以前「ウルルン滞在記」という番組があって、
こんな場面がありました。
長い内戦で戦火の傷跡深いカンボジア。
今なお多くの地雷が地面を這い、
それを撤去するためには
100年はかかるだろうといわれ、
未だに地雷を踏んで、
手足を失い、
命を落とす人も少なくない。
しかしそれは誰かが撤去しなくてはならない。
リポーターが訪れたのは、
そんなカンボジアの、
両親と娘二人のいる家族でした。
父親は地雷を撤去する仕事をして、
娘は父親がその仕事に出るとき、
父親の身を案じて言葉を失う。
しかし最後に父親が、
私はこの仕事をやめようと思う、
と言ったとき、
もう心配しなくていいんだね、
と言いながら
溢れる涙を止めることが出来ませんでした。
それを見ながら、
これが家族への思いやりだろうと感じました。
彼らはどこにでもある家族のひとつかもしれない。
しかしそれぞれの家族には、
それぞれの風景があり、
ありふれてはいるけれども、
大切にしているものがある。
そんなありふれたものでも、
それを壊す権利は誰にもありはしない。
東北大震災――。
7年の歳月を経てもなお、
心に傷をおう人たちがいる。
震災で家族や友人を失った人にとってはなおのこと、
癒えることのない悲しみを背負い続ける。
震災のその日、
彼らは家族の身を案じ、
とにかく無事でいてほしいと願い、
必死で家族の姿を追い求めていた。
けれど時を経てそれも諦めと悲しみに変わる。
テレビのドキュメンタリー番組では、
そうした家族の姿を追いながら
取材を続けていた。
そうした中でNHKでは、
震災の特集が組まれ、
少女が、津波に呑み込まれたふるさとを見ながら
――おかぁさん!おかぁさん!、
と泣き叫ぶ映像が流れて、
その姿に胸が詰まる思いがしました。
この辺りでも被害はありましたが、
家族はみんな無事で、
いずれは以前の生活を取り戻すことができる。
けれど被災地の人たちは、
がれきと泥に埋もれたふるさとを見ながら、
それでも生きていくしかない。
失われた命は戻らない。
しかし、気をとり直し悲しみを乗り越えて、
頑張っていく気概は残されている。
そんな衝撃と悲しみの日本でしたが、
少しずつ復旧や復興が進んで、
元気を取り戻しつつある。
それが日本という国の美しさと強さでしょう。
かつて日本は10万人の命が失われた
関東大震災から立ち直り、
第二次大戦の焦土の中を
乗り越えてきた逞しさがありますから。
2018.5.6