◆A高校の監督への手紙
A高等学校バレー部監督 A 様
拝啓
A高校バレー部の推薦については、
特段のご配慮を賜り誠に有難うございます。
本件につきましては、
最後の判断を本人に一任することにしました。
A高校で精一杯バレーに打ち込むのもよし、
当校に残るのもよし。
そして監督からお話しを頂いて以来、
彼は彼なりに迷い、
悩みました。
多くの方々との相談もしました。
その反応は人それぞれですが、
Aに行くべき、
との答えが圧倒的に多かったように思います。
しかし本人が最後に得た結論は、
当校に残る、
というものでした。
監督には特別の評価をいただき、
最大限の誠意をいただきながら、
ご期待に沿えないことは
心苦しい限りですが、
ご容赦いただきたいと思います。
今更という話しにはなりますが、
本人としては、
監督に自宅に来ていただいて
監督の話しを聴き、
監督のお人柄に触れ、
大いに心動かされました。
そして、バレーをする者として
春高バレーやインターハイでの優勝は、
夢のまた大きな夢となりました。
親子ともどもA高校に訪れたときも、
格の違うレベルの高いバレーを見せていただき、
先輩とも一緒にやれそうだ、
との感触をつかんで帰ってまいりました。
私が本人から話しを聞いた感触も、
本人の気持ちは大きく
A高校に行くことに傾いているように見えました。
それほどにA高校でバレーをすることは、
一種の憧れにも似た
大きな期待を抱かせました。
しかし彼には学校に
バレー部の仲間がいて、
クラスの友人がいて、
なによりも校風を気にいっていました。
そしてまた人生の選択肢として、
バレーを最優先にすることに
一抹の不安を抱いているようでした。
大学は自分の目指す大学で、
自分の目指す道を進みたい、と。
自分自身のバレーに賭ける夢と、
そして仲間や友人との
別れがたく絶ち難い思いや、
進路の迷いとの狭間で
彼の気持ちは大きく揺れ、
迷いは一層広がっているようでした。
とは言え答えを先延ばしして、
先生方にご迷惑をおかけしないためにも、
早めの決断をしなければ、
との気持ちに迫られていました。
そして先日、
その決断をさせていただいたわけですが、
なんとも切なく、
心苦しい返事をしなければならないことを
お許し願いたいと思います。
私たち両親や彼の姉も、
彼が春高やインターハイで優勝することを
心密かに夢見ていましたが、
それも夢は夢と淡く消えたようです。
ともあれ、
高校バレー界のトップの監督に
大きな評価をいただき、
彼の大きな自信にもつながったように思います。
そしてA高校の選手たちの
溌剌としたプレーを見せていただき、
春高での優勝は間違いない、
と確信しております。
そして良き選手、
良き指導者に恵まれて、
今後もA高校が高校バレーの第一線で
活躍されることを固く信じております。
御礼方々、お詫びを申しあげ、
今後の皆様のご活躍を期待し、
ご報告と致します。
本当にありがとうございました。
敬具
***
後日の手紙
◆A高等学校バレー部監督 A 様
春高バレーの優勝
おめでとうございます。
過日、貴校のバレー部を
ご推薦いただいた**の父兄です。
先ほど代々木会場で観戦している家族から
A高校が圧勝した、
との報を受けました。
監督が先日話されていた、
――今年は優勝を狙えるチーム、
との宣言どおり、
優勝を果たすことができ、
本当におめでとうございます。
そして奇しくも決勝の対戦相手はC高校。
お話があった折り貴校をお訪ねして、
練習試合を見せていただいたのが
C高校戦でした。
優勝の経験がないとは言え、
**県を代表するチーム。
その時は2セットを観戦させて戴き、
終始試合を圧倒しているのが印象的でした。
その時の印象が強く、
A高校の優勝は間違いなし、
との確信を抱いておりました。
昨日のテレビ放映では、
あの時、あの場所でお会いし、
声をかけていただいたD選手や、
E選手たちを見て、
不思議な懐かしさを覚えました。
そしてD選手の
――胴上げして監督の最後を飾りたい、
との言葉に、
果たせれば監督冥利に尽きるだろう、
との想いを深くしました。
練習は厳しいが優しい監督。
監督はあの時、選手たちを評して、
――本当にいい子たちですよ
と語っていた言葉が、
なにかしら心に深い余韻を残しました。
選手たちを、
単に選手や生徒としてだけでなく、
我が子のように温かい眼で
接しておられる一面を見た気がしました。
そしてA高校は「和を以って尊しと為す」。
厳しさの中に、心を接し、心を砕いて、
チームワークを育てる。
それが圧倒的な強さの秘訣だろう、
と確信しております。
いずれにせよ、
A監督自らの手で、
A高校バレー部の伝統を築き、
良き選手に恵まれ、
高校バレー界の未来永劫に残る
素晴らしい実績を残され、
A監督の、監督としての
最後の花道を飾るにふさわしい、
清々しく、さわやかで、
最高に感動的な瞬間であったように思います。
本当にご苦労さまでした。
試合に参加した選手たち、
試合を見ている人たちの、
一人一人の熱い想いが伝わってくるようでした。
そして今後とも伝統のA高校のため、
バレーボール発展のために
ご尽力されることをお祈りしております。
敬具
***
後日談があります。
その後、インターハイが当県で行われ、
高校バレーの決勝戦が行われました。
そのときの決勝戦にA高校が出場し、
長男と観戦に出向いたとき、
A前監督はベンチにいて、
観客席にいる私たちに気付き、
試合後、挨拶にやって来ました。
そして長男に
――どうだ、今からでも遅くないぞ。
ウチに来ないか、と言い残し、
その日の夜、
B高校の監督や選抜チームの父兄を通じて
再び誘いの電話がありました。
このときも多少の迷いはありましたが、
結局は辞退。
長いAとの蜜月は終わりました。
彼の高校のバレーの成績は、
それに先立って行われた県予選で、
4校ある強化指定校の一角を崩して
3位になりましたが、
インターハイ出場はなりませんでした。
2018.10.5