小さな国際交流

長女が入学した中学は
交際交流が盛んだった。
世界中に友達をつくりたい――。
とのメッセージも看板倒れではかった。
この中学では、
春はアメリカから、
秋はオーストラリアから、
高校生の交換留学生がやってきた。
長女が中学1年の9月のこと、
オーストラリアから
交換留学生が来ることになった。
学校から通知を持ち帰るなり、
ーーねぇ駄目?と話してくる。
中学に入ったばかりで、
英語が話せるはずもなく、
こちらも英語には縁遠い。
とても外国のお客さんをもてなすのは無理。

しかし事は一方的に進んだ。
不安な気持ちでお客さんを招くことになった。
それは相手も同じ。
ホームステイは2週間の短期間とはいえ、
期待もある反面、
不安も多いはず。
異国の地で言葉も不自由、
生活習慣も違い、
家族以外の他人の家で過ごす。
そんなことを痛感したのは来日初日だった。
彼女は高校2年生。
我が家に訪れて簡単な自己紹介をして、
居間でスーツケースを広げ、
家族の一人ひとりにお土産を手渡していた。
カンガルーの革のベルトや
テーブルクロス、
お洒落な箱や長男のラグビーボール。
それこそたくさんのお産を抱えてやって来て
部屋に案内すると突然泣きはじめた。
訳がわからずにいると、
彼女は日本語の辞書を引きながら
圧倒されたと言う。
それが何を意味するのかわからなかったが、
不安いっぱいの中で、
それなりの対応を受けて
緊張が一瞬にほどけたのだろう。

その後彼女は、
何事によらず一生懸命だった。
何か伝えたい事があると、
辞書を片手に片言の日本語で話しはじめ、
日に日に打ち解けて、
子供たちとウノやトランプに興じて
眠い目をこすりながら過ごした。
2週間の滞在の間に、
ホームステイに訪れたほかの生徒と
ディズニーランドに行ったし、
我が家では休日を利用して、
裏磐梯の国民休暇村に連れていった。
純和風の旅館に温泉風呂。
裏磐梯や五色沼などの観光地。
そんなところに案内するのもいいかな、
とプチ旅行を愉しんだ。
彼女はときおり、
メルボルンにいる家族と電話していたが、
とても愉しげに話をしていた。
その日のできごとを話していたのだろう。

日本とオーストラリア。
生活環境や習慣の違いもある。
オーストラリアは湯船に浸かることはない。
大抵は朝のシャワーで済ます。
休み時間にお菓子を食べて、
寝る時間も早い。
日曜の朝は必ず礼拝に行って、
食事の前のお祈りも欠かさない。
朝食はシリアル中心のメニュー。
そうした習慣の違いは、
ときにとまどい、
ときに刺激的。
彼女は僕らに溶け込もうとして、
できるだけ一緒の時間を過ごそうとしていた。

2週間の滞在を終えて
別れの日の前の夜。
なかなか寝ようとしない。
名残惜しそうにいつまでも一緒にいた。
あしたの準備は大丈夫?というと、
2階にあがってバッグを整理し、
早々と居間に戻ってきた。
僕らの2週間の思い出を、
ビデオにおさめて持ち帰らせることにした。
オーストラリアは、
ビデオのシステムが日本とは違った。
オーストラリアはPAL方式で、
市の視聴覚室で変換して手渡した。
学校から空港への送迎バスに乗り込むときも、
彼女は目にいっぱい涙をためて、
バスの中から大声で僕らの名前を呼んでいた。
別れを告げるとき、
――I miss you!、
と言って涙を流していたことが印象的だった。

最初の心配や不安をよそに、
オーストラリアの
心地よい風が吹きぬけた日々だった。
ほんの2週間ではあったけれど、
彼女にとってもよい思い出になったと思う。
遠い異国の地で、
その国のありのままの生活をする。
それはそれで
訪れた国の文化を知るには、
良い経験になったはず。
玄関で靴を脱ぎ、
食事に箸を使い、
畳の上で寝るーー
納豆や、わさび。
そして鮭に海苔などの朝の定番メニュー。
日本人にはごく当たり前のことも、
異文化体験として強い印象として残る。
そうした体験のひとつとして、
彼女に浴衣を着せ、
花火をしたことがあった。
初秋の季節はずれの夏の風物詩――、
彼女にとって殊のほか気に入ったようだった。
そんな縁もあって、
中学2年生のとき長女がオーストラリアで
ホームステイをすることになった。
そのとき最初に予定した
ホームステイ先が変更になって、
メルボルンの彼女の家に招かれることになった。

そんな風にして
小さな国際交流は
彼らにいつまでも消えることのない
新鮮な記憶を刻むことになった。
2018.5.30
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