世界中に友達をつくりたい――
入学式を迎える季節になると
思い出すシーンがある。
それが娘の講堂の壇上での
このメッセージでした。
入学したのは車で10分ほどの私立中学校。
今は男女共学ですが、
当時は女子2クラスだけの小さな学校。
英語教育に定評があり、
その中に教え方が上手な先生がいて、
その先生に出会ったことが、
その後の彼女の人生を変えたかも知れない。
制服が清楚で可愛らしく、
学校の評判もいい。
――どうだ、受けて見るか?
と訊いたものの興味を示さない。
その話はそのまま頓挫しました。
ところが10月ころ、
急に「受けてみたい」と言い出す。
週末に学校に出向き、
学園祭を見ながら受験要綱を受け取る。
早速、受験の準備。
まずは学習塾を探す。
何箇所か電話して、
――来春、受験したいんですが、
と話すと、
――えっ!今からですか、
合格の保証はできません。
との返事。
合格レベルがどれほどのものか知らないが、
過去問を解いてみる。
合格できそうもない。
1月の受験まで3ヶ月ほどだったが、
僕自身が面倒を見ることにした。
その日から4年から6年生までの、
算数、国語、理科、社会の問題集を
3冊ずつ解くことにした。
比較的やさしい問題集に始まり、
間違った問題は反復して繰り返す。
3ヶ月で30冊の問題集を解いた。
問題が解けなくて泣きながら
食堂のテーブルに突っ伏して寝てしまうこともあった。
そんなこんなの3ヶ月。
その甲斐あって試験後の自己採点で算数は上々、
ほかの教科もまずまずで、
合格を確信した。
合格発表の日。
学校を訪れると教頭先生から、
新入生を代表して挨拶してほしいと言う。
試験の成績がトップだという。
まさかね、本当かな・・。
受験塾から見放された長女は、
3ヶ月でトップ合格。
やればできるじゃないか!ともいえるが、
無我夢中で、
合格ラインを知らずに
勉強したのがよかったのだと思う。
その後、高校受験では併設の高校から
学資免除の特待生としての誘いもあったが、
娘の同級生の父兄から、
**はとてもいい学校との話。
紆余曲折を経て
長女は高校から、
長男は中学を受験することになった。
その当時、
小学6年生だった長男のこと。
学校の担任の先生は、
長男を高く評価してくれ、
――公立ではもったいない。
私立に行かせたらどうですか。
と言う。
公立の先生がそんなこと言っていいの、
とは思いましたが、
まさかその学校を受験するとは
思っていなかったらしい。
本人は最初のうちは散々迷い、
行かないと言っていたが、
11月半ばを過ぎて突然、
――受験してみる、と言い出した。
試験日は1月の初め。
試験まで正味1ヶ月半。
とても無理ッ!というのが本音でした。
ともあれやるだけやってみるか、
とは思ったものの、
その頃は仕事が忙しく、
勉強を見てやる余裕もない。
算数と国語はなんとかなるのでは、
と理科と社会の分厚い問題集を買って、
やっておいてと手渡した。
そうこうして受験の日。
受験後に掲示された試験問題は手強くて、
大人でも解けない頓智を凝らした出題もあり
合格は無理だなと諦めた。
合格発表の日は大雪。
車で行くことができず、
家内が学校まで電車で出向いた。
長男にとって
最初はどうでもいいはずの受験でも
受験してみれば変わる。
その日は気が気じゃなかったらしい。
――結果は学校の靴箱に入れておくからね、
と伝えたものの、
それが届かず、
――駄目だったんだぁ、
と諦めたという。
しかし担任の先生を通じて合格の連絡が入って、
それが伝えられると大喜びだった。
入学式の日。
生徒はお互いに大抵顔見知り。
この学校に入るための
受験のための専門の学習塾があって、
殆どその塾の出身生。
4年生から入塾する人もいる。
入学式の父兄の間では、
――私の子は夏、四谷大塚に通わせたのよ、
との話しが交わされていたという。
しかし見慣れない生徒を見て、
ある父兄が
――お宅のお子さんはどこの塾ですか、
と問われて、
――どこにも・・、
と応えると唖然としたという。
受験勉強は1ヶ月半だと言えば、
さらに驚いたかもしれない。
ともあれ、
我が家の受験は
奇しくも多くの運に恵まれました。
2018.5.28