イチロー

こんな記事が
眼に止まったことがありました。
首相官邸で、
時の首相が客人とカレーを食べながら、
傍らのグラスを指して、
――君たちはこれを見てどう考えるかね、
と質問したという。
グラスには水が半分残っており、
客人は質問の意味を理解しかねて
首を傾げていると、
――もう半分しかない、と思うか、
まだ半分あると思うか。
時の首相は、
自分への戒めとして政局に臨む心構えを、
テーブルを囲む客人に
語り聞かせたのでした。

その後、政局は二転三転しましたが、
このエピソードは、
全てに通じるエッセンスがあります。
何事も気持の持ち方――、
同じ一つのことに面しても、
過去を憂い、暗い気持に沈むか、
あるいは前を向いて
一条の希望の光として、
新たな決意を奮い立たせるのか、
全てはその人の気持の持ち方次第だと。

勝負の世界も同じ。
日々研鑚を積みながらも、
それが報われない日もあるし、
力の限界を感じることもあるだろう。
しかしそんな時も、
ほんの少し気持を前に傾けて、
自然体で肩の力を抜けば、
まわりは明るく見えてくる。
昨日よりもちょっと元気に――
朝の来ない夜はない。
どんな時も自分の力を信じ、
前向きに頑張ることが大切でしょう。

話題を変えます。
イチローのこと。
アメリカで最も有名な日本人のひとりと言われ、
大リーグで不世出の記録をたて、
プロ野球殿堂入りが話題にもなっている。
しかし2010年以来、
3割の打率は達成できず
もはや限界かと噂されましたが
44歳でもまだやれる。
彼のプレーが見たいと思っていましたが、
古巣のマリナーズに移籍して
最後のひと花を咲かせるか
と思わせましたが、
残念ながら現役を引退しました。

イチローは天才といわれ、
数々の記録を残しました。
2004年には84年ぶりに
最多安打を更新し、
2016年にMLB安打3000本を記録。
それでも彼は発展途上と言い、
努力せずに何かできるようになる人のことを
天才というのなら、
僕はそうじゃない。
努力した結果、
何かができるようになる人のことを
天才というのなら、
僕はそうだと思う、
と語る。
彼は決して天才ではない。
努力することを才能とする人。
しなやかな感性と
挑戦する志を失うことなく
絶えず進化し続けた人。
だからこそ彼は数々の偉業を成し遂げ、
世界にアピールする選手になることができた。
そんな彼について書いた一節があります。
ちょうどイチロー選手が、
大リーグでの年間最多安打を
樹立したときのこと。
あの姿を見て、
そしてそこに至る彼の姿を知って
様々な想いに駆られたものでした。

2018.7.27

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昨夜見たNHKの
イチローという番組は圧巻だった。
イチローは無論、
大リ―グで首位打者と盗塁の
2大タイトルを手にしたイチロー選手である。
その記録、打率3割5分、盗塁56、
そして塁打数236、
これは並大抵の数字ではない。
それを達成することの凄さは、
単に、日々精進の賜物ですよとか、
やはり才能なんでしょうとか、
そんな簡単に割り切れるものではない。
数日前の新聞では、
タイトルを獲得したイチローの選手評が
紹介されていたが、
今回のタイトル獲得は、
オリックス時代に
その端緒がひらかれたと言う。
’99年の西武戦で、
ある慧眼を開いた彼は、
――自分のイメージと現実の違いが
はっきりと見えた。
誤差は修正できる。
もう迷うことはない、と。
その天啓とも言うべきひらめきは、
言葉には尽くし難い、
天性的な慧眼なのだろう。
投手の情報をインプットし、
野手の守備範囲を瞬時に判断し、
ボールを打つ自分をイメージする。
球筋、そしてバットスイングの
タイミングと軌跡。
それら全てが、
殆ど寸分の狂いもなくイメージできるらしい。
今年、11打席無安打という
不調の時期があった。
新聞は、天才もスランプか、
とか騒々しく書き立てる。
彼はこれを鬱陶しいと言い放ち、
ひたすらに打席に立つ自分をイメージし、
現実との間に誤差がないことを確信していた。
また一方、大リーグ界切っての大投手を前に
9打数1安打という記録もあった。
しかしこれにも、
――残り8打席のうち、
2打席は確実にしてやられた、と思う。
しかし、あとの6本は何とかなる、
自分のミスだ。
彼は凡打の打席も決して疎かにはしない。
常に誤差を頭の中で修復し、
失敗を糧に上質の技を磨き上げる。
天才は頗る貪欲で、
向上することに決して満足はない。
だからこそ記録は、
彼ある限り日々進化し続け、
決して停滞することはない。
彼の存在の大きさ、
そして記録の重さ、
それは記録そのものが
単に日々精進の結果ではなく、
彼の野球人生の過程で、
ひとつひとつ吟味され、
ステップを踏みながら磨き続けた
技術の集積である。
彼はぽっと出の平凡な天才ではない、
技を磨くことに、
年月の齢を昇華し続けた
希有の才能をもつ達人である。
だからこそ彼の記録には、
数字以上の凄さがある、
と思う