮮な衝撃を受け、
大学への想いを深くしたようでした。

夢は叶う―――
小説やテレビドラマの中で
何度となく登場してきたフレーズですが、
夢は単に待っているだけで
叶えられるわけではありません。
夢を願いに。
その願いを、
強い意志に変えて
熱意を込めることで実現します。
そのためにも大学の魅力――、
それを知り、
実感して下さい。

君たちがこの大学に
どのような想いを抱き、
扉をひらこうとしているのか、
それは人それぞれでしょう。
しかし、ただひとつ確かなことは、
この大学は決して期待を裏切らない。
大学生活は単に4年間のことに過ぎません。
しかしそれでも、
それは単なる通過点ではなく、
生涯に残る貴重な財産となります。
学びの姿勢と、仲間と、人生の教訓と、
そして塾生としてのプライド――。
それも形骸化したものではなく、
実体の伴うものとして
得ることが出来ます。
君たちは大学に入れば、
バレーに打ち込み、
勉学にも勤しむことになるでしょう。
それはときに苦しく、
ときに愉しく、
無我夢中の4年間となるでしょう。
しかし卒業してその4年間を振り返れば、
なにものにも代え難い
尊いものとして映るに違いありません。
それはなぜか。
それを君たちが自ら実感してください。

バレー部では、
厳しい練習が待っているかも知れません。
努力が報われず、
敗れて悔しい思いをする事もあるでしょう。
2年ほど前、入替戦で敗退して
4部へ降格するという憂き目に合いました。
どれほど悔しい思いをしたか、
それは選手個々人の立場にならなければ
わからないかも知れません。
しかし人は時として、
順風満帆の道を歩くばかりでは
なにも得られない。
そうした苦い経験、
辛い思いもときにはある。
しかし人はそうした場で
経験として何を得て、
何を学び取るのか。
むしろそのことの方が、
どれほど価値があるかわかりません。
そして甘いも辛いも共に体験し、
共感した仲間だからこそ
真の意味で仲間だと言える日が
きっと来るのだと思います。

大学は感動の場――。
それは勝利の歓びの
感動ばかりではありません。
スポーツの場で、
その場でしか体験し得ない
多くの感動があるでしょう。
それを是非、
大学のバレー部という場で、
君たち自身が実感してほしいと思います。
この大学には、
スポーツ特待はありません。
それゆえの苦しさやジレンマもあります。
古臭い言葉ですが、
大学バレー部は「文武両道」を
モットーとしています。
そして君たちのキャリアを活かす
バレーコートで、
知的生産の現場で、
君たちの技と知的好奇心を活かして下さい。
その上でこの学び舎で
胸の震えるような感動を
いくつも実感して下さい。
そうしたバレーと勉学との二足の草鞋、
それを立派に履きこなしてこそ、
塾生であり、
この大学のバレー部に相応しい
人間と言えます。
この大学は君たちの
期待に報い、応え、
そして夢を叶えることが出来ます。
そして何よりも、
卒業後も母校である塾を愛し、
学友を尊ぶことの出来る大学です。
その意味では在学中よりも、
卒業後の長い人生において
ここを巣立ったことの歓びを
噛み締めることの出来る大学である、
と言えます。

2018.11.26

化粧する女

東急電鉄の
動画広告が話題になったことがある。
――都会の女はきれいだ。
       でも、ときどき、みっともない。
・・電車の中で化粧はやめよう
というもの。
ツィッターではそれに、
――なんでそんなこと言われなきゃならないの、
と女性陣から顰蹙を買っているそうだ。
でもそれも程度問題。
僕自身、こんなことがあった。
宇都宮で用事を終えて、
母校の大学へ向かう途中のこと。
少し早めに宇都宮駅を出発して東京に向かった。
3時頃だった。
宇都宮駅から湘南新宿ラインに乗り、
車内はボックス席。
乗車したときは空席が目立ったが、
駅に停車するたびに乗客が乗り込んできた。
乗車して30分ほどたった頃だろうか、
ボックス席の目の前に一人の女性が座った。
歳の頃は30代前半か。
まぁそれはいい。
やがて手提げ鞄をひらき、
アイシャドーを塗り、
パフを手にして念入りに化粧を始めた。
我慢する。
まぁ5分もすれば終わるだろう・・。
しかしその期待も虚しく、
女はひたすら化粧に興じる、
それも入念に。
見れば手荷物の中には化粧道具が一式並んで、
他の乗客が見ているのもに構わず、
ひたすら手鏡を手に化粧している。
塗る、染める、鏡を見てチェックする、
そしてまた塗る・・
――ふざけんじゃねぇ。
俺の前で化粧なんかするな。
そう思いつつひたすら我慢。
とき折り睨む。
しかし意に介さず他の客も見て見ぬふり。
我慢しているのか、
気にするほどじゃないというのか・・。
不思議な光景だった。
栃木から埼玉を経て、
都内に至るまでの1時間以上、
ただひたすら化粧する女。
よっぽど文句を言ったろうか!と思った。
我慢できないことははっきり言うべし。
しかし、なんと言えばいいのか、
その捨て台詞に迷った。
――そんなに化粧したって、ブスはブスだ。
無駄だ、やめろ!
それとも幾分、紳士的に、
――周りの皆さんにご迷惑ですよ、
やめた方がいいのでは・・。
とでも言えばいいのか。
しかし周りがその声にシラーッとしたら、
俺の立場はどうなるんだ。
そんなことが頭をよぎる。
コイツ夜の蝶に違いない、品がない。
池袋では降りるだろう・・。
しかし降りない。
新宿なら降りるだろう。
またも降りない。
結局は渋谷でルンルンして降りた。
あの苦痛の1時間、
迷惑料がほしいくらいだった。
そして関東沿線の条例で
「電車内の化粧禁止!」の1項目を加えてほしい。

だから東急線の公共広告に拍手喝采。
賛同の大きな一票を投じる。
最近は電車内の化粧はそれほど珍しくない。
多少の我慢はしても、
それも程度問題。
苦々しく思いながらも
大半の乗客はなにも言わない。
湘南新宿ラインの一件から、
それほど経っていないとき、
平日に山手線に乗ることがあった。
その時は出勤時間のピークを過ぎて、
それほど混雑していない。
しかし山手線は朝の通勤時間帯は座席を上げて、
乗客は全員立ち席となる。
電車内の中央にポールがある。
揺れる車内で、人を支え、車体を支える。
そのポールに女がしがみついている。
そしてバッグの中から化粧道具を取り出す。
そこは車内のど真ん中。
ステージであればスポットライトを浴びる中央舞台だ。
そこを陣取った女は、
化粧道具を出して化粧を始める。
俺だって鬼じゃない、蛇じゃない。
人並みの情けはある。
しかし、こういう類の女は逮捕したい、
人間として認めたくない。
人目をはばかるという感覚がなく、無神経。
傍若無人の輩。
女らしさのかけらも感じない。
お前だって鏡、持ってるんだろう?
見せびらかして、
こんなところで化粧する面か!・・
なんて言ってみたい。
しかし都会の人間は紳士淑女ばかりなのか、
悪態を突くこともない。
けれどテレビや新聞では、
電車の中で化粧する女の人が増えましたなぁ、
なんて言っている。
それを言うくらいなら
公共のメディアで
正面切って言ってほしい。
・・・ということで、
車内広告は偉い。

 

 

 

 

 

 

 

2018.11.19