オーストラリア紀行は4回。
それぞれに思い出があり、感慨深いものがある。とりわけ最初のオーストラリアは、今もなお記憶の中にしっかりと刻みこまれている。最初にオーストラリアに行ったのは20年以上も前のこと、そのときの衝撃が新鮮で、だから封印されていた海外が一挙に解放された。二度目は4ヶ月後のGW。子供たちは連休とはいえ、飛び石で登校日がある。しかし、学校の連絡帳に、これも社会勉強なので、と手前勝手な理由をつけて成田を発った。
初日のブリスベンを後にしてバンに乗って次の目的地、ゴールドコーストへ。ゴールドコーストは海に面したオーストラリアを代表するリゾート地。12月。しかし季節の反転するオーストラリアは夏真っ盛り。そのときの衝撃は忘れられない。我々は北国の日本から来た訪問者。ブリスベンではさほど気にならなかったが、そのときは長ズボンに長袖シャツ。ところが周りを見れば、水着一枚に、ターバンのような腰布を巻いて若い女性が町の中を闊歩している。恥ずかしい!その人がじゃなく、僕らが。どう見ても僕らはどこの馬の骨ともしれない異星人で、周りの人から見れば不思議なものを見たように思えたかもしれない。居心地が悪い。そんなわけで、ホテルに着くと早速、現地人とのギャップを埋めるべく姿に衣替えした。
その日のホテルはカジノを併設したホテル。正面ゲートにはロビーの吹き抜けを突き抜けるような巨大なクリスマスツリーが飾られていた。かくして、オーストラリアの一日目を迎える。真夏のゴールドコースト。目の前は白砂の浜が続くロングビーチ。海を見渡せばサーフィンに興じる人たちがいる。南洋諸島を思わせる風景。それが新鮮で、刺激的で、南海のパラダイスだった。
ゴールドコースト滞在中に忘れられない出来事があった。アイルトン・セナの事故死。1994年5月1日。テレビでセナの死を伝えるニュースが流れた。セナは言わずと知れたFIの偉大なレーサー。ブラジルの英雄であり、マクラーレンホンダを率いる勇者で、日本でも超人気者だった。勿論、僕自身もその当時はF1レースにかじりつき、彼の疾走に快哉を送っていた。そのセナが死んだ。事故にはよからぬ前兆があった。
サンマリノGP。予選一日目に盟友がクラッシュし、予選二日目にはレーサーが事故死。F1での死亡事故は実に12年ぶりのことで、セナは精神的に不安定になり、電話で恋人に「走りたくない」と話したという。気を取り直してポールポジションから決勝をスタートしたものの、走行中にコースアウトしてコンクリート壁に激突。脳死状態から4時間後に不帰の人になった。
彼の死とともに僕自身もF1への興味が薄れた。

ともあれ、そんなこんなでその後はケアンズからシドニーへ。思い出いっぱいの旅、1回目のオーストラリアの旅でした。
2018.2.6