子育ての時代

小さな子供を見ていると
子供の成長が手に取るようにわかる。
たとえ1週間であっても
少しではあるけれど確実に変わっている。
その姿を目を細めながら見ている。
長女の娘、2歳6ヶ月。
3ヶ月ほど前、
こんなことがあった。
テーブルにジャムが並んでいる。
小さな子が、
コレ、なぁに? と訊くので
ジャム!と答えると
ブ―、と言い
じゃあブルーベリージャム?⤴と言うと
ピンポーン!
さらに隣の瓶を指して、
コレは?と訊くので
ラベルを見て、
あん のジャム?? と答えると
暫く考えて、ピンポーン!!
本当に驚きました。
いつの間にかこんなことも言えるように
なっていました。

今は可愛いばかりの子供。
この子もやがては、
親を手こずらせる時期がくるかもしれない。
子供たちが子育てする姿を見ながら思う。
甘えさせる、と甘やかすは違う。
その線引きは親がすべきことだけれども、
必ずしもうまくいっていないな、
と思うことがある。
叱るべきところはしっかり叱る。
それを中途半端にしていると、
子供は同じ過ちを繰り返すことになる。
子供を叱る。
このときにどんな風になにを教えるのか、
それが大事。
教え、諭し、その上で納得させる。
最初から全てうまくいくわけじゃないが、
噛んで含めてしっかり納得させる。
とある家では叱るときの最後の切り札は、
――言うこときかなきや、お外に出すよ・・
今はこれ以上に
威力を発揮する言葉はないらしく、

どこか中途だなと思う。
かくして子供は外に放り出される。
大声で泣く、
周りに聞こえるように大声で泣く。
放り出された子は、
これで反省するだろうと
泣くままに寒空の暗闇に放り出しておく。
暫くすると泣き声が小さくなり、
やがて聞こえなくなって心配になる。
ドアの隙間の向こうでは、
膝を抱えてうずくまりながら眠っていた。

そんな話を聞いて
長男と長女の小さい頃を思い出した。
奥の手はやっぱり玄関前に立たせること。
長女の場合は、泣く、
玄関の前を人が横切るたびに
声を張り上げて泣く。
通る人に聞こえるように泣く。
そして待つ。
ひたすら待つ。
親がもういいよというまで。
その辺りは長男は違ってた。
上の子が叱られる姿を
見ているからかもしれない。

外に放りだされれば泣く。
とにかく大声で泣く。
暫くすると静かになったので、
玄関の覗き窓から見ると姿が見えない。
ドアをあけて名前を呼ぶ。
いない、心配になる。
けれど当の本人は隣の家に上がりこんで、
ちゃっかり遊んでいた、
ということがたびたびあった。
親と子の知恵比べ。
子供は子供なりに考えて急場をしのぐ。
思い返せば、
親はその場その場で格闘している。
子育てと言う格闘を。
どうしたら学び、学ばせ、
教え諭すことができるのか、と。
こうしたことも今では笑い話だが、
親はいつだって大真面目で
子供と向き合っている。
それが子育てで、
けれど、愉しい時代だった。

2018.3.5