ポーランド①/序章

ポーランドの印象は薄い。
あえて言えば、
ショパンとアウシュビッツくらいだろうか。
東ヨーロッパの旧共産主義国で、
16世紀に最盛期を迎えたが、
その後、分裂と統合を繰り返し、
18世紀には、
国そのものが消滅したこともある。

第二次大戦の火蓋が
切って落とされた地でもあり、

ドイツに支配されて以来、
完膚なきまでに戦火に塗れて
国は壊滅状態。
そんな暗い影を落とした国で、
僕自身の旅行先の候補に
一度もあがったことはない。
ある意味で、
魅力に乏しい国として映っていた。

そんな国に行こうと思ったのは、
ふとしたことがきっかけだった。
南フランスで一緒になった人から
一通のメールが届いて、
――ポーランドに直通便ができたので
行って来ました。
  思ったより素晴らしい国でした、
とあった。 

ポーランド――。
右の耳から
ショパンの美しい旋律が響き、

左の耳から
アウシュビッツの悲痛な声が聞こえる。

ヨーロッパの中にあっては、
歴史の表舞台に立つことの少なかった国。
しかしポーランドの人たちは、
粘り強く、逞しい。
かつて名匠・ポランスキー監督が手掛けた
「戦場のピアニスト」という
第二次大戦時を舞台にした映画があり、
その中でユダヤ人ピアニストが、
奇跡的にアウシュビッツの収容所行を逃れ、
追われ追われて
荒廃したワルシャワの街に佇む。

そのときドイツ人将校に見つかり、
自分がピアニストであることを
証明するためにピアノを弾く。

それがショパンの
バラード第1番でした。
荒廃した戦火の地にひびく美しい旋律。
それが余りにも
対照的な情景でした。
ショパンとアウシュビッツーー
ポーランドを象徴するふたつが、
美しいものと醜いものとして対局にあり、
それが不思議な調和と
余韻を醸しだす。

それがポーランドという国でした。
アウシュビッツ――。
負の世界遺産。
人類が決して忘れてはならない
歴史の1頁であり、

だからこそポーランドに行ったら
見ておかなければならない。
ユダヤ人が信仰するユダヤ教は、
キリスト教が覇権を握るヨーロッパでは
異端的存在で、

差別と迫害の歴史を背負い、
ユダヤ人排斥に
喝采を送った人も少なくない。

そうした中で唯一、
ポーランドだけはユダヤ人に寛容で、
多くのユダヤ人が移り住んだが、
迫害の歴史の行き着く先として
130万人の人が
ポーランドのアウシュビッツ収容所に

送り込まれることになった。
9割はユダヤ人だった。
アウシュビッツの悲劇。
それを物語る映画は多い。
「戦場のピアニスト」然り、
そして「シンドラーのリスト」や
「ライフ・イズ・ビューティフル」など
限りがない。

ともあれポーランドの旅へ。
旅仲間からポーランドを賞賛する声があり、
NETで検索したが、
確かに美しい。
ポーランドの都市は
ワルシャワくらいしか知らないが、
世界遺産が14ほどあり、
美しい文化遺産に恵まれている。
だからツアーを申し込んだが、
手配ミスや催行中止があり、
二転三転して12月8日(木)、
ポ-ランド航空成田発ワルシャワ便で離陸した。

ポーランドは日本の8割ほどの面積。
ワルシャワはその中ほどで、
そこから北のクダンスクに飛び、
南のクフクスまでバスで辿った後、
ワルシャワへ国内線で飛ぶ。
8日間の旅。
しかし北から南まで見所が点在し、
かなりの距離を移動することになった。
ときは12月。
寒いときに寒い所へ行くのは遠慮したいは、
口癖だったが、
ポーランドの12月の平均気温は、
最高気温3度で、
最低気温-2度。
行くと決めたからには防寒を万全に!
と準備したが、
旅行の前半は比較的過ごしやすかったものの
後半の数日は
極寒のポーランドを経験することになった。

2018.12.5

1日目/