見果てぬ夢の先

夢は実現しないからこそ夢――、
という人もいるけれど
そうじゃないと思う。

実現しようとして頑張るから夢。
手が届きそうで、
もがいて掴み取るから夢。
あしたへの道が希望へ続くと信じるから夢。
夢にも色々あるが、
目の前にあって掴み取ろうとして、
頑張れば頑張るほど、
それを実現したとき
大きなさな感動が得られるのも夢。
夢は大望を抱くことだけが夢じゃない。
等身大の夢もまた夢で、
それを叶えることで、
ほんの少し幸せを感じることができれば、
その瞬間は夢の実現したといえる。
例えば、
あの店のあの料理が食べたい。
あの子に会いたい。
あしたはいいことがありますように
と祈りながら、
それが実現するのも夢が叶うこと。

村上春樹の言葉に
小確幸という言葉がある。
小さくても確かな幸せ。
それを積み重ねることで、
幸せは確かなものとなり、
それが多くの人にとって、
幸せといえるかもしれない。

幸せと夢―――。
夢を叶えて幸せを感じ、
その幸せを感じることが夢でもある。
自ら望むこと、
叶えられれば嬉しいこと。
それはささやかなものであっても、
手にすれば心地よく、
弾んで、輝いて、
心の中にほんのりと
優しい灯を灯すことができれば、
それが幸せと言えるでしょう。

幸せと夢―――。
それはこの世の全ての人に
平等に与えられるべきもの。
全ての人の権利として
与えられるべきもの。
けれどそうしたささやかな幸せですら、
掴みとることができない人もいる。
アメリカに住むアフリカンの人は、
かつては肌が黒いから、
奴隷をルーツとするから、
と卑下され、
それだけで人間扱いされない時代があった。
しかしそれは非黒人社会の驕り、
不遜な行為でもある。
だからこそルーサー・キング牧師は、
そうした不当な扱いを受けてきた
アフリカンのために立ち上がり、
彼らの自由と平等を訴えた。

その象徴となったのが、
ワシントン記念塔の前で行なわれた演説、
――私には夢がある(I Have a Dream)、
と始まる演説だった。
それはアフリカンの人にとって、
そして非アフリカンの人にとっても
深い感銘を与える演説でした。
それは1963年のこと。
自由と職を求めて
25万人が参加した大行進の後に、
アメリカの公民権運動の記念碑的な言葉として
歴史に刻まれることになりました。
そこでは、

いつの日かジョージア州の丘の上で
かつての奴隷の息子たちと
かつての奴隷所有者の息子たちが
兄弟として同じテーブルに着くという夢
いつの日か私の4人の幼い子供たちが 
肌の色によってではなく

その人格の中身によって
評価される国に住むという夢・・・

とあり、
これらはI Have a Dreamの言葉に乗せて語られ、
翌年には「公民権法」を成立させる原動力になりました。
キング牧師の

人間は鳥のように空を飛べ、
魚のように海を走ることが
出来るようになったのに、
なぜ兄弟として
一緒に肩を並べて歩けないのか・・

これらの言葉は切実に胸に迫ります。
人として当然与えられるべきものが
与えられない人にとって、
それは余りにも
ささやかな願いであり、
夢であり、
それを実現することは、
幸せの道をほんの半歩踏み出したに過ぎない。
しかしそのキング牧師は1968年、
39歳の若さで暗殺されました。
けれどアフリカンの人にとって、
キング牧師は彼らの英雄として、
ずっと心の中に刻まれることになるでしょう。

キング牧師

2018.9.5