私の家は小さい頃、
東側は国道に面していました。
家の北側は太い幹の欅をはじめ、
椿や何やらの雑木に幾重にも覆われ、
防風林の役目を果たしていました。
平屋の母屋の西側には、
殆ど一軒家に見えるほどの
二階建ての物置があり、
僕らの秘密基地でした。
さらに西側には
雑木を交えた竹林があって、
おもちゃの銃を持って
近所の子供と戦争ごっこをして
遊んだものでした。
雑木のある北側の道沿いに
川幅僅か40cmほどの小さな川があり、
山の上から降りて、
国道に沿って右に折れ、
やがて側溝となって流れていました。
地図にも載らない小さな川。
せせらぎと呼べるほどの浅瀬もなく、
道路に沿って流れるだけの
小さな川でしたが、
小さな僕らにとって立派な遊び場でした。
僕らの川遊びは、
紙で作った船の船下り。
新聞の折込み広告などで船を幾艘も折って、
それを並べて
近所の子供と競争しました。
手織りの船が手から離れて漕ぎ出すと
我先にと走り出して
眼の色を変えて、
ガンバレ、ガンバレ!――
の声を張り上げていたものでした。
水のある風景は、
人の心に潤いと安らぎを与えてくれます。
川は自然の恵み。
私の物心がついたばかりの頃は、
この小さな川にも蛍が舞っていました。
周りにはオカボと呼ばれる
陸稲が青々と育ち、
夏になれば、
川辺にたくさんの蛍が乱舞していました。
ほ~ほぉ~ッ、ホタル来い・・、
そう呼びながら手のひらに蛍が舞い、
その淡い光を
不思議な気持ちで眺めていました。
暗い闇を覆う光の舞い。
それは子供心にも神秘的で、
美しい光の舞いでした。
それは蛍の恋の鞘当ての瞬間。
残されたほんの少しのあいだに、
生命の糸を紡ぎ出す瞬間。
青白い光を放ちながら舞う姿は、
夏の風情を醸し出していましたが、
その数も年々減り、
やがては川の瀬の葉陰に
僅かばかりの青白い光りを
残すほどになっていました。
その川では、
どじょうが採れたことがありましたし、
しじみが採れたこともありました。
我が家では、
板塀の下から流れを引き込んで、
小さな堀の中に川の水を貯めていました。
あるとき、
その小さな堀の中に
大量のしじみがあるのを発見しました。
歓声をあげながら、
ざるで掬いあげるように採る。
泥を掘り返せば、
ざくざくと音をたてるほど、
しじみが採れました。
しかしその不思議な体験も、
乱獲のためか瞬く間に終わりました。
しじみの大漁に沸いたのは、
ほんのひとときで、
束の間の夢と潰えました。
川は神秘を誘い、
僕らの小さな冒険心をかきたてます。
それは川の浪漫――
この川がどこから来て、
どこを流れているんだろう。
そんな気持ちが膨らんで、
川の源流を求めて
山に登ったことがあります。
その当時は山の手に団地はなく、
山に登るほど、
細い川はやがて
森の中を流れるせせらぎになり、
川底に大きな石を転がした渓流に変わる。
それを辿りながら
ひたすら山を分け入りました。
途中には山の斜面に
清水が湧き出るところもありましたが、
川の両側は深い森に変わり、
行けども行けども、
川の源流に辿りつくことはなく、
諦めて引き返しました。
それでも、
川のある風景は心が和みます。
川と戯れ、
水のある風景に心を癒し、
自然の恵みを実感します。
しかしその川も、
道路が拡張されると
いつしか蓋に覆われて、
姿を消してしまいました。
2018.10.29