銀座発

銀ブラという言葉は、
今では殆んど死語になって、
こんな言葉を使う人もいません。
文字通り銀座をぶらぶら歩くことで、
かつては最先端の街・銀座を歩くことが、
ちょっとしたステータスで、
お洒落な人の定番でした。

6年ほど前には、
銀座4丁目交差点の三越が増床して
リニューアルオープン。
過渡期とされた銀座通りにも
新しい動きが出てきました。
この付近にはユニクロもできて、
高級志向を売りにした銀座にしては、
ちょっと不釣合いでは、
と思いましたが、
店内を覗けば他店舗とは一線を画して
銀座なりの高級感を前面に押し出していました。

僕はぶらぶら歩くことが好きで、
かつては一人で目的もなく
歩くことも珍しくありませんでした。
真っ先に行くのは本屋かレコード屋(CD店)。
これさえあれば十分に暇潰しができます。
そこには音の世界、
目に触れることのできる
しい世界があって、
観ているだけで
幸せな気分に浸ることができました。

その当時、拠点となっていたのは渋谷。
大学への経由地ということもあって
親近感があったし、
とりわけ公園通り~代々木公園~
そして、原宿へ続く道はお気に入りでした。
今はその当時の面影は薄くなりました。
あの頃は人通りもひっそりとして、
公園通りも今ほど知名度はなく、
知る人ぞ知る若者の街という雰囲気でした。
そして二番手は新宿、
三番手に銀座。
こうした街も渋谷ほどではありませんが、
時折、足を運びました。
そして赤坂から近い六本木、
大学への途中駅にもなっている自由が丘。
それらもエリアの開拓を兼ねて珈琲店を巡りました。

銀座・初めて物語Ⅰ

銀座は親近感の点では、
ちょっと薄い。
夏休みの誕生日を控えたある日。
東京にいても
誰もお祝いしてくれる人もいない。
ちょうど日曜日で、
ふらっと足を延ばした銀座に
交通整理をする警官がたくさんいて、
車を停止する交通遮断用のコーンが
いくつも並んでいました。
暑い陽射しの射す夏の日の昼。
その日は夏休みの日曜日ということもあったのでしょう、
人通りはいつもよりも多く、
歩道には溢れんばかりの人で埋め尽くされていました。
やがて車の通行が全面ストップ。
周りにいる人はその瞬間、
車が通らない繁華街の大通りを見て、
おそるおそる車道の中に入りはじめました。
それが銀座で初めての、
歩行者天国の日。
1970年8月2日の出来事でした――

初めての歩行者天国

銀座・初めて物語Ⅱ

1年後だったと思う。
やはり銀座4丁目の、
それも三越の1階の正面に、
ヘンな看板を立てた店があった。
ハンバーガー?!
あのポパイで有名なハンバーガーは
余り知られていなくて、
アメリカ産の風変わりな食べ物という感じがありました。
ハンバーガーはポパイの世界。
ホウレン草とハンバーガーと、
二つの関係がよくわからないが、
とにかく異国の食べ物でした。
しかも銀座4丁目といえば、
日本一地価の高い所で、
そんなところにスタンド式の店ができて
大勢の人が並んでいました。
やはり夏休みのこと。
道行く人は珍しげに店を覗いている。
周りを見れば、
その店で買ったらしいものを食べながら歩いている。
マクドナルド??それなに??
それにしても行儀が悪い!
立ち食いは慎むべき行儀の悪い振る舞いで、
分別ある大人ならしてはいけないこと。
それはそれとして、
見ているほど行列は伸びる。
珍しいもの好きの若者は飛びつく。
それが日本のマクドナルド1号店でした。

マクドナルド1号店

そのときのマクドナルドは、
スタンドがあるだけの店で、
坐って食べる席もない。
その一群に加わりました。
そして手にしたハンバーガ—とポテト。
値段は覚えていませんが、
ポテトのなんとデッカイこと!!
長さ20cmほどはあったと思う。
アメリカ産だと思った。
マクドナルドのハンバーガーは、
物珍しくて、
とても新鮮で、
アメリカの匂いがしました。

※ ※ ※

ところで昨夜は
火星が地球に大接近し、
南東の空に赤い星が、
ひときわ明るく輝いていました。
地球と火星ーー。
兄弟のような関係ですが、
互いの公転の関係で、
今回は15年振りの大接近とのことで
通常の10倍ほどの
大きさに見えるそうです。

2018.8.1