山陰ひとり旅――。
大学4年になる春休みのこと、
ある意味で自分探しの旅だった。
親父とお袋は病床に伏していた。
5月には就活が始まる。
いたたまれない気持ちで親父を見舞い、
お袋の顔を見ながら、
自分がどこへ向かい、
どうなっていくのか分からずにいた。
自分の将来は
自分のことではあるけれども、
自分ひとりで全てを決めるわけにはいかない。
就職しても地元には戻らない、
と決めていたが、
そんなことばかり言ってはいられない、
と考えはじめた。
そのときにこんなものを書きとめた。
**
旅行ガイドブックをめくりながら
ふと思った。
――旅に出よう。
僕はこの思いを
何度口にしたことか。
悲しさや淋しさの中にあるとき、
遠い荒涼とした原野を…、
電車の車窓から流れる景色を…、
そして誰も見知らぬ街を…、
ひとり歩いている自分の姿を思い浮かべた。
人は誰しも一人旅に出るとき、
そこになんらかの淋しさがあり、
ある哀惜の情にも似た
物悲しいひとりの人間の顔がある。
僕にはそう思える。
僕はいったいなぜ
旅に出たい――
と思うのだろう。
遠い遠い枯野を、
断末魔の中に追い求めた
芭蕉のようにか、
それとも心の痛手を忘れるためなのか…。
そうではなく、
未来に淋しさが渦巻いている。
迷いがあり、決意があり、
それ故の淋しさがある。
ひとりの人間は
いつもこうした
悲しみを背負っている。
そしていつしか別の自分が
旅の誘いの中で頭をもたげる。
僕は過去と未来の接点で
もっと確かな手触りを、
もっと確実ないのちを欲している。
人が人である故の悲しみと
人が人である故の生への渇望の中に
迷いの淋しさがある。
だから旅に出る。
僕の中に
いのちを吹き込むために
そして新たな道を歩き始めるために…。
時計が12時の鐘を打つ。
時折り道路を疾走する車の音以外
なにも聞えない。
僕はガイドブックをたたむ。
僕は旅に出よう、
そして生きよう。


**
旅に出ることにした。
ちょうど3月の今頃の季節だった。
なにかを捨て、なにかを背負うために。
そのときは山口から秋芳洞、そして津和野から萩に出向いた。3月も末とはいえ寒い日もあった。秋芳洞に着いた日は小雪がちらつく日で、秋芳洞から萩に向かうバスに乗った。雪が降って窓の外の景色も見えない。隣にはやはりひとり旅をしている学生がいた。京都大学の学生で、3月だというのに就職は決まっていると言う。暫くして彼は下車。さらにバスは走り萩に着いた。駅前で自転車を借りて市内を廻った。雪がしんしんと降り、冷え冷えとした空気が肌を刺した。冬ざれた風景は自分の心象風景にぴったり符合し、自分の想いを重ねるように淋しい雪を降らせていた。
東京に帰るとほどなくして父は亡くなった。病床に伏しているお袋を残してどこかに行ってしまうなんてできない。そう思って、5月初めに地元に帰ることができる会社に就職を決めたが、お袋も帰らぬ人になった。
人には語るにも辛い経験があり、悲しい想いもする。かつて高橋和巳という作家がいて、彼が書いたエッセイの中に、
人の核を作るものは、辛い経験や悲しい想い。
闘病であり、失恋であり、戦争経験の場合もあるだろう。
人には語るに重過ぎる、
奥歯にかみ締めて果てるべき経験が人間の核になる。
という言葉がある。人の経験はいいことばかりじゃない。けれど、人には知りえない負の側面が、人の核として活きる。海援隊の「贈る言葉」という歌の中に、人は悲しみが深いほど、人には優しくなれる、というフレーズがあるが、自分が辛い想いを経験すれば人の心の痛みがわかる。だから優しくなれる。人の気持ちを理解するとは、自分の思いを重ねるという側面があり、辛い経験も、悲しい思いも、大事な経験のひとつになるということだろう。奥歯にかみしめてはてるべきことも、それがやがて人を創り、人の核になる。
2018.3.23