バレーの感動-1/夢をカタチに

スポーツの感動は、
さまざまな場面で出会います。
その中でも
自身のプレーではないが、
僕自身のスポーツの原点はバレーボール。
長男は中学に入学して
友達になった5人ほどで
バレーを始め、
その後、中学では、
ソコソコの成績でスタートし、
中学時代にはなぜか
県の選抜選手になって全国大会に出場して、
それから色々なことがありました。
それとともに大学では、
同じバレー部に入部した仲間が3人、
1年後輩が2人で、
同級生の仲間は10年以上、
同じチームに所属していた。
バレーの強豪校でもないのに
不思議な縁だった。
そして大学でも
良き仲間に巡りあい、
悔しい思いもしたが、
それ以上の感動も得て
実りあるバレー人生を
歩むことができたと思う。
その後、僕自身も
長男の応援を通じて

バレー部OBとの付き合いができ、
受験生の受験指導もするようになって、
色々な縁ができた。
受験準備のひとときの、
そんなあれこれを紹介します。

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To.受験生各位

先日はご苦労さまでした。
そのときに同席した**です。
憧れを熱意に、
熱意を力に――。

それが大事です。
先日、S君とH君は
大学のキャンパスを訪れ、
その感想が転送されてきましたが、
大学のキャンパスに新鮮な衝撃を受け、
大学への想いを深くしたようでした。

夢は叶う―――
小説やテレビドラマの中で
何度となく登場してきたフレーズですが、
夢は単に待っているだけで
叶えられるわけではありません。
夢を願いに。
その願いを、
強い意志に変えて
熱意を込めることで実現します。
そのためにも大学の魅力――、
それを知り、
実感して下さい。

君たちがこの大学に
どのような想いを抱き、
扉をひらこうとしているのか、
それは人それぞれでしょう。
しかし、ただひとつ確かなことは、
この大学は決して期待を裏切らない。
大学生活は単に4年間のことに過ぎません。
しかしそれでも、
それは単なる通過点ではなく、
生涯に残る貴重な財産となります。
学びの姿勢と、仲間と、人生の教訓と、
そして塾生としてのプライド――。
それも形骸化したものではなく、
実体の伴うものとして
得ることが出来ます。
君たちは大学に入れば、
バレーに打ち込み、
勉学にも勤しむことになるでしょう。
それはときに苦しく、
ときに愉しく、
無我夢中の4年間となるでしょう。
しかし卒業してその4年間を振り返れば、
なにものにも代え難い
尊いものとして映るに違いありません。
それはなぜか。
それを君たちが自ら実感してください。

バレー部では、
厳しい練習が待っているかも知れません。
努力が報われず、
敗れて悔しい思いをする事もあるでしょう。
2年ほど前、入替戦で敗退して
4部へ降格するという憂き目に合いました。
どれほど悔しい思いをしたか、
それは選手個々人の立場にならなければ
わからないかも知れません。
しかし人は時として、
順風満帆の道を歩くばかりでは
なにも得られない。
そうした苦い経験、
辛い思いもときにはある。
しかし人はそうした場で
経験として何を得て、
何を学び取るのか。
むしろそのことの方が、
どれほど価値があるかわかりません。
そして甘いも辛いも共に体験し、
共感した仲間だからこそ
真の意味で仲間だと言える日が
きっと来るのだと思います。

大学は感動の場――。
それは勝利の歓びの
感動ばかりではありません。
スポーツの場で、
その場でしか体験し得ない
多くの感動があるでしょう。
それを是非、
大学のバレー部という場で、
君たち自身が実感してほしいと思います。
この大学には、
スポーツ特待はありません。
それゆえの苦しさやジレンマもあります。
古臭い言葉ですが、
大学バレー部は「文武両道」を
モットーとしています。
そして君たちのキャリアを活かす
バレーコートで、
知的生産の現場で、
君たちの技と知的好奇心を活かして下さい。
その上でこの学び舎で
胸の震えるような感動を
いくつも実感して下さい。
そうしたバレーと勉学との二足の草鞋、
それを立派に履きこなしてこそ、
塾生であり、
この大学のバレー部に相応しい
人間と言えます。
この大学は君たちの
期待に報い、応え、
そして夢を叶えることが出来ます。
そして何よりも、
卒業後も母校である塾を愛し、
学友を尊ぶことの出来る大学です。
その意味では在学中よりも、
卒業後の長い人生において
ここを巣立ったことの歓びを
噛み締めることの出来る大学である、
と言えます。

2018.11.26