Wedding――
新たな一歩を踏み出す
人生最大のイベントが、
結婚という儀式かもしれない。
とは言っても、
結婚なんて成行きでする人もいれば、
しがらみを振り切れずに
やむなく結婚する人もいる。
結婚までの道はそれこそ、
人それぞれ色々な事情があるでしょう。
結婚事情について
ある本を読んでいたら、
フランス人の子供は二人に一人が
非婚者から生まれた子供、
つまり婚外子だという。
これには驚いた。
スェーデンはその上をいく60%で、
モラルもそこまで地に堕ちたか、
と思うのですが、
それもお国柄いうべきなのか。
最近はそうした傾向に
拍車が掛かっているらしい。
それって自由恋愛?
結婚観の違い?
けれど生まれてくる子供のことを考えれば、
二人がよければ、
今さえよければ、
なんて言えないはずですが。
離婚率もどんどんあがる。
日本でも離婚率は上昇傾向にあり、
離婚を恥と思わない風潮が定着してきた。
それもヘン。
お隣の国、韓国では、
最早50%が離婚して、
手っ取り早く結婚して、
うまくいかなければ再婚すればいいなんて
結婚はそれほどお手軽なものでしょうか。
結婚は本来、
ひそやかで華やかながら
厳粛なもの。
将来を誓い合い、
この人と思う人と契りを交して、
生涯にわたり家庭を紡いでいくもの。
だからこそもっと慎重でありたい。
出会いはさまざま、
けれど、結婚は縁。
ドンファンじゃないが、
いくらでも相手の見つかる人もいれば、
巡りあいのチャンスに恵まれない人もいる。
しかしそれを嘆く必要はない。
その多寡が人の価値を決める尺度ではない。
出会いの少ないことを嘆くより、
まずは自分を磨くことに
心を注ぐべきでしょう。
縁は人と人との出逢い。
その引き合う力の向こうに
鏡に映る自分の姿がある。
自分を押し売りするよりも、
相手に惹かれる自分でありたい。
それが大切だと思うのですが。
そこに人として、
男として女としての魅力も見えてくる。
相手を好きという前に、
相手に相応しい人であること。
そうすれば、
たった一つの出逢いも意のままに、
神はそうした縁を
見捨てることはないでしょう。
縁結びの神さま、
出雲大社に、礼!――
ひとめぼれがある。
これを縁に結ばれた人は、
幸せといえるでしょう。
劇的な出逢いの瞬間。
ひと目で運命の出逢いを感じ、
1週間で結婚を決める。
それは理想かもしれない。
それでも男と女は求める視点が違う。
それは多分、
男と女の置かれた
社会的立場の違いもあるように思う。
男の視点では、
男はひたすら女性に対し、
女としての魅力を求める。
自分にとって魅力ある女性なら、
それがいちばんだと思う。
そこには社会的地位や能力、
経済力を求めてはいない。
その人の社会的将来像を描くことも少ない。
けれど女性の視点では、
結婚を前提にすれば、
多かれ少なかれ、
その人の社会的将来像を描いている。
この人と一緒になれば、
どんな家庭を築き、
どんな生活が得られるのか。
それを考えない人はいない。
好きであれば、
愛さえあればなんて絵空事。
得てして恋愛と結婚は違うのよ、
というのは、
女性の立場の言葉であるように思うのです。
要は自分の描く将来の設計図に
ちゃんと自分の思う姿が見えるかどうか。
もし万が一、
自分の思う姿が見えないときは、
それを超えても
魅力ある人といえるかどうか。
そんなことを考える。
どんな場面であれ、
どんな人であれ、
そうしたことを考えて
自分の将来を描いていくものでしょう。
それが結婚の現実です。
結婚は、
二人で支えあい、
生活を営みながら、
お互いが育てあげるもの。
それとともに忘れてならないのは、
家族をもつということ。
結婚すればやがて子供が生まれ、
その子供が新しい世代に
家族を引き継いでいく。
その過程では、
大変なことや苦労もあるかもしれないが、
子育てという営みを通じて得られる歓びは
測り知れないものがある。
親は子に見返りを求めないが、
それでも多くの得難い歓びや感動、
子供への感謝の心が生まれてくる。
周りには結婚しながら
子供に恵まれない人もいるが、
家庭を築き、
子育てを通じて得られる幸せを
経験できないことは、
やはり淋しいものがある。
当たり前の結婚、
ありふれた家族でも、
家庭を築いて、
それを通じて得られるものは大きい。
結婚はその意味で、
新しい価値観を実感できる
スタートラインでもある。
2018.12.14