地球温暖化のせいか、
夏が暑い。
とりわけ都会の夏は、
ヒートアイランド現象もあって、
猛烈に暑い。
観測史上いちばん暑い夏、
との文言が繰り返されたが、
今年の夏は40度を超えて
観測史の記録を塗り替えてしまった。
うだるような、
焦げるような夏が来て
いつ終わるとも知れない日々が
今も続いている。
6年ほど前、
東京の病院に入院していた。
夏の半分を病室で過ごしていたので、
エアコンの利いた部屋にいて暑さ知らず。
テレビでは、
今年は猛暑の夏、
記録的な暑さですね、
と報道していたが、
そんな実感はなかった。
しかし売店に行くときは、
病院の外に出て
通路の反対側に出なければならない。
ドアをあけて建物を出ると
むせ返るような夏の熱気が襲う。
売店の前は建物の陰で、
夏の陽射しが直接射しこむことはないが、
それでも暑さは半端ない。
こんな夏の暑さは、
人間の五感を限りなく壊していく。
とはいえ夏は好きな季節。
暑い、寝苦しい、鬱陶しい。
しかしそれ以上に、
思い出を一杯運んで来る季節で、
夏には夏のノスタルジアがある。
とりわけ例年なら、
夏の終わりの切ない想いが舞い込んでくる。
夕暮れどきの蜩の声、
人のいない浜辺、
八百屋の軒先の葡萄の山。
夏が暑ければ暑いほど、
夏が楽しければ楽しいほど、
夏の終わりのノスタルジアが切ない。
少年時代の、
夏の終わりの恒例行事。
それは溜まりに溜まった宿題。
山になって待ち構え、
その宿題を前に、
またやっちまったなと思う。
夏休み前には、
しっかりと一日の計画をたて、
夏休み後半に突入する頃には、
宿題が終わっているとの妄想を抱いた。
しかし生来の怠け癖が簡単に治るはずもない。
夏は夏らしくと思い、
テレビの前に釘付けで、
午後になればプールへ、
海へとはせ参じる。
夏休みは勉強嫌いになる誘惑が多い。
少年よ遊べ、
少年は少年らしく・・。
実家は国道に面していた。
少し奥まった所に平屋の家があり、
北側に小さな川が流れて、
川沿いに家を遮る木立があった。
その中に幹幅40㎝を越える欅の大木があって、
夏になると一斉に蝉が鳴く。
多いときは二十匹を越える蝉が群がって、
その騒々しさは耳を覆うほどだった。
しかしそれが夏、
我が家の夏だった。
あの頃は夏になると蝉採りをした。
竹竿の先に針金で輪を作り、
それに蜘蛛の巣を絡めて蝉採りをする。
そんな風にして
夏を目いっぱい堪能し、
夏の終わりはツケを払うハメになる。
夏休み終了を目の前に夜も眠れず、
宿題に追われる日々を過ごしたものでした。
夏の終わりの
愉しい思い出もある。
小学5年生の夏の終わりだったと思う。
溜まった宿題を前に
憂鬱そうに頭を抱えていると、
お袋が、
――あした潮干狩りに行くからね、と言う。
耳を疑い、
ーーエッ!なに?と問い返し、
でも宿題が・・と言いかけて、
ぐっと息を呑む。
怠け癖は治らない。
勉強よりも遊び。
かくして翌朝、
日もあけやらぬ内に家を出る。
あの頃、海に向かう道は田舎道。
田んぼの畦道ではないが、
デコボコ道をひたすら走った。
当時は漁業権なんてものは
さほどうるさくなかったのだろう。
じゃぁこの辺りでと車を止め、
松林を抜けると
広々とした砂浜が広がっていた。
砂浜では漁師さんが、
大きな籠を背にハマグリ採りをしていた。
さすが漁師!
背にした籠には
たくさんのハマグリが入っていた。
夏の終わりの潮干狩り。
引き潮の浅瀬でぐりぐりと踵を回せば、
ハマグリの感触がする。
潮が引くにつれて浅瀬の奥に入り、
面白いように採れた。
やがてバケツ一杯のハマグリが採れて、
笑顔がこぼれる。
愉しい夏の思い出だった。
2018.8.31