駅舎に併設された珈琲店で、
太平洋に突き出すようにある。
店に入ったその日は天気も良く、
海に面したカウンターに座って、
本を読みながら
小一時間ほど過ごした。
目の前に海の上を走るバイパスがあり、
その向こうには海が広がっている。
本を読む合間に視線を落として、
通り過ぎる車や海を見ていていた。
朝の光が斜めに射しこんで、
揺れる波間に反射し、
光の帯が輝いてとても綺麗でした。
2011年3月11日――
あれから7年。
今年もその日が訪れた。
深い哀悼と反省のもとに、
この日の経験を風化させてはならない、
との言葉が流れていましたが、
時がたてばやがては過去になる。
少しずつ記憶が薄れていくのは、
仕方のないこと。
それでも震災の衝撃は、
振り返れば今でも胸を衝かれます。
この辺りは震度6強。
凄まじい揺れでした。
事務所のロッカーが激しく揺れ、
棚から書類が雪崩落ちる。
避難訓練は会社の定例行事で、
避難するのは慣れっこでも、
それを実行することはない。
ましてあの激しい揺れを体験して、
地震の凄まじさ驚いた。
建物が激しく揺れて軋み、
ロッカーは音をたてて倒れ、
本や書類が四散して飛び散ってゆく。
震災のあった後、
テレビで津波情報を見ていました。
隣県の海岸に設置された監視カメラが、
海沿いの道路の映像を追っていた。
どす黒いうねりが少しずつせりあがり、
波が道路の際まで押し寄せ、
通り過ぎようとする車に襲い掛かる。
車はあわててブレーキを踏み、
ハンドルを切り返してUターンしていった。
関東大震災ほどではないが、
東日本大震災による死者・行方不明は
2万人弱、
建物の全半壊40万戸。
それとともに福島原発事故による
避難者も大勢いて、
その影響は今も続いている。
あの当時、繰り返し流れていた
津波被害の映像。
それを見ると心が痛む。
津波が押し寄せて家が流され、
どす黒いうねりに町が吞み込まれていく。
毎年3月11日には
駅舎の硝子窓越しに
海に向かって祈りを捧げる人がいる。
家族が亡くした人だろうか。
悲しみを背負う人の後ろ姿が、
なんともやりきれない思いにさせられる。
震災の日の夕方、
帰路を辿る。
家まで車で10km。
車を走らせて家路を急ぐ。
しかし通りに出ても車が動かない。
仕方なく大通りに
ハンドルを切り返した。
幹線道路なら走るだろうと思ったが、
交差点の信号は何度も変わるが、
渋滞する車の列は微動だにしない。
そんなことが延々と続いて、
車で帰るのを諦め、
近くの駐車場に停めて
家まで歩くことにした。
それまで2kmほどの距離を2時間余。
そこから家まで8km。
道路には車が数珠繋ぎに並んでいるが、
あたりは真っ暗。
夜の闇が迫る頃には停電になり、
全く動かない車の列にあきらめて、
運転手も照明を落とし、
ひたすら待ち続けている。
街灯も消え信号も消え、
家の光も消えて周りは真っ暗。
空を見上げれば、
満天の空に星が瞬いでいる。
車の列を横目にひたすら歩く。
歩道と車道との段差も見えず、
あろうことか、
敷石に蹟いて
けがをしたてしまった。
長男の嫁さんは実家で出産し、
その日この家で震災に遭った。
激しく揺れる家。
棚から食器が崩れ落ちて、
書斎の本棚は音をたてて崩れ、
足の踏み場もないほど散乱した。
家の壁や天井、
風呂場のタイルにも亀裂が入った。
震災直後は携帯も通じていたが、
やがてそれも通じなくなった。
安否確認もままならず、
電気も止まり、
水道も止まり、
とりあえずソーラーの水を風呂に貯めたが、
ライフラインは止まった。
家に辿り着いたのは夜9時過ぎだった。
灯りもなく暖房もなく、
非常用の懐中電灯を頼りに
暗い夜を過ごした。
長男はその夜、
嫁さんや生まれたばかりの子供が
心配になったのだろう。
バイクを走らせて家に向かった。
携帯は通じないし連絡もできない。
だからこそ心配で、
夜通し一般道路を走らせて来たという。
まだ暗いうちに
玄関のドアを叩く音がした。
東京近辺は道路が混乱していたという。
渋滞する車の列をすり抜けて
走ってきたという。
寒い中を走って体は冷え切り、
寒さで身体を震わせた。
その後はライフラインとの格闘の日々。
電気は二日ほどで通じた。
3月とはいえ朝はまだ冷える。
寒さに耐えた。
それより困ったのは、
ガソリンと水一一
その頃、この辺りは、
どこも似たようなものだった。
飲料用の水は少しでも足りるが、
トイレの水には困った。
近所に給水車が来れば並んで待つ。
しかし考えてみれば,
水は水であればよいわけで、
飲むための飲料水である必要はない。
川の水でもいい・・。
そのことに
4、5日ほど過ぎて気が付いて、
ペットボトルを抱えて
水を汲みに車を走らせた。
ガソリン確保はさらに苦労した。
今ではライフラインの要。
どこに行くにも車は必要で
ガソリンは不可欠。
ガソリンスタンドの前には、
長い行列ができていた。
1時間待ち2時間待ちは当たり前。
あるとき,
予備タンクのガソリンが切れそうになり、
早朝からガソリン待ちの列に並んだ。
待つのは慣れっこだった。
仕方がないと辛抱強く待ったが、
その日は車の列が動かない。
車の列は端切れのように、
1台また1台と抜けて、
スタンドまでもう少しというときに
車の窓を叩く人がいた。
あけると「スタンドは休みですよ」という、
えーっ、というと、
店のガソリンが切れたという。
それなら早く言ってくれよ、
とは思ったが、
勝手に並んだのが悪いのか、
とんだくたびれもうけだった。
震災では本当に色々なことがありました。
2018.3.12