どれほど人の感性が豊かで、
想像力に富んでいたとしても、
目にした瞬間の感動に優るものはない。
旅の始まりは7年前。
東日本大震災があった年の6月半ばで、
ちょうど今頃の季節だった。
成田を昼前にtake-off。
フライトは12時間だったが、
窓を閉めても眠ることができず、
飛行機の中では映画鑑賞。
時差は7時間で到着は夕方。
ましてヨーロッパの昼は長く、
6月は10時になっても陽射しが眩しい。
そんなわけでパリの1日目。
到着した日はモンマルトル行きを決行。
ホテル近くのメトロ駅から6駅で約15分。
パリのメトロは初めてだったが、
しっかり予習もして思いのほか簡単、
覚えてしまえば迷うこともない!?
パリの地下鉄は、メトロとRERの2種類。
市の中心部をメトロが網羅し、
これが便利。
切符は1枚で200円ほど。
カルネを利用すれば10枚綴りで約1500円。
パリ市内はどこまで乗っても、
何度乗り換えても1枚でOK。
東京のメトロよりも遥かに安い。
改札も簡単で東京のメトロとほぼ同じ。
但し、乗降客がいなければドアは開かないから、
自分でボタンを押すかノブを回す。
その辺りが歴史の古いパリのメトロらしい。
電車は古く郊外に行けばなんとなく薄汚れて、
東京のメトロのクリーンなイメージとは違う。
メトロの路線は1号線から15号線まであって、
どの路線の、どの方向か。
行先の駅名を探して何駅目で降りればよいか。
それさえしっかり抑えれば間違うことはない!?
そんなわけで夜8時過ぎに
モンマルトル近くの駅に到着。
メトロの出口から出て見上げれば、
サクレ・クール寺院の白亜の殿堂が聳えている。
坂や階段を昇ってひたすら寺院を目指す。
やがて視界がひらけ、
寺院前の青い芝生が目に映り、
さらにその上に寺院へ向かう階段がある。
そして展望台で振り返れば、
パリの街が一望できる。
この日は土曜日。
サクレ・クール寺院前の芝生や階段には、
大勢の人が押し寄せて、
時間を追って人が増える。
芝生や階段に腰を下ろして、
寝そべり、思い思いに過す。
これがパリの人たちの、
週末の夕暮れどきの過ごし方だろうか。
おおらかで、優しく、
パリに沈む夕陽を眺めながら宵闇が迫る。

モンマルトルの丘にテルトル広場がある。
広場には何人もの絵描きがいて似顔絵を描き、
それをイーゼルに載せ、
あるいは地べたに並べて展示している。
それは時を経ても変わることのないパリの風景、
モンマルトル広場の風景といえる。
しかし、その風景も
初めて訪れた30年前とは少し違っている。
広場には今では所狭しとカフェが並び、
中央にもカフェが陣取って、
広場の大半をカフェが覆っていると言ってよい。
娘が旅行前にパリのガイドブックを作ってくれた。
その道案内には「テルトル広場でカフェを!」とあり、
それに従って店のアタリをつけていると、
カフェの入口に立っている綺麗なフランス女性に目が止まる。
その瞬間、その人が歩み寄り、
――カフェ?、と訊くので、
――ウィ!、と答え案内されるまま店に入る。
少し寛いで案内した女性に請求書とコインを渡すと、
なぜかそれを握り潰す。
さらにチップを渡すと、
――メルシー!と笑顔を返してくれた。
パリの夕暮れどきのカフェで
憩いのひとときを過ごしました。

2日目は、ジルベルヴェニーからルーアン、
そして、モンサンミッシェルへ。
ジルベルヴェニーは、
パリ市内からバスで1時間半。
印象派の大家・モネのアトリエがある所で、
そこに庭園を造り、
そこで描かれた睡蓮の連作は有名。
日本愛好家としても知られ、
彼のアトリエには多くの浮世絵が展示されていた。

さらにルーアンへと向かう。
ルーアンにはノートルダム大聖堂があり、
ゴシック様式の最高建築のひとつとされ、
12世紀に工事が始まり16世紀に完成。
尖塔は150mの高さがあり、
フランスで一番高いという。
隣接してジャンヌ・ダルクを祀る教会がある。
彼女が火刑にあった広場に面して建てられていたが、
そうした暗い影は微塵も感じさないモダンな外観で、
教会とは思えない開放感があった。

さらに1時間。
モンサン・ミッシェルへ向かいホテルに到着。
部屋は思いのほかこざっぱりとして、
食事もまずまず。
夕食後、モンサン・ミッシェルの夜景を見物し、
ライトアップされた建物を観た。
2018.6.27