休日の優雅なひとときの過ごし方――
それには一杯のおいしい珈琲と、
心を癒す場所があればいい。
学生時代、珈琲は豆を挽いて
ドリップ式で飲むのがいちばんいい、
とものの本にあって、
それからは手動式のミルを買い、
豆を挽き、
漉し布で熱い湯を挿して飲んでいました。
これをネルドリップ式と言い、
味も薫りもベスト。
珈琲専門店はそんなこだわりの店も多い。
そうした風流は今も続いて、
週末の朝はミルで豆を挽いて、
お気に入りの珈琲メーカーで珈琲を淹れる。
学生時代に買ったミルは、
ゴリゴリと豆を挽く音がして、
それが耳に心地よい。
美味しい珈琲は、
美味しい音がして、
カップに熱い珈琲を注げば、
上質の時間が流れてゆく。
喫茶店で珈琲を飲む――。
そんな時間が好きで、
学生時代はそれを趣味にしていましたが、
それは今も続いています。
しかし珈琲専門店で飲む珈琲だけが、
珈琲じゃない。
柔らかい陽射しのさす心地よい日には、
ウッドデッキに椅子を並べて、
風に吹かれながら、
ゆったりと飲むのもいい。
幸いなことにというか、
それが気に入って建てた家ですが、
我が家には広めのウッドデッキがあり、
天気の良い昼下がりには、
デッキで珈琲を飲むことができる。
風流を好む、
風雅な時間を愉しむーー。
たとえ財布の中味は空っぽでも、
見栄だけは張って生きていきたい。
そんなことを考えていたら、
小学生の頃に訪れた
軽井沢の保養所を思い出しました。
あの頃はよく
会社の保養所を利用しました。
その中でも軽井沢が印象に残ります。
保養所そのものは立派ではないが、
軽井沢という別荘地の雰囲気が心地よい。
今は夏になれば
大勢の観光客が押し寄せて、
軽井沢銀座は人の波で溢れ返ります。
しかしその当時は、
別荘地の雰囲気を色濃く残して
落葉松の林を自転車に乗って
爽快に走り抜けたものでした。
通りに面して
見るからに裕福なそうな別荘には、
広い庭に白樺の木立があり、
その片隅には、
夜の闇を青く照らす誘蛾灯があり、
闇が広がるほどに
軽井沢は深い霧に包まれて、
夏でも涼しく、
夕闇が迫る頃には、
セーターを羽織るほどの冷気が押し寄せる。
そんな夜、
旧軽に繰り出す。
昼間の喧騒がやわらいで街の中も静か。
夏だけ開く店が軒を並べて
昼の喧騒とは対照的な
高原の冷気に包まれた
別荘地の香りが漂います。
僕らは白い陶器に絵付けをして、
自分だけのオリジナルの皿や器を作る。
軽井沢の民芸品を扱う店。
信州特産の瓶詰めの漬物を売る店や、
通りの奥まった所には、
軽井沢をこよなく愛した作家が泊まった宿がある。
軽井沢に縁の深い作家として
堀辰雄を思い浮かべます。
彼の作品の中に「美しい村」があり、
昭和10年頃の軽井沢を舞台に
自らの体験をもとにして、
別荘地軽井沢の風景が、
詩情豊かに描かれ、
かつての軽井沢を彷彿とさせる
美しい風景がありました。
とりわけ冒頭の部分が美しい。
ーー今月の初めから僕は
当地に滞在しております。
とはじまり、
初夏の軽井沢の風景と、
想いを寄せる女性への思慕を、
手紙に託して綴っていきます。
詩人・北原白秋は「落葉松」という詩で、
軽井沢の情景を一遍の詩に託しています。
落葉松の林を出でて、
落葉松の林を入りぬ。
落葉松の林に入りて、
また細く道は続けり。・・・・
その情景描写は、
美しくも哀惜の情に満ちて
軽井沢にはそんな情景がよく似合う
静かで美しい村でしたが、
それも今は昔・・。
夏になれば旧軽には賑々しい街が出現し、
ひと夏限りの街が生まれます。
軽井沢には当時も今も、
詩情豊かな世界があるのでしょうか。
2018.7.18