生きることは描くこと―――
ゴッホは今でこそ、
美術史に燦然と輝く画家ですが、
生前は不遇な生涯を辿りました。
以前、芦田愛美主演の
「ボクらの幼稚園?」というドラマがあって、
手術を受ける園児を励まそうと
彼を追って長野の病院に向かう。
手術を受ける園児は不安がいっぱい。
あるときその子のノートから
1枚の絵がポロリと落ちる。
それがゴッホの「星月夜」でした。
糸杉と夜空が描かれ、
空には星が瞬いで、
青い夜空がぐるぐると渦を巻いている。
彼から見れば、
青い夜空は不思議の世界。
魅惑的で、神秘的で、
彼はその絵の不思議の世界に
虜になっていました。
かく言う僕自身も、
ゴッホの「星月夜」は好きな絵でした。
高校では美術を選択し、
油彩道具を買い、
授業で絵筆を手にするようになって
美術に目覚め、
その中でお気に入りが、
ゴッホとルノアールでした。
ルノアールはソフトな筆致、
ゴッホは燃えるような黄色と、
全く違う作風ですが、
憑かれたように好きになりました。

新宿のリバイバル館で、
映画「おしゃれ泥棒」を観たことがあります。
オードリーヘップパーンの主演で、
彼女の父親は贋作画家。
有名な絵を贋作で描き、
その中に「糸杉と星の見える道」という、
ゴッホの絵が登場します。
スクリーンいっぱいに現れた一枚の絵。
1m四方ほどの絵ですが、
贋作とはいえ筆致は力強く、
黄色を基調にして描いた風景は圧巻でした。
その絵の持つ迫力、
観る人を惹き付ける魅力。
そんなものが迫ってきて、
衝撃の一作となりました。
そのときから
ゴッホやルノアールの美術本を買い、
それを描きたいと思っていましたが、
もっぱら手本にしたのは、
ルノアールでした。
ゴッホは魅力的でしたが、
自分の作風には似合わない。

ゴッホ―――。
オランダの画家。
東京の国立新美術館で
以前、「ゴッホ没後120年」展があり、
10年ほど前にも東京都立美術館で
ゴッホ絵画展がありました。
アルル―――。
南フランスの寒村。
輝くような光を浴びて、
狂ったように描き続けます。
彼はアルルに
パリの絵仲間を集めようとしますが、
やって来たのはゴーギャンだけ。
あるときゴーギャンから、
お前の耳の描き方がおかしい、
と非難されて喧嘩になり、
ゴーギャンとの仲は破綻。
自ら耳を削ぎ落として、
最後はピストル自殺を遂げます。
それでもアルル時代は、
彼の画家生活の中で
最も充実した日々でした。
絵の具も満足に買えない生活の中で、
絵に対する情熱を燃やし続けました。
光そのものが生命の礼賛、
彼の内側から迸るエネルギーの源でした。
画家としての活動は10年ですが、
アルルの時代といわれる、
最後の2年間に集中しています。
彼は生涯、絵に対する憧れと情熱を
失うことはありませんでしたが、
生涯で売れた絵はたった1枚。
そんな風にして
彼の生涯を辿りながら作品を見ると、
また違った一面が見えてきます。
描きたいものを描く。
彼独自の技法で、独自の画風で、
ただひたすら。
彼の絵は存命中、
全く評価されませんでしたが、
今では世界中の人を虜にするほど
不思議な魅力に満ちています。
そして僕自身も・・・。
絵は目で見るのではなく、
心で感じるもの。
それは音楽によらず、
絵によらず、
感性が響きあえば、
見える世界があります。
南フランスの旅や、
オランダの旅も、
そうしたゴッホの魅力を
辿る旅でした。
***
フェルメール、
オランダの画家。
彼の経歴は謎が多く、
世に残された作品も30数点。
しかし彼はオランダの宝といわれ、
愛好者の中には熱烈なファンも多い。
特に「真珠の耳飾りの少女」は、
観るほどにその魅力に満ち、
底知れない深さを感じます。
吉永小百合のアクオスのCMにも
登場しましたが、
40cmほどの小ぶりな絵で、
最初にオークションに出品されたときは、
3000円ほどだったそうです。
今では南の「モナリザ」、
北の「真珠の耳飾りの少女」と
並び称されるほど有名な絵になりました。
この絵の魅力は、
緻密に計算された構成や配色と、
少女の表情にあります。
青いターバンを巻いて
黄色い服を着ていますが、
青と黄は言うなれば補色の関係、
それが不思議な色のバランスを
創り上げています。
そして小さな光。
目を凝らすと、
瞳と、唇と、耳飾りに小さな光があり、
これが少女の魅力を引き出す、
巧妙な仕掛けになっています。
しかもそれは偶然の産物ではなく、
緻密な計算の上に成り立っている。
少女の表情も静止画ではなく、
少女が背中に受けた声に気付いて、
えっと思いながら、
振り向いた瞬間を捉えています。
そこに少女の表情が活きています。
ほんの少し驚いたような、
振り向いてなにかを見据えているような、
そんな一瞬の表情があります。
そんな風に見ていくと
たった1枚の絵の中に、
不思議な魅力が溢れていることに気付きます。
それはなにかを感じる瞬間。
感性が呼応し、共振し、
奥深い世界に足を踏み込んでいく瞬間です。

謎に包まれた画家の、
謎めいた少女の表情に触発されて、
ひとつの小説が生まれ、
その小説をもとに映画が作られました。
その名も「真珠の耳飾りの少女」。
少女を演じたのは、
スカーレット・ヨハンソン。
映画も話題になって、
彼女が世界で飛躍する
きっかけにもなりました。
ともあれ、
一枚の絵の中に、
名もなき少女の一瞬の輝きが、
永遠のときを刻んで封じ込まれています。
名作中の名作ーー。
人の記憶に刻まれて、
永く、愛される作品になるでしょう。

好きなことや、
打ち込めるもの。
胸を焦がす想いや、
胸を震わせる感動。
そうした記憶に残る印象が、
人の感性を育てるように思います。
その日一日が、
昨日と変わらない日であれば、
心に残る陰影もなく、
なんの変化も見られない。
触れて、見て、感じて。
そんな風にして人は日々、
昨日と違った自分に出逢いながら成長してゆく。
それがたとえ失恋であっても、
人の心に深い余韻を残すことであれば、
あしたへの糧にすることができる。
昨日よりもあした。
新しいあしたを、と願いつつ。
2018.9.19