桜の樹の下で

順風満帆に思える道も、
平坦な道ばかりではない。
それを身に染みて感じたのは学生時代だった。
父と母の死――――。
それは悲しいというより、
やりきれない淋しさと言った方がよい。
決して親孝行とはいえない自分の前から、
突然、親父やお袋の姿が消える。
まだまだこれからだよと思っていた二人が、
忽然と姿を消す。
そのときの虚しさや淋しさ、
そして後悔、
そんなものが次から次へと押し寄せた。

大学3年のときだった。
その日は正月があけた1月10日。
授業がはじまり
アパートへ帰るとお袋から電話があって、
――お父さんが倒れたの・・
と言う。
取るものもとりあえず家に向かった。
お袋は暗い部屋の中で、
親父に仕切りに話し掛けていた。
絞り出すような声で、
その声が静けさを切り裂くように響いた。
翌朝、救急車が音もなく滑り込んで、
大通りに出ると
イレンを鳴らして走りだし、
その途端、涙が堰を切ってあふれた。
その後も様態は好転しなかったが、
学年末試験を控えて東京に戻ることにした。

1ヶ月後の2月6日。
その日は学年末試験のさなか。
大学から帰るとドアの下に、
――家に電話してください、
とメモがある。
電話をすると知り合いの人が出て、
――奥さんの具合が急に悪くなって……、
と言う。
看病の疲れや
気苦労が重なったためだろう、
以前の病気が再発したものらしい。
矢も盾もたまらず、
その夜の電車に飛び乗った。
電車の中では暗い窓の外に目を移して
顔を伏せていた。
色々な想いがよぎり、
やりきれない気持ちで涙があふれた。

お袋は不運な巡り合わせというべきか、
親父の隣の病室に入院していた。
親父にはお袋が入院したことを
伝えてはいませんでしたが、
毎日顔を見せていたお袋の姿が
急に見えなくなって
――お母さんはどうした・・、
と言葉少なに呟いた。
最初は言葉を濁していたが、
やがて返す言葉も失った。

親父の様態が急変した。
その日は友人と小旅行を予定していたが、
虫の知らせというのか、
それを断って実家に帰った。
しかし家に帰ると父はすでに亡き人で、
お袋は隣の病室に
慌ただしく人が出入りしていたのを
感じたらしく
僕の顔を見るなり声もなく泣きだした。
やりきれなかった。
生涯を共にした父が
亡くなったことも知らされず、
隣の病室にいるはずの父の安否を、
ひたすら気遣っている。

葬儀が終わった4月、
病室の窓から春爛漫の桜の花が見えた。
――桜の花が綺麗だよ、
と言いながら、
窓の外の桜の花を見せようとして
ベッドを起こした。
少し肯きながら
顔がほころばせたように見えた。
お袋は右半身が不自由で、
身体が思うようにならない。
伝えたいことも言葉にできない。
あしたから大学・・
――授業が始まるから東京に帰るからね。
と言いながら
ポケットから車の鍵を取り出すと、
お袋はその鍵を強く握る。
――駄目だよ、行かなくちゃ、
と言いながら無理に奪い返そうとすると、
さらにそれを強く握りしめる。
仕方なく手を緩めると、
お袋はその鍵を壁に投げつけて泣き出した。
そのときのことが脳裏に焼きついて、
今でも忘れられない。
人生の中でいちばん悲しい記憶と
いえるかもしれない。

6月20日――――、
そのお袋も看護が報われることなく、
53歳の生涯を閉じた。
お袋には遂に
親父が亡くなったことを
知らせることはありませんでした。

そして3月28日――――。
親父の命日。
何回目になるんだろう。
数えるのも面倒なほど歳月を経ている。

2018.3.28