何か事を成し遂げた人の言葉には心に響くものがある。
人生の年輪を重ねて、その中から紡ぎ出したものが、人の心をとらえ、聞く人、見る人に感銘を与える。
大分前、ソニー創業者の盛田昭夫氏や経団連会長などを歴任した土光敏夫氏の著作を読んだ。その内容は殆ど忘れてしまいましたが、盛田氏の「Made in Japan」には説得力のある言葉が散りばめられ、日本を代表する経済界のトップは言うことが違うなと感じたものでした。
3年ほど前だったか、4月初めの日経産業新聞に経済界のトップによる新人に贈るメッセージが掲載され、東芝を退任した西田元会長の言葉が載っていました。

その中で西田氏は、「未来は予測するものでなく、自ら作り上げるもの。希望は与えられるものでなく、自ら作るもの」と語り、その言葉が目を引きました。そこにはステロタイプのありきたりな切り口上ではなく、何かしら心に訴えるもの、心の中にさわやかな風が吹くような、そんなものがありました。言葉の持つ魔力--。そうした人たちが発信する言葉には、単にその言葉の意味することのみならず、語る人の人となりが、それに力を与えているのではないかと感じます。それは言うなれば、人の氷山の一角。その人の下には、海の中に潜む大きな氷の塊があり、人の表に出るものはそのひとかけらに過ぎない。だからこそ、海の中の大きな氷を磨き上げるために、日々努力することが必要なのだろうと改めて感じました。
しかしそれは耳を傾ける人がいて、読み手があってこそ。聞く人、読む人がどんなことを求め、それに応えるようなメッセージを発信することができるか。そこに言葉の持つ魔力があります。単に紋切り型の当たり前の言葉ではなく、語り部のなにかを感じ、手作りの感触が伝わり、触れれば温もりを感じさせるような温かみのあるもの。熱いメッセージ。心にひびくもの。そうしたものが、聞く人、読む人の心をとらえ、受け手となる人の心が共振する瞬間となります。それはときとして受け手の価値観を変える原動力になります。
生涯学習という言葉がある。欧米では70歳を越えても、大学に学び一向に知識欲の劣えない人たちがいる。それは素晴らしいこと。学ぶことはなにも義務教育で終わるわけではない。日々学ぶことはあり、大切なのは、そうしたことをほんの少しでも刈り取り、それを積み上げていくこと。それができれば、やがては大きな収穫が得られ、見事な果実を実らせることもできる。それは希望であり、西田元会長の語る「与えられるもの」ではなく、「自ら作り上げるもの」ということでしょう。
人生は短いと言います。しかし、自らの夢を叶えるために短すぎることはありません。まして20代や30代の人であればなおのこと、それからスタートラインに立ったとしても、夢は実現できる。希望は熱意、実現は実行力。夢を叶えるための熱い想いが行動を駆り立て、それを実現するように思うのです。私自身は、そうしたスタートラインに立つには遅すぎますが、それでも忘れてはいけない。決して自らに線引きしてはいけない。これしかできない、これ以上は無理、と自分の限界を、自ら引いてはいけない。可能性は無限大。自分の可能性を信じて、まずは挑戦することが大事でしょう。そして「虎穴に入らずんば、虎子を得ず」の諺どおり、まずは挑戦すること。積極果敢に、可能性を信じて飛び込むことで実現できる。もしその先に限界が見えると感じたら、それは現状に甘んじる自らの姿を投影しているということ。ワンランク上を目指して、自らをワンランク引き上げる努力をすること。自分になにが足りなくて、それを得るためになにが必要か。それを問い続けて、そのために少しずつステップアップすること。それは全てに通じることでしょう。人生は成し遂げようとすることを実現するために短すぎることはありません。

朝日新聞に以前、「仕事力」というコラムの中で数年前に亡くなった中村勘三郎さんが、面白いことを話していました。それは「形を持つ人が形を破るのが、型破り。形がないのに形を破れば、形無し」。なるほどねと納得の言葉でしたが、一芸に通じた人が語る奥の深い言葉でした。
彼は若い頃、歌舞伎をベースに演じられた前衛的な演劇を観て衝撃を受け、これを是非、歌舞伎に取り込みたいと、早速、父親である先代の中村勘三郎に話したとき、お前には100年早い!と一蹴されたそうです。思い返せばその気持ちがわかると話していましたが、要は、基礎もできていないのに、新しいことに挑もうとするのは、そりゃお門違いだよ、というわけです。仕事も同じ。アイデアをもって、さまざまなことに挑もうとする姿勢は大事ですが、そのためにしっかりと基礎を固め、その上で挑戦せよと。そんなことを思うのです。
2018.4.16
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