昔日の面影

子供たちが小さい頃、
どんな子に育っていくのか考えました。
しかし、振り返ってみても、
その当時、想像していたことと
大きな違いはないように思います。

子は親の背中を見て育つ。
我が身を振り返って鏡に映してみれば
誇れるほどの親ではないし、
それほどの人物でもありませんが、
人並みの親であったのではないか
と思います。
長男が幼い頃、
こんなことがありました。
当時、長男は母親とともに
姉を幼稚園まで送り迎えしていた。

幼稚園は近くにある市立の幼稚園で
畑の中の小道をとぼとぼ歩いて1kmほど。
ある日、長男は私と留守番をしていた。
小一時間ほどして
母親が外出から帰って来ると
居間の掃き出しの戸が開いていて
カーテンが風に揺れている。

私はすっかり寝てしまい、
--**はどこに行ったの?、
との声で目を覚ます。
家の中を探してもいないし、
母親は慌てて近所を探しまわるが
見つからない。
心配になって警察に届けようかと思った。
暫くして知り合いの人から電話がきた。
—―お宅のお子さんが
  幼稚園にいますよ、と。
母親が急いで駆けつけると、
長男は幼稚園の前でしょんぼり立っている。
見ると幼稚園の黄色い帽子をかぶり、
姉の幼稚園バックをぶら下げて、
その中にはミニカーが一杯詰まっている。
多分、長男にとって幼稚園は夢の国、
憧れの国だったのだろう。
夢の国で大好きなミニカーで遊びたい。
お母さんとお姉ちゃんは
幼稚園に行っているに違いない。
幼稚園に続く道を
ワクワクして歩いたと思う。
そのとき長男は2歳。

長男はその後、
車で10分ほどの
私立幼稚園に通うことになった。

そこでは卒園時に父兄が卒業文集を書く。
そして、あすが原稿の締め切りという日に
夜中に起こされた。
最初は家内が書くつもりだった、
ーー思うように書けない、と、
助けを求めてきた。
そんなわけで夜中に書くことになった。
そのときの短文。

***

二十一世紀へ旅する子供たちへ

お前たちの未来は
どれほど明るく
どれほど輝きに充ちていることだろう。
二十世紀の恩讐と悔恨を
希望のバックに詰め替えて、
お前たちは二十一世紀へと旅立つ。
喧騒と晦渋と、
余りに激しき二十世紀の世界を踏み越えて
未来永劫へと続く
スポットライトを浴びるために。

果たして
お前たちのこれからの道程に
何が待ち受けているのか、
それは誰にもわからない。
しかし、は人として生きていく限り、
限りない充実と
果てることのない充足を求め、
日々、人生を旅する。
そしてそこに強い信念があればこそ
お前たちの未来は必ず拓ける。
憎悪や嫉妬、
さまざまな人生の狭間に
苦しむこともあるだろう。
悩み、悲しむ日々もあるに違いない。
しかし、
それは踏み越えるべき障壁として
お前たちの前にある。
そしてそれを乗り越えてこそ、
人生の「糧」としての
実りを得ることができる。

二十一世紀へ旅する子らの、
新しい明日が待っている。
そしてお前たちにとって
生きていることは素晴らしい――
と感じられる人生を
歩んでいくことを望む。

2018.2.28