早慶戦――
早稲田と慶応が対戦すれば、
なんでも早慶戦ですが、
その名に相応しい早慶戦はやっぱり、
六大学野球の最終戦を飾る早慶戦でしょう。
慶応の学生は、
自らの大学を「塾」と呼び、
学生を「塾生」と呼ぶ。
そして、慶応では早慶戦ではなく
慶早戦と呼ぶ習わしがあります。
けれど語呂がよくないせいか、
一般的ではない。
塾生としての想いは、
六大学の早慶戦に原点がありと思う。
10年ほど前、
鳴り物入りで加入した、
ハンカチ王子こと齋藤投手の登場で、
六大学野球が俄然注目された。
そのとき応援席は
入りきれない早稲田側応援団が、
慶応の応援席を占拠したらしい。
早慶戦の熱気は結構ですが、
少し過熱気味ではと思う面もありました。
齋藤投手の加入で
六大学の、
とりわけ早慶戦の呼び水に
なるかも知れないと思いましたが、
それに先立つ2年ほど前は、
久々に慶応が優勝をかけて
早稲田と対戦しました。
ならば、とテレビを見ると
広いスタンドに人はまばらで、
これが伝統の一戦かと目を疑いました。
かつては日本中を沸かせ、
日本スポーツ界の雄だった早慶戦。
それを知る人にとっては、
なんとも寂しい光景だったと思います。
僕自身も早慶戦の黄金期に
大学時代を過ごした一人でした。
慶応は山下・松下を手駒にして
上位を占めて3連覇を目指していました。
優勝を賭けた早慶戦のその日、
神宮の杜は早稲田と慶応の
あふれんばかりの学生で
スタンドが埋め尽くされました。
早慶戦は弱い方が勝つ、
とのジンクスもある。
この一戦に負けてなるものか、
との闘志も漲る。
そうした熱気はグランドだけでなく、
応援席からも伝わってくる。
慶応の声を嗄らしての応援に
早稲田が応える。
数で勝る早稲田の応援席からは
地響きがするほどの、
ウォ~!!っという
大歓声が押し寄せる。
その声に圧倒されながら応援を返すものの
あの蛮声に圧倒されっぱなしでした。
ともあれ、
試合が終わればノーサイド。
互いの健闘を称えながら校歌を斉唱。
早稲田は「都の西北」を、
慶応は「塾歌」を。
その歌を口ずさむとき、
ふと学生時代のあの頃を思い出します。
アフター早慶戦という言葉はないが、
一般学生の早慶戦の愉しみに
これがありました。
ワールドカップの日本勝利の後、
六本木に繰り出した
サポーターの熱気が重なります。
早慶戦の夜は、
銀座と新宿であの熱気にあふれていました。
同じ僚友同士、
互いに顔は知らなくても、
同じ大学の学生と知れば、
肩を組み、応援歌を歌い、
握手をして別れた。
ライオンビアホール、
数寄屋橋ビル屋上のビアガーデン。
少し肌寒い天気も気にせずに、
大ジョッキを抱えて飲む快感は
この上ないものでした。
そして日比谷公園に繰り出して、
アベックを蹴散らして応援歌を斉唱。
今思えば若気の至り。
愚かしいことではあるけれど、
かの福沢先生だって、
それくらいのことはしていた。
銀座通りを歩けば、
学生に気軽に声をかける先輩がいて、
――おぉ~、慶応勝ったか!
と気前よく1万円札を差し出して、
――これで呑め!という人もいたとか。
そんな時代の、
早慶戦の風景が懐かしい。
早慶戦の季節がやって来た。
10月最終週の週末は、
六大学の最後を飾る早慶戦が
神宮の杜で行なわれます。
100年以上の歴史があり、
近代日本のスポーツの原点は早慶戦にあり、
ともいわれて、
かつてはスポーツの花形でした。
早慶戦の起源は明治36年。
学生野球の草分けだった慶應が、
早稲田の挑戦を受ける。
そしてその日、
早稲田は所沢から三田までの13kmの道を
下駄を踏み鳴らしてやって来たという。
今では、
当時の華やかなりし時代の
早慶戦の面影は薄れましたが、
僕らの学生時代も慶応野球部の黄金期。
3季連続で優勝し、
誇らしげに銀座界隈を歩きました。
早慶戦の思い出は尽きない。
なんといっても
スタンドの熱狂が忘れられない。
神宮の杜には立錐の余地もないほど
大勢の観客が押し寄せ、
その数5万人と言われました。
早稲田は慶応を倒すことに闘志を燃やす。
互いの優勝を賭けた
一戦であればなおのこと、
相手の優勝を打ち砕こうと血気がはやる。
互いの応援合戦。
早稲田は学生数では倍近く、
多勢に無勢。
それでも声を張り上げて、
ありったけの応援を繰り返す。
応援指導部のリードで
三角帽をメガフォンにして、
試合が終わる頃には喉もがらがら。
声も出ませんでした。
試合後は慶應は銀座、
早稲田は新宿に繰り出す。
銀座ライオンのビアホールでは、
ピッチャーサイズのジョッキ片手に一気飲み。
それを3杯飲みほして
酩酊状態で日比谷公園に向う。
二人連れのしんみりした雰囲気の中で、
それを壊すのが早慶戦の夜の儀式。
学生は日比谷公園に乱入して、
噴水の前で新入生を担いで放り投げる。
ところが余りにも元気がいいので、
所轄の築地署から、
銀座は学生の町ではありません、
世界の銀座です!、
ときついお叱りを受ける。
その後は学生部の教官が、
日比谷公園を見下す帝国ホテルの一室に陣取って
――悪い学生はいないかぁ~!
と望遠鏡で見張り番をしていたとか。
学生の歓声は銀座通りを闊歩し、
袖振り合うも他生の縁で、
道行く同好の士に声を掛け、
勝利の歓喜を分かち合う。
懐かしい早慶戦の、
夜の銀座の風景でした。
あしたは早慶戦です。
2018.10.26